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遠い日の記憶【掌編小説】

「賢者さまありがとう! これで外に遊びにいけるよ」

 沈みゆく陽射しに照らされた礼拝堂のカーペットの上を一人の少年が駆けていく。賢者と呼ばれた女は、うっすらと微笑んでそれを見送った。

「どういたしまして」

 彼女がこの教会で行う賢者としての仕事が今しがた終わったところだ。その肩書きに似つかわしい落ち着きを見せる女の横顔に、アースレイは声をかける。

「ミハルカ、いつもありがとう。夜、痛みで眠れない時に君の飲み薬はよく効くみたいなんだ」

 神父としてこの教会を任されて以来、たくさんの子どもと接してきた。その中で、《魔障》(ましょう)と呼ばれる不治の呪いを患う子どもを引き取ることも多い。

「研究者として助けられているのはこっちよ。役に立てているのならいいけれど……」

 そう言って、若き叡智ーーミハルカは立ち上がる。つい数年前まで少女と呼ばれる年齢だったであろう彼女は現在、王国付き第三賢者として日々魔法薬の研究に勤しんでいる。
 魔障を患う者が増加するに伴い、近年は魔障学の研究が盛んになっていた。彼女は他の魔導師らと協力し、派閥や研究室の垣根を越えて魔障の進行を抑える薬の開発を試みている。その臨床試験の場として、進行の早い若年者を抱えるこの教会が選ばれたというわけだ。

 しかし、所詮は対処療法でしかないらしい。近頃は抜本的な解決に向け、国が本格的な魔王討伐隊の編成に乗り出したと聞いている。

「やはり……討伐遠征に加わるつもりなのか?」
「ええ、第一賢者様が推薦してくださっているの。もちろん、私に決まらない可能性もあるわ」

 この国では代々、第一賢者と呼ばれる役職の者が魔王の討伐に参加する慣わしになっている。しかし前回の討伐遠征が失敗に終わったことに加え、現在の第一賢者が高齢であることを鑑み、人事について意見が交わされることとなったらしい。

「そうか……」

 彼女の身を案じている、と言ったなら、《ルフの加護》を信仰する教会関係者としては不適切な発言となるだろう。
 選ばれし賢者と聖なる剣が魔王を討ち滅ぼし、《英雄の力》によって魔障を患う一切の人々を救うーーそれが、教団の聖典である《白きルフの書》に記された内容なのだから。

「今日は、子どもたちが大好きなシチューの日なんだ。君にも是非、食べてもらいたいのだが……」

 それならせめて、彼女の救おうとしている者たちとの時間を少しでも長く過ごしてほしい。その記憶はきっと彼女が困難に立ち向かう際の支えとなってくれるだろうから。その考えが独りよがりで身勝手な押し付けだということを理解しながらも、アースレイは声をかけずにはいられなかった。

 ミハルカはくすりと笑い、私はこれでも忙しいのよ、と言ってのける。しかしすぐに何か思案するような素振りを見せ、こう続けた。

「でも、そうね……今日は子どもたちのために時間を使うわ。食事に加わっても?」
「もちろんだとも! 子どもたちも喜ぶよ!」

 その一言をアースレイがどんなに喜んだかは、彼の目の輝きを見るに明らかだったろう。
 そんな彼の様子がなんだかおかしくて、ミハルカは思わず笑みをこぼした。

「……子どもみたいな人」
「なっ、それは……君が大人びているんだ」

 こんな風に笑うのはいつぶりだろうとミハルカは思う。生まれた時から使命というものを背負って生きてきたつもりだった。自分にとってはそれが当たり前のことで、不幸だと思ったことも、逃げ出したいと思ったこともない。

「ふふ、変な神父様だこと」

 それでも何故か、彼といると自分の別の可能性について考えてしまうことがある。賢者の家系に生まれず、ただ同じ神を信仰する者として、呪いを神の怒りと受け入れ、穏やかに暮らす日々があったのではないかと。

「神父さま、ミハルカさま! シチューできたよ」

 一人の子どもが食堂から顔を出す。アースレイはこほんと咳払いをして、心なしか背筋を伸ばして見せた。

「今行くよ、ありがとう」

 その様が妙に愛らしく、そうと気取られないように、ミハルカはまた密かに微笑むのだった。




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■ 聖騎士シリーズまとめ

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