見出し画像

手抜き料理の手抜きってなんだろう?(有賀薫さんとのインスタライブまとめ)

先日Twitterに投稿した、自分の料理に対して「ズボラ・手抜き」と言わない宣言について、スープ作家の有賀薫さんとインスタライブでお話しました。

とても心に残る、そして勇気がもらえるお話がたくさんあったので、私のメモ書きとしてこちらにまとめておきますね。

●手抜き・ズボラの線引きは自分の中にしかない

ポテサラを買う、だしパックを使う、そういう人によって手を抜いているかどうがの判断が分かれる事象がたくさんあって、誰かに判断されるようなものではないですよね。どれが手抜き・手抜きでないは、自分が決めればいい。上を見てもキリがないし、下を見てもキリがない。とても個人的な判断だから、その人しか決められないことです。
だから、私(有賀さん)個人としては「これって手抜き?手抜きじゃない?」と周りを見ながら確認することはほとんど意味がないと思っています。料理に対するズボラ云々は、その時の心の状態によって変わると思います。

私はカップラーメンを出しても手抜きとかズボラと思ったことがないです。むしろあまりインスタントを使わないから、ウキウキしちゃって、楽しんでいますね。
それより、野菜をバンバンバン!とテキトーに切るみたいな、そういうことってありますよね。手を抜いているというよりも、気を抜いている料理とでもいいますか。そちらのほうが、自分にがっかりしてしまいます。

それから、手抜きやズボラなどを全く考えずに生活している人もたくさんいると思うんです。料理に対して全く気にしない派と気にする派、あるいは料理が大好きで苦にならない派と料理するのが億劫派、いろんな考え方がインターネットで交わってしまっているのがもやもやの原因になっているのかもしれません。メディアを見ている私たちが、「へ〜こういう人もいるのね」とおおらかな感じになることも必要ですよね。

●ミールキットやお惣菜の活用で大事なのは「自分が満足できるか」

今は当たり前になりつつある冷凍野菜や市販品のドレッシングも最初は手抜きだと言われていました。ミールキットのような料理を手助けしてくれる商品は比較的最近発売されたものですよね。だから最初の頃は馴染みがなくて手抜きと言われるかもしれない。でもそれだってそのうちみんな慣れだして、普通になっていくはずです。

それに、人のラクしたい気持ちには限りがないです。味の話から離れますが、例えば私も食洗機を導入して、洗って、拭く手間がなくなって便利だなと最初は思いました。けれど、そのうちに食洗機に食器を入れたり、出したりするのが面倒になる。笑 どの道を選んでも面倒なことはなくなりません。

便利な加工品やお惣菜を使うにあたって大事なのは自分で作るよりも手間や味などの面で「満足できるか」だと思います。ミールキットを使って作ったけれど、自分好みの味ではなかった時、残念に思うこともあるのではないでしょうか。

●料理は頭以上に、身体で考えてするもの

料理の「難しい・簡単」の認識って、本当に人それぞれだと思います。そして、人が難しいと思うのは物理的な”難しさ”ではなく、別のところにある。人は慣れていることはかんたんに感じます。昔、私の友達が「料理ができない」と言っていて、その子の家に遊びに行くととてもおいしい春巻きを出してくれました。その友達は昔からお母さんの手伝いで春巻きを作っていたから、簡単だと思っていたんですよね。(でも彼女は味噌汁は作れなかったそう)だから、慣れていることは簡単にできて、世間一般的に難しいと言われていることとズレていたりします。
塩ひとつまみの量に関しても、実際に測ってみると結構量がある(約1g)のだけれど、それを知ったところで自分の普段の料理で正しい量のひとつまみを入れられるかは別問題。料理は頭ではなくて、手でやるもの。頭で考えてでも、実際にやってみると難しいことって結構ありませんか?

