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夏目漱石「こころ」と高橋源一郎「日本文学盛衰史」ーWho is K?ー

季節ごとに定番的に読みたくなる小説ってのが昔からある。夏は夏目漱石「こころ」とカミュの「異邦人」。年末から年始が阿佐田哲也の「麻雀放浪記」と谷崎潤一郎の「細雪」だ。(ちなみに、年末になると映画で「ゴッドファーザー」が観たくなる)

「こころ」は別段夏だけが舞台の小説でもないが、冒頭の先生と私の出会いが、夏の鎌倉、海だったりするというのが大きいのだろうか。「異邦人」はまぁ思いっきり夏の話だが。

というように、季節で読みたくなる小説や映画があって、実際、高校から大学の2、3年生ぐらいまでは、毎年毎季節になるとこれらの小説を手にしてたのだけれど、最近は小説自体あまり読まなくなってきたということもあり、しばらく手にしてなかった。

が、何の拍子か、ふと実家の本棚で「こころ」を見つけてしまい、読み始めたらやはり面白くて、読んでしまった。

夏目漱石ぐらい研究者の多い作家もいないぐらいなもんで、もうありとあらゆる研究者に、様々な角度から考察、検証がなされてきた。

にもかかわらず、夏目漱石には謎が多い。そもそも、彼はある時期から同じストーリー、構図を持った小説ばかり書いている。つまり「過去に三角関係の恋に陥り、友達を裏切り、今はその妻と密やかに暮らしてる」という構造、骨格をもった小説だ。これだけ繰り返し同じ構造を持ってくるということは、そこに何かよほどのものがあるのだろうけど、漱石の場合、この構造のモデルが何なのかは明らかになっていない。漱石の歴史や経歴をたどっても、そのような三角関係やいざこざがいっさいない。

高橋源一郎は「日本文学盛衰史」の中で、「こころ」の謎に迫る考えを披露している。

先生に裏切られ自殺をはかるKとは何ものなのか、そして先生、書生の私は何ものなのか、という問いに1つの回答を差し出す。

「こころ」の序盤で、「先生」と「私」が出会うシーンに奇妙な一節がある。

私は最後に先生に向かって、何処かで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗に相手も私と同じような感じを持ってはいはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、『どうも君の顔には見覚がありませんね。人違いじゃないですか』といったので私は変に一種の失望を感じた。

序盤の出会い、物語としても極めて重要なシーンだ。このような思わせぶりなシーンを作ったなら、これは伏線となり、物語中盤や後半で「実は…」と展開するのが普通だろう。ところが以後、このシーンに関係するような処は小説には現れない。このシーンはこれで完結しているのだ。

夏目漱石のような戦略的な書き手が、意味もなくこのような思わせぶりな表現を使うだろうか。ここには何か作者の意図が込められているのではないか。そう考えるのが自然だろう。

ここで、高橋源一郎は、松元寛「漱石の実験」で言及されている漱石の小説における「人称の問題」を取り上げる。

漱石は初期の頃から固有名詞を避けるような書き方をしている。初期の頃は意図的ではなかったようだが、「こころ」ではかなり意識的にこの手法を用いているのではないかと言う。

序盤の「私」は、「先生」を尊敬して慕う青年の「私」であり、「あなた」は先生から呼ばれる人称だが、下巻での「私」は遺書の執筆者である「先生」となる。そしてここでの「あなた」は、遺書を読む青年、つまり序盤の「私」だ。下巻の遺書を読み進めていくと、確かに「私」が序盤の青年の私と重なってきてしまう。

これは漱石があえて二つの「私」を混同させようとしているのではないか、つまり先生の「私」と青年の「私」が重なるような感じを抱かせたかったのではないか。

ここで先ほどの冒頭に出てくる青年と先生の出会いの思わせぶりなシーンの謎がとける。

「私」が「先生」を見たように思うのは、実は「私」が若き日の「先生」だからだ。そして「先生」が若き日のKだからだ。だが、そのことに「私」は気づかない。すべては、事件の起こる前で、「私」はまだそのことを知らないからである。「先生」は「私」のその質問に沈吟する。そして「見覚えがない」という。「先生」が沈吟するのは、過去を召還されているからである。そして「知らない」という。なぜなら、この時、まだ「先生」は<他人の世界>から逃れようとしているからである。リニアな時間の流れを追うこの近代小説の中で、少なくともここだけは別の世界を形成している。あるいは『こころ』という作品は、この短い文章が有する奇妙な論理によって成り立っているのである。

これだけでは、まだ謎は解明していない。

そもそもKとは誰なのだろうか?私=先生という関係の中心にいるK。先生から裏切られたKとは果たして誰のか、この謎を解かない限り、漱石が使い続けた三角関係のモデルが何なのかの謎をとくことはできない。

「こころ」の冒頭は次のように始まる。

私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとに、すぐ『先生』といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない

この冒頭の文章にも違和感を感じないだろうか。わざわざ「本名は打ち明けない」「よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない」と断っているところが、いかにもではないだろうか。あえて「頭文字を使わない」と断ったのは、むしろ、物語において「頭文字」が重要だということを示唆しているのではないか、そのように高橋源一郎は考えた。「こころ」の半分以上を占める「先生の遺書」の中では、「先生」は延々と「K」という「頭文字」を使い続けている。

Kとは何ものなのか? 
「下 先生と遺書」の「十九」でKは初めて姿を表し、その特徴を要約すると以下のようになる。

・Kは坊主の息子である
・Kは養子になり、姓が急に変わって友人を驚かせた

このKの特徴にぴったり当てはまる漱石に近い人物が一人いる。
1)頭文字「K」を持ち
2)漱石を「先生」と慕い
3)けれども、漱石に手ひどく裏切られ、
4)坊主の息子として生まれ、
5)幼い頃養子となり、姓が急に変わって友人を驚かせたことがあった、その男。

それは「石川啄木」である、と高橋源一郎は推論する。

石川啄木は曹洞宗日照山常光寺の住職であった石川一禎の長子として生まれた。しかし、生まれた当時、父一禎と母カツは戸籍上は夫婦となっておらず、啄木はカツの私生児として生まれたのだ。戸籍上の名前は「工藤一」だったのだ。「石川」姓に変わるのは、啄木が小学校二年の頃、父母の戸籍が統一された時であった。名前が突然変わって、周りはさぞかし驚いたことだろう。
ここで、特徴の1)、4)、5)が石川啄木にぴったり合致する。

では、2)と3)はどうだったのだろうか。
長くなってきて疲れてきたので、続きはまた別のエントリーでまとめたい。

(この記事は、2008年8月に自身のブログに投稿したエントリーをnoteに再編集して移行させたものです)

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