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2つ目の自分(3)>意識が覚醒する狭間で。ふわふわの世界。

生きてるだけでえらい。いっしょにがんばりましょう。


2つ目の自分>意識不明のときに、から続きます。




高次脳機能障害って、知っていますか?


私が目を覚さない数日間のこと。

この障害が残るだろうと、両親が医者に告げられた、後遺症。


聞いたこともない障害。

目を覚さない娘に声をかけながら、両親はどんな不安な時間だったのだろう。



大学の友達も、ICUに駆けつけてくれたそうだ。

入室は身内のみにも関わらず、いとこなんてデタラメいいながら。

急に連絡が取れなくなった私を探して、あちこち連絡をとってくれたと聞いた。

ありがたいなぁ、、




10日程度過ぎた頃なのだろうか、

少しずつ、手足を動かすようになったのは。

少しずつ、「お母さん」って言えるようになったのは。


そこにいたのは もう一度生まれ直した、成人式を迎えたばかりの赤ちゃん。

最初に口にしたのはプリンだったと、後から母の手記で知った。




後に急性期の病院から、リハビリ病院に移ったのだろう。

実の従姉妹が、広島から大阪へ駆けつけた。


お見舞いに持って来たのは、広島で毎日列が出来るほど美味しい、チーズケーキだ。

早速いただいくと、そのケーキが美味し過ぎたんでしょう。

また明日食べようねと、半分残してあったケーキ。


みんなが帰った後の病室で、一気に飲み込む。



私にその頃の記憶はないけれど、なんなく。そんな事があったのだろうと、不思議な、ノスタルジックな感覚に、包まれても、 いる。




みんなの中にはあの頃の、でかい幼児のような私が存在していたんだなと、不思議な感覚だ。




様々な友達が交互に顔をだしてくれ、嬉しかったことだって、覚えている。うっすらとだけれど。どこかふわふわと浮いた、別の世界で会ったような感覚で。






病院の小さな箱の中では、そこが世界の中心のように、毎日を生きた。

食堂に行く時は、車椅子に乗って、チョコチョコと。足で車輪をひきながら向かった。あ、それは、だいぶ元気になってからだったかな。



ご飯を食べられる事が嬉しかったし、お父さんが一緒にいてくれて嬉しかったし、その日はカレーだったら格別に嬉しかったかもしれない。



生まれ変わった私は、今食べたごはんだって、病室に戻る数分のうちで、覚えていられなかった。これが高次脳機能障害のうちの症状の一つ、記憶障害だった。






その時付き添ってくれていた父と、今食べたメニューを思い出すことから。

母と、ベットから立ち上がる練習をすることから。


二つ目のわたしは、成長を重ねた。






二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。大学卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離の後渡米、国際結婚、1/8000人でサンフランシスコ一等地アパート、ご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー

続きます。








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