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Learning English in the philippines

What's up, everybody ?     How was your day?

こんにちは、今日という日ももうすぐで終わりますね。悲しまないください。明日は今日と全く違う日です。もし今日が楽しくない、悲しいことがあった、明日はきっと今日の辛さが忘れて一日中楽しい、嬉しいことがあると思います。

私たちの人生は山あり谷ありですが、それがまた人生の醍醐味ではないですかね。

Today's Mr. tomato boy's power phrase

Don't be negative. Looking forward and live positively.

余談はここら辺にしといて、今日の本題を話していきたいと思います。

Today's topic

Mr. tomato boyの語学学校生活part.1

主に2つのことについて話していきます。

注意点 part1~part3まで (三ヶ月で期間区切って話します。)

~その一~  

英語の勉強、始めての英語で学ぶ英語の授業 Part.1

私は授業の初日の日にSpeaking testとReading testを受けました。

結果から言うと、100点中27点

かなり低いです。なので、留学生活の半分は毎日辛くて、一か月に何回も自分に悔して泣くことが多かったです。私は滅多に泣かない人間で感情を表に出す人間でした。

CNE1独自のテストの基準は世間の英語のテストから比べると、かなりレベルの高いテストです。この事実を知らなかった私は一か月ずつのテストに毎回落ち込んでいました。

CNE1の独自のテストから分かった私の英語力はBiggner

わかりやすく言うなら、簡単な英語の質問に答える。話せれた英語はゆっくりなら聞き取れる。あと、簡単な文法を使って文章をすぐ作り、正しく話すことができるレベルでした。

留学する前は大学受験のために英語を勉強したぐらいで、

実質英語力0で留学したようなものです。

授業は全て英語で説明されます。まさに英語を英語で学んでいる状態です。

最初の三ヶ月はひたすら自分の英語力に絶望していましたが、何回泣いたって心がズタズタでも、本気で英語を話したくて必死に努力しました。

地獄の3か月間 私はどのように勉強したか?

この期間は授業と自習で中学校の英語の文法と単語を勉強をしました。

ですが、私はテストのための英語を勉強したわけではなかった。

話すための英語が学びに行ったので、ノートはメモ程度に使っていました。

もともと学生時代も先生の黒板を写すのは無駄だなと思っていました。

何故なら、テスト前や模試前に見返さないノートには無駄です。

先生が喋っていることにはその時しかしっかり解説をしてくれないし、ノートを取ることに集中して、急にで質問されて「聞いてませんでした。」となるの逆に恥ずかしいですよね。

なので、ノートをメモ程度として使う代わりに、疑問に思ったことをすぐ質問、先生が話していることを一言一句を聞き逃さないようにしていました。

語学学校での勉強方法は

もともとの勉強方法 +SPEAKING STYLE +EOP

具体的には その日に教わったことのメモを自分の言葉でノートに改めてまとめる。私は日本語で書くのではなく、英語でノートにまとめるという風にやっていました。わからない表現や単語は自分で調べて、そのノートを先生にチェックしてもらっていました。実はそれが毎日の宿題でした。

WHAT IS "SPEAKING STYLE"?

これは文法と英単語の勉強方法に共通するものです。

1日習った文法、英単語で3つ文章を何も見ないで自力で作り、授業の宿題でやります。

それを授業で声を出して読む。それを先生と授業の初めに間違っているところ、こうすればもっといいよっていう風に人前で話す勇気を付けるため、授業理解力、応用力、単語力の強化をしていました。

これが一番謎な感じでしょう。

WHATB IS "EOP"?

これは3つの英単語を短縮したものです。

English Only Policy を短縮した言葉です。

意味は英語しか喋らないよ!っていう意味です。

これは自分を自分自身で英語で束縛し、英語を毎日どんな時も話さないといけない。日本語を話すことができるのは日本語で話さないといけない大事な場面。

これは本当に英語を話せるようになりたいと思う方にお勧めです。

この方法は最初は地獄にいるのかなって思うくらい辛いですが、慣れてくるくると自分の気持ちや相手に伝えられるようになります。

自分の場合はこう決めていました。

不必要に日本語話したときはペナルティー

私はこのスーパーストイックでハードな勉強方法を卒業するまでやりました。名前を付けるなら、[Mr.Tomato boy's camp]

この地獄の三ヶ月を過ぎたときに私は気持ちや伝えたいことを先生に正確に正しく伝えられるようになりました。さらに英語を人の前で話すこと、先生と会話を交わすことができるようになりました。

私は少しずつ明るい性格になり、英語の会話中に先生が笑っているときに笑うことができてきて、英語の理解が早くなっていました。

~その2~

語学学校の生活Part1

期間でいうなら、4月から7月です。

みなさんはご存じでしょう。フィリピンは南国の国

フィリピンの夏はほぼ1年。日本の冬に当たる10月から12月までは涼しいですが、湿度は例外を抜いてほぼ毎日100%越え

夏の気温は平均34~35度。それ+100パーセント越えの湿度

外は常に熱気のこもったサウナ状態。大都市のむしむしの何十倍ではないですかね。

雪国出身の私からすれば、汗が常にじわじわとでて毎日水を4リットルくらい飲まないと死んじゃうのではないかと感じました。

精神的にも体力的にもなれるまで辛かったです。

私はその期間の間にいくつかの旅行をして、いろいろな経験をしました。

ラウニョンという海を日本人留学生と一緒に行って、

人生で初めてのサーフィンをしました。

サーフィンの板に立つことは難しくて、何回も海に落ちましたが最後のほうはうまく立てて楽しかったですが...

私はとても痛いをしました。それはフィリピンの太陽の紫外線は強く、日焼け止めを何回塗りなおしてもそれを勝る強さ

そのおかげで、私は全身を日焼けという火傷をしました。

1か月間は体の色んなの皮が剥けたり、寝るときは背中をベットに付けれないほどのヒリヒリ感に襲われました。

さらに、私は先生方と何人かの生徒で担当の先生の実家に行きました。

そこは本当美しい場所でした。一生あの場所にいたい、言葉を失うほどでした。

それがここです。

この青い海はみなさんがご存じの太平洋。
海の深さなどの違いで海の色がエメラルドグリーンやブルーなどいろいろな色に変わります。

美しいすぎませんか!?

ライフジャケットを着て、海を泳いだりしました。

この場所は留学中この機会いこういけませんでした。
最初で最後でした。

あとは、フィリピンの大型プール施設に行ったり、フィリピンはキリスト教なのでいくつかの教会に行ったりしました。

3ヶ月でたくさんの人と話したり、いろんなことを経験して友達、先生と仲良くなって行きました。

そして、わたしの肌の色は刻一刻と現地のフィリピン人の色になっていることに気付きました。

なので、今も普通の人よりは日に当たった分はわたしは日差しを吸収して、肌が茶色くなってしまっています。笑笑

わたしのpart 1の話しはどうでしたでしょうか?
明後日はpart 2を話していきたいと思うのでよろしくお願いいたします。

see you everybody.
have a nice day and stay safely.

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