「ご報告」引退します
皆様こんにちは。
先日のジャパンカップアフターパーティーでもご報告させていただきましたが、先日のジャパンカップをもって自転車選手としての生活を終えることを決断いたしました。
突然のことと思われる方もいると思いますが、僕自身、昨年にもう一度ヨーロッパで挑戦すると決断してから”ワールドツアーに行くか、自転車をやめるか”と考えていました。
ここからは10年間の僕の自転車人生、そしてこの決断に至るまでの具体的な経緯、そしてこれからヨーロッパを目指したい若手選手に向けて。
僕個人の意見になってしまいますが、できるだけはっきり(どうしても公の場ではっきり言えないないこともあるのでさらに気になる方は個人的に連絡下さい笑)書いていきたいと思います。
僕がヨーロッパに対して強い執着を持ち始めたのは中学一年生の頃でした。
それまでにもいろいろな経緯がありました。
中学一年生の時に出場したジャパンカップチャレンジレースの後に浅田監督に、監督のもとで走るためにはどうしたらいいですか!とすぐに声をかけにいきました。
トライアウトをするので受けに来てください。そう浅田監督に言われ僕はトライアウトに応募しました。
その時の浅田監督の講義はヨーロッパのプロ現場、45kmを1時間で走る。とか250kmのレースがある。とか、ヨーロッパでのレースの厳しさなど。
とにかく当時の僕にはまだ考えられないことだらけでした。
しかしその講義がものすごく僕の心に響きました。
それが僕のヨーロッパで自転車を目指したいと思った第一歩でした。
そして僕のキャリア最後のレースは、ヨーロッパで戦いたいと思えるきっかけになったレースと同じジャパンカップでした。
面白いものです。
そして中学3年生の時、初めての海外遠征へ。
橋川健監督率いるIRCアカデミー(ベルギー)へ参加しました。
ここで初めてのヨーロッパのレースを走り、日本のレースとヨーロッパのレースは全く別のスポーツだと気づきました。
スピード、レース展開、レース数、レースにかける強い気持ち、集団密集度、レースコース。
ほぼ全てと言っていいほど”違い”がありました。
当時の僕はU17の全日本タイトルを取り、レースで引きずり回されるという経験がなく、ベルギーでの初経験が僕の心に火をつけてくれました。
”ここで戦いたい、そのためには学校に通いながら(全日制の高校は卒業したかったので)ヨーロッパの滞在期間を限りなく増やし、少しでも多くのレースを走れる環境に自分自身の身をおくべきだ”と思いました。
この遠征の後から友達との遊びの時間をほとんどなくし、自転車中心の生活が始まりました。
そのころは高校進学の時期であったため、自転車強豪校に行くべきなのか、それとも地元である愛知県でスポーツに理解のある高校に行くべきなのかたくさん悩みましたが、僕が選んだ結論は、可能な限り、ヨーロッパ遠征を許してくれる全日制の学校でした。
そのため、いくつかの高校から特待推薦をいただいていましたが、全てお断りし、愛知県立三好高等学校への進学を決めました。
父に愛知県内でいくつかスポーツに理解のある高校にあらかじめ電話をかけてもらいその中で一番スポーツに理解があり、ヨーロッパ遠征に行けることができそうな高校が三好高校であったため、受験しました。
悪ガキの僕でしたが、いろいろな方のな手助けを頂きなんとか卒業することができました。校長先生をはじめ、助けてくれた先生方に感謝です。
また、悪ガキの僕を一番間近で叱ってくれて、成長させてくれて、常に愛情を注いでくれている両親にも感謝の気持ちでいっぱいです。
高校生活という高校生活はほぼできませんでしたが、その分とても素晴らしい経験ができました。この競技を真剣に目指すきっかけ、その他のフランス遠征でもお世話になった浅田監督、初めてヨーロッパで的確なアドバイスをくれた橋川監督にもとても感謝しています。
そしていよいよ勝負の年、U23。
1、2年目は素晴らしいプログラムの中レースを転戦していく中、メンタルブレイク、いわゆるうつ病のような状態にもなってしまいました。
高校生活の中での遠征は、短期的+日本人との生活だったので、滞在場所はフランスだけど家のドアを開ければ日本とさほど変わりありませんでした。
しかしU23からは完全に一人での生活になり、電気が止まってしまったり、トラブルが起きた時の対処もほぼ一人で対処しなければいけませんでした。
またどこか孤独感があったのとともに、U23の2年目に半月板損傷という大怪我を負い、完全に抜け殻状態になってしまいました。
まずは精密検査を受けるため即帰国してすぐに病院に行きました。
診断結果は保存治療で安静6ヶ月、強い負荷はかけてはいけないとのことでした。
この時の心情は、ああ、このまま自転車やめようかな。何もしたくない。でした。
そこから3週間ほどは昼夜逆転生活をしてしまい、夜な夜な歩き回ったりと惨めな行動をしていました。
