2つ目の自分(4)>意識の回復の中で
生きてるだけでえらい。いっしょにがんばりましょう。
2つ目の自分(3)>ふわふわの世界 から続きます。
2005年4月7日。21歳の誕生日を迎えた病院食は、バースデーケーキ付だった。
3つ目の病院に転院したのが、その翌日だったのを覚えている。
なんだかワクワクする、病院の外。
その時の私の世界の中にいたのは、自分と、両親と、リハビリの先生。たったそれだけだったから。
山口県から、交互に何度も行き来した両親は、車で来坂もした。家から6時間かけて、芝犬のノンと一緒に。
休学している大学から一駅の、借りていたアパートに一泊。
近所の石川沿いを、ノンと歩いた。
意識が回復する中で、口にしていたそう、「ノン」のこと。それから高校生の弟の名前と、おばあちゃんのこと。
私の深層心理が、大好きで、 絶大に守りたかったもの。
転院した頃から、少しずつ、少しずつ、自我が芽生え始めたのかな。
同室のおばさんの事を心配したり、気になるリハビリの先生ができたり、周囲との関係が広がりはじめた。目新しく感じる、成長という回復の毎日。
学校に行けるのが楽しみで、早くみんなに会いたかった。
まだ車椅子の時から、一時外出できる時には、学校に行きたいと言っていたな。「車椅子のままだっていいから。」
それほどに、自分に何が起こっているのか分からない。
元にいた生活が近づくにつれ、次第に蘇った記憶。
以前の記憶は残ったまま、生まれ変わった私。
現実に還るほどに、高次脳機能障害は姿を表すのだ。
外見からは誰にも見えないところで。
事故の瞬間左足首に入った骨のヒビは、意識の低い間に治っていたようだ。
よって、五体満足。
体格の良かった私は外見からも、健康そのもの。
人間に備わった力は、それだけじゃないって、痛感したんだ。
20年間で身についた身体感覚の、リセット。
距離感が掴めないからなのか、平衡感覚がないからか、手すりがないと階段を下りるのが怖い。
大きな橋に立つと、ふと感じる、橋が揺れているような、揺らぎ。
いつも引っかかる、縄跳び。
それから。
今起こった事を忘れる記憶障害だって。
「思い」を言葉に変換できず、
伝えたいのに伝えられない、どこか通じ合えない言語能力だって。
突然、自分や目の前で起こった事を、すぐさま処理する。
そして理解して、対応する、情報処理能力だって。
毎日に起こる全ての事柄を、脳や身体全体で感じて、理解や処理をして、生活に適応させていく力。
それを高次な機能と言うそうだ。
そこにダメージを受けたのが、高次脳機能障害。
そう言われたって、見た目が全く変わらない私は、「今を生きている自分」が、全てだった。
苦手になると言われた、同時に二つの事を進める事だって、できている、
気がした。
記憶力は少し落ちたかな?
そんな程度で、一体何が障害なのか、自分ではわからない。
これが、自己認識の低下と言われるものだったのだろうけど。
二度目の成長をするにつれ次第に、ピントの合わない、かすんだ世界に堕ちていったんだ。
二十歳意識不明、高次脳機能障害。
赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選
泥臭くクリエイティブに生きるストーリー
続きます。
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