●家事を目標思考にしてしまうと苦しくなる

「家のごはんはこれくらいやるべき」という自分の理想があるとすると、それに到達できていないと自分を責めやすいのではないでしょうか。
ポテサラの件で言えば、ポテサラくらい作りなさいよとおじさんに言われたとしても、その人にとって買うのことが普通であったら、さほど傷つかない。ポテサラくらい手作りしたほうがいいかな、と心の中でちょっと思ったから傷ついたのではないでしょうか。

家事において理想を掲げるのは、危険なことだと私は思っています。プロの料理は完成形の理想があって、そこから棚卸しする形で食材や調理法を選んでいきます。けれど、家庭料理の最初は自分や家族の体調やお腹の空き具合から考えて、積み上げていくようなものなんですよね。その時の最適解を、都度都度出していくのが家のご飯です。子供がお腹空いているならあんぱんを食べてもらってもいいですよね。理想の家事から棚卸ししていく形ではなく、今ある状態から考える。その発想の逆転がないとずっと苦しいままかなと思います。

家庭料理は目の前にいる人と、冷蔵庫にあるものでどうにかするという料理のジャンルなので、飲食店のように理想のお客さんを想定して料理を作ることも、いい食材のいい部分だけ使えるわけでもない。全く違う料理なんです。

●家のご飯で一番重要なことは「食べるものがあること」

家のご飯で一番重要なことは「食べるものがあること」です。買ってきたものだろうが、作ろうが、あることが大事です。手抜きであるとか味の良し悪しは関係なく、あることに対して感謝の気持ちをもったりすると、幸せな気持ちが食卓に戻ってくるんじゃないですかね。
私が家のご飯で大事にしていることは
①食べ物があること
②たっぷり食べられる量あること
③安全であること(腐っていたりしないこと)

の三つ。これがあれば大丈夫。
味の話はもっともっと先の話で、その手前に食卓を囲む人が笑顔であることが大事だと思っています。
あることをありがたいと思う気持ちは作る側が言うのは億劫なので、食べる人が積極的に惣菜でも品数が少なくても「これで満足」という雰囲気を作れたらいいですよね。

家のご飯は、みんな楽しく笑顔で料理を食べることが何よりも大事です。ミングルを作った時に、今の社会を生きる家族がおうちで豪華な食事を毎日する必要ってないかもしれないと思い、もっと簡素化してシンプルな料理ができるようにテーブルの中に火口を一つだけつけたんですね。それで焼いたり煮たりしている時間も団欒になればいいなと思ったんです。調理時間も家族とのコミュニケーションになるような場所をイメージして作った場所がミングルです。調理する様子が見れれば食育にもなりますし、いいことだらけです。

●家事には休みがない。だから積極的に休んで、自分に癒しを与えよう

先日私、一日断食をしたんですが、料理を1日しないとこんなに楽なの!?と驚きました。時間が細切れにならなくて、たっぷりある時間を豊かに過ごせました。とてもいい体験でしたね。なので家族がいらっしゃる方は、何かしら食べるものを買ってきておいて、1日家事をしないという体験はぜひしてみて欲しいです。みんな自分が普段どれくらい家事をしているのか、気づいてない人も多いですよね。仕事をしていても、頭のどこかには夜ご飯のことがあったりして、完全に休まることがないんだと思います。

食べ物がある、ということは誰かが考えて、買ったり、作ったりして提供している。それってすごく尊いことです。家のご飯担当の人は、休める時はちゃんと休んで、自分がおいしいと思えるものを作ったり、外食に行ったりともっと自分を大事にして欲しいなと思います。そうして休めるとポジティブに考えられるようになっていきますし、自分の身体が回復していけば自己肯定感も自然に高まっていくと思いますよ。

***

ここに書いてあることだけで一冊本が書けそうなほどのお話でした。時代がダイナミックに変わる中で、家ごはんのあり方もどんどんアップデートしていかないと固定観念に苦しめられてしまうのだなと感じました。戻るべきは、食べ物があることと、食べる人がほどほどに幸せであること。この2つを大事にしたいと感じた時間でした。このおしゃべりシリーズは #料理家のおしゃべり と題してこれからも続けていこうと思います。お楽しみに!

バナー画像:土田凌

みなさんのサポートが励みになります。 「おいしい」の入り口を開拓すべく、精進します!