自転車に乗れないものの3週間してようやく、こんなことしていても意味がない、時間の無駄だと気づき、アルバイトと当時興味のあった英語の勉強を始めました。
そんな生活をしながらかれこれ2ヶ月が経ちました。
普段はSNSの投稿が1ヶ月途絶えることがなかったはずの僕が、一切のSNS投稿がなかったことから、フランスでのことやトレーニングでしごいてくれたトマルバ選手が連絡してきてくれました。
”フランスでメンタルやられたか?とりあえず話聞くから自転車乗るぞ”と。
当時自転車をまだやりたいのか、他のことをするか、目標を明確にせずなんとなく生活をしていました。
トマさんとのライドに行き、今の心境を素直に全て話し、3ヶ月のぶりに自転車に乗りました。
当時の回復力は幸いにも早く、怪我から2ヶ月を過ぎたあたりからなんの痛みもなく生活することができていました。
久々の自転車はきつかったけど、このライドは本当に行って良かったと思っています。自分でもなんでかと聞かれたら明確な理由は答えられないけど、とにかくこのままでは終われない、もう一度自転車選手をやりたい。そう思いました。なのでその時僕を連れ出してくれたトマさんにはとても感謝しています。
しかしその当時はまだ、ヨーロッパのチームで走りたいと思うことはできませんでした。
そこでトマさんが、すでに遅いけど(2022年11月)キナンレーシングチームの監督に連絡してみなよ。と言ってくれました。
僕は家に帰ってすぐに現キナンレーシングチーム監督、石田監督に連絡しました。
ありがたいことに、なんとか来年の契約に繋いでくださり2023年はキナンレーシングチームで走らせていただくことができました。
お話が決まってからはすぐにトレーニングを再開、トレーニングプランをたててまずは、失われた筋肉、体力を取り戻し、なんとか本来のポテンシャルまでもどしさらにパワーアップすることができました。
そんな中2023年8月、ツールドラブニールのセレクションに選ばれ、約1年ぶりにヨーロッパのレースに参戦しました。
このレースが、”再びヨーロッパで走りたい、ヨーロッパでの活動を諦めきれない、ここで走りたい。” そう思わせてくれました。
レースが終わって一通り落ち着いたところで、石田監督にその時の心境をお話しし、再びヨーロッパでの活動が決まりました。
自らのせいで途絶えてしまい、それを助けてくれた石田監督、再びヨーロッパでの活動を与えてくれたNIPPOの大門監督にも感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてU23最後の年
この頃から来年ワールドツアーに行けなかったら自転車競技をやめよう。
そう思うようになりました。
今年はとにかくたくさんのレースに連れて行ってもらい、リザルトを残すチャンスを頂きました。
しかし僕は、ワールドツアーに等しいリザルトを残すことができませんでした。
この決断にはたくさん悩み、途中病んでしまったけど、
全力でこの競技に取り組み、その結果今回の決断に至りました。
そのため、この選択に後悔はありません。
そしてこれからの若手選手へ。
とにかくヨーロッパで戦う、ということはとても厳しいです。言葉では表せないほど厳しいです。まさ戦争に行く心構えで挑む度胸が必要です。
あえて生々しいことを言うと、人種差別、理不尽、矛盾、キツすぎるレース、こんなことは始まりに過ぎませんがとにかくたくさんの試練があります。
しかし、腐ることなく1つずつ解決していき、目の前のことから逃げずに全力で向き合えば結果は必ずついてきます。またそれができた時の充実感は素晴らしいです。
自分を信じて、全力で、諦めずに頑張ってください。
そして何か困ったこと、わからないこと、トレーニングの事、ヨーロッパでの事、僕でよければ相談に乗ることくらいはできるので、インスタ、X、フェイスブック、なんでもいいので質問してください。
僕じゃなくてもヨーロッパで戦ってる選手、戦ってきた選手に質問してみてください。きっといいアドバイスをくれると思います。
僕もそうやってわからないことは聞き、解決、改善してきました。
最後に、
僕にチャンスを与えて下さった監督陣の皆様、両親、あらゆる場面で助けてくれた皆様、応援してくださった皆様、これまで本当にありがとうございました。
全て僕にとってかけがいのない思い出です。
次やることは決まっているのでまた落ち着いたら皆様にもお知らせできたらなと思っています。
この素晴らしい自転車競技というものを通して、物事を極めて、全力で取り組むことが好きなんだと自己分析することができたので、今後も津田悠義らしく全力で頑張っていきます!!!!
皆様、またどこかでご縁がありましたら、その際はよろしくお願い致します!!
10年間、本当に幸せな競技人生でした!
津田悠義、人生第2章、これからもFULL GASで頑張っていきます!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
津田悠義