去る人くる病

先月、野村克也さんと古井由吉さんが亡くなり、大変に落ち込んでいた。

ヤクルトファン歴20余年の自分にとって、ノムさんは愛すべき野球人であり、最高の監督であった。彼の明晰な頭脳と強いリーダーシップ、情にもろい性質が大好きだった。小学生の時から著書にも触れ、「野村再生工場」というワードに当時から魅了されていた。
人心を掴み、能力を引き出すその手法は、彼曰く「自信回復の物語」であるとのこと。「プロに来る人間は基本的にみな力を持っている。ただ色々あって自信を失っているだけ。本人の気質に合わせて、本来の力を出せるように導く」と綴っていた。信じてもらえた選手は幸せだろう。
私は、この精神はプロ野球に特化したことではないと思っている。どんな場であっても、まず相手を認める、立てる、信じることがスタートラインだ。一人ひとりの性格をよく観察し、受け止めてから育てるやり方に、とても影響を受けた。
また、彼のサービス精神と雑草魂から生まれた「ボヤキ」に、どれだけたくさんの人が笑い泣き、励まされたことだろうか。「ID野球」「俺は野に咲く月見草」、それから「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」など、新聞の見出しやサブタイトルになりそうな言葉をさらりと言う。知性と教養、センスを磨き続けたからこそ出来たことだ。

阪神を退いた後、しばらくメディアで見かけず寂しい気持ちでいた時に、シダックスで監督をされていると報道を見た。本当にノムさんは野球が好きなんだなあと感嘆した。
野球愛を貫き、文字通り人生を捧げた。その生き様に敬意を表したい。

古井さんは、又吉さんの影響で読み始めたが、初めは本当に理解が追いつかなくて、1日1ページ読むのが精一杯だった作品もある。自分の知力では彼の読者になれない、と落ち込んだりもした。しかし、幻想的で蠱惑的な文体には得がたい魅力を感じていて、諦めたくないと思っていた折に、ツイッターで古井さんを長く読み続けているファンの方に出会った。その方が好む小説や和歌などを併読していくうちに、少しずつ読めるようになってきた。その方には感謝しかない。
古井さんの、日常と幻想を行き来するストーリーと、五感、もっと言えば第六感までフル稼働させるような文体がとても好きだ。わたしにはとても書けない。知性と胆力に憧れる。

憧れの二人がいっぺんに鬼籍に入るだなんて、本当に悲しい。特にノムさんは心の父だったので、身内を失ったような喪失感を覚えている。
ノムさん、向こうでサッチーにたくさんぼやいててほしい。古井さんもお母様にお会いできているといいな。或いは多くの文豪と戯れておられるのだろうか。
心から哀悼の意を示します。どうか安らかに。

……

病は、身体に対してもさることながら、国を挙げての騒動を経て、人心をも犯し始めている。自分の業種にもがっつり関わる事柄があるので、なかなか大変な日々だ。変な暇ができたり、逆に急なドタバタが起きたり。
歴史の只中にいるなあと感じる。ナチの出だしとかも、こんな空気感だったのだろうか。
病気より人が怖い、と誰かが言っていた。その通りだと思う。
そんなこんなで読み始めました。

1万部の重版だそう。皆考えることは同じなんですね。
まだ真ん中辺だが、今の世の中を俯瞰で見られてありがたい。小説って素晴らしい媒体ですね。
手洗いうがい・清潔保持を敢行しながら、不条理について、じっくり考えたいと思います。

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