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まどろみの中に沈む【掌編小説】

「エイデル……?」

 目を覚ますと傍らに婚約者の顔があった。彼は微笑みながら息をつき、重ねた手をぎゅっと握ってくる。

「君にそう呼ばれると安心する……気分はどうだい?」

 そう言われ、ルカリスは反射的に微笑み返した。彼がしてくれたのと同じように。
 エイデルというのは、彼ーーアデルバートの愛称だ。ルカリスに限らず、親しい者は皆彼のことをそう呼んでいるのだという。
 薄暗い部屋には二人の他に誰もいない。普段は控えているはずの侍女の姿も見当たらず、どこか夢を見ているような心地がするのであった。

「なんだか、頭がぼんやりするの……お医者様の薬のせいかしら」

 言いながらも、それだけではないことをルカリスは知っていた。今までに何度もこの手の不調を経験したことがある。例えばそうーー魔力を使いすぎた日の翌日などに。

「ずっと寝ているのもよくないから、起きていたいのだけれど……」

 願いとは裏腹に、抗いようのない眠気が瞼の上にのしかかる。アデルバートの指がいたわるように左手の薬指を撫でているのが、彼女に知覚できる情報の全てだった。

「つらくないなら眠ったらいい。その間、僕もここで過ごすよ」

 急激な睡魔に襲われた彼女に返すことができたのはーーたった一言、「……嬉しい」という言葉だけだった。


     ✳︎ ✳︎ ✳︎


「……賢老様」

 ルカリスの部屋へ向かう前、アデルバートは彼女の祖父である賢老(けんろう)の元を訪れていた。アデルバートが討伐遠征に出向いていた期間を含め、ここ数ヶ月の間、彼女は祖父の家に身を置いている。
 その彼から伝えられるであろう言葉に、アデルバートの心はざわついていた。

「ルカリスの魔力が日増しに強くなっておる……ワシの護符では、もはや役に立たんのだ」

 かつての第一賢者であるその姿も、今はただ項垂れて憔悴するばかりに小さく見えた。現にルカリスは度々、夢遊病のようにして屋敷の外を徘徊している。数人がかりで部屋に張った結界はまるで意味をなさず、使用人たちに持たせた《不眠の護符(ねむらずのごふ)》もその効果を上書きされ、もはや彼の手に負える状態ではなくなっていた。

「何か方法は……」

 そんな言葉しか出てこない自分をアデルバートは悔いた。自分が蘇生魔法を使ったその日から、彼女の精神は少しずつ壊れていった。しかしそれでも、ルカリスを甦らせたことを後悔していない。いや、後悔したくないと言ったほうが正しいのかもしれない。

「蘇生魔法の使用はいかなる手段であれ禁忌……ワシの手元にはあまりに情報が少なすぎる」

 窓からの陽射しを背負っていて表情は見えないが、抱える想いは彼も同じなのだろうとアデルバートは思った。そうでなければ、賢老という立場でありながら王国で最大の禁忌とされる蘇生魔法の使用を黙認することなどできないだろう。

「じゃが一人だけ……心当たりのある者がおる」

 少しの沈黙の後、賢老が口を開いた。続けて彼の口から出た名前に、アデルバートは目を見開く。

「ハルクの地の修道院に、セーレという女がおる。名前を変えてはおるが……あれはワシの教え子じゃ。何か力になってくれるかもしれん」
「修道士様が……?」

 忘れもしない故郷の記憶。その中心に、いつもその人の姿があった。身寄りのない子どもたちに居場所を与え育てていた彼女の、穏やかな眼差しが頭をよぎる。どこか遠くを見ているような、寂しさを感じさせる眼差しだった。

 窓の光を背にした賢老の横顔が、記憶の中の面影と重なる。悔いるとも懐かしむともつかぬ声色で、彼は続けた。

「ああ。あれの本当の名は……元・第三賢者、ミハルカじゃ」


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 微かな寝息を立てる婚約者の寝顔を見ながら、アデルバートは心の内で呼びかける。

 ルカリス。必ず君を助ける……待っててくれ。




■ このお話の寸劇ver.

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