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透明水彩の大基本 l ウォッシュについて

透明水彩の大基本について書いてみたいと思います。

いわゆる透明水彩、その根幹をなすものとも言えるウォッシュについて。

水彩でいうウォッシュという言葉が日本でどの程度定着しているか、よくわかりませんが(アマチュア水彩の現場に長年携わってきた経験からいうと、ウェット・オン・ウェットとウォッシュを混同してるケースはよく遭遇してきました)、あらためてウォッシュってなんなのか。というのもウォッシュ(wash)というものを感覚的かつ理論的かつ歴史的に理解することで、透明水彩への理解の土台がつくられることになると思うので。

アマチュア絵画の現場では便宜上、ウォッシュを平滑な塗りとして解釈してきましたが、それは間違いではないのだけれど、厳密に言えば平滑な塗りというのはフラット・ウォッシュと呼ばれます。もうひとつはグラデーションを塗りによって行うグレーデッド・ウォッシュです(写真)。

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ではウォッシュとは単体としてはなんなのか?まあいってみれば水彩における「塗り」のことであると言えなくもない。washというのは「洗う」ということですが、(洗うがごとくに)水を使った筆によるワンストローク以上の「塗り」ということなんだと思います。なので、水を使わないで水彩絵の具をべたっと塗るのは塗るは塗るでもウォッシュとは呼ばない。

ウォッシュとは基本的に水気をたっぷり含んで、継ぎ目やかすれのないある程度の面積をもった水彩(あるいは水溶性色材)の塗りということになるかと思います。

ウォッシュを歴史的に辿ってみましょう。例えばこの絵。

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17世紀のフランス古典主義の巨匠、ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin, 1594-1665)の素描ですが、これがなんと表記されるかというと、
タイトル:Apollo and the Muses on Mount Parnassus
 制作年:between circa 1626 and circa 1632
メディウム:pen, brown ink and brown wash

というような具合になります。ペンで描かれた線に対して、施された塗り(ここでは陰影を施しているということになります)をウォッシュと呼んでいる。

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あるいはおなじく17世紀、プッサンと同時代人であるクロード・ロラン(Claude Lorrain)の風景スケッチ。クロードはターナーが生涯敬愛し続けた画家で、そしてその典雅な風景画は美術後進国の誹りを免れなかったイギリスの絵画の規範としてありました。結局クロードのこうした素描や風景画が、18世紀から19世紀にかけてイギリスで発達を遂げる水彩画の原型のひとつとなるわけですね。で、この素描はメディウム表記としては"brown ink and brown wash on paper"となります。

ちなみにこの場合の"brown"とはなにかというと、ビスタ(bister/bistre)=煤が原材料か、セピア(sepia)=イカ墨かそのどちらかのインクということになるでしょう。ビスタはビストルとも呼ばれますね。

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上の絵は18世紀のイギリスの画家、ロバート・カズンズ(John Robert Cozens, 1752 – 1797)の水彩画です。当時勃興してきたロマン主義における崇高の概念を反映したもので、ある意味、水墨画的というか中国の山水画に通じるような、水彩といってもモノトーンに近いような、畏怖の感覚を呼び起こす峻厳かつ陰気な画面になっています。
これなどはどうメディウム表記されるかというと、  "Watercolor over faint traces of graphite"ですね。鉛筆のかすかな跡の上に水彩ということになるでしょうか。ここではウォッシュは水彩のうちに当然の技法として溶け込んでいるわけです。透明水彩で描いてる以上、ウォッシュしてるに決まってるというわけです。塗りが主体になり、「線」が画面上の役目をなくしてゆくというのも注目したいところです。

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これは歴史的な英国水彩をある意味象徴する画家ともいえるジョン・セル・コットマン(John Sell Cotman, 1782 – 1842)の19世紀初頭の作品で、非常に現代的な感覚をもった絵ですが、フラット・ウォッシュというものを理解するのに好例と言えるかと思います。とくに橋の部分はフラット・ウォッシュのベースに影が段階的に重ね塗りされているというレイヤーの仕組みがよくわかると思います。メディウム表記は"pencil and watercolour on laid paper"です。ちなみにwatercolour はイギリス英語ですね。イギリスの図録などをみているとwatercolorではなくwatercolourが使われることが多い。イギリスの老舗の画材メーカー、Winsor & Newtonも頑固にwatercolourを守り通しています。完全に余談ですが、watercolour の表記にはイギリス人のプライドがかかってる感じがします。

グレーデッド・ウォッシュの好例を挙げます。トマス・エイキンズの1875年の作品。トマス・エイキンズ(Thomas Eakins, 1844-1916)はアメリカ近代絵画の父と呼ばれ、幾何学遠近法、光学的明暗法、美術解剖学といったアカデミックな理論に対し異様なまでの厳格なアプローチを行った画家で、油彩の傍ら、水彩を多数手がけました。画面いっぱいともいえるウォッシュによるグラデーションに海面と船の描写が乗っかっています。白い部分はおそらく抜いたのではなく不透明の白を使用していると思います。まあ、なんというかグレーデッド・ウォッシュのお手本みたいな絵ですね。

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最後はパウル・クレー(Paul Klee, 1879- 1940)の水彩画を挙げます。言ってみれば「北方的」なメディウムといえる水彩のそのエレメントを抽出しモダンアートとして為したという点でクレーはカンディンスキー以上に自覚的であった気がします。クレーの水彩作品をウォッシュという観点から見るのも面白いと思います。

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そんなところで、ウォッシュとはなにかということが幾分か掴めましたでしょうか?次回はウォッシュの実技編をアップしてゆきたいと思います。

ではまた。

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