能登半島をレコンキスタする - SF作家の地球旅行記 石川編(1)

画像13

「日本海から朝日が昇り、日本海へと夕日が沈む。」というキャッチコピーをご存知だろうか。僕がさっき考えた。

日本でいちばん夕日がきれいな県は石川県だと勝手に思っている。いや海に沈む夕日なんて大体どこでも綺麗なんだが、能登半島は国道249号が西海岸沿いに通っているので、「夕日が見える何とか展望台」みたいなしゃらくせえ施設で三脚構えて待ち構えなくても道路をだらだら走るだけで実にさりげなく日の名残りを堪能することができる。自然現象に対してはなるべく自然に向き合いたい。

そう思ってこれまで幾度となく石川県を訪問し、輪島で輪島塗キーボードという謎のガジェットを見たり、なぎさドライブウェイの砂浜をトヨタ・ハイエースでドライブウェーイしたり、能登線の廃線跡をめぐって旧蛸島駅まで行ったりしたのだが、実は能登半島の最先端には一度も行ったことがなかった。

旅行者にとって行ったことがない場所とは、すなわち未征服の領土である。半島にわずかに残った未征服地とは、いわばスペイン南部に15世紀まで残り続けたイスラーム王朝であり、キリスト教陣営として見過ごせない「目の上のたんこぶ」なのである。なんとしてでも能登半島の先端に到達し、再征服(レコンキスタ)を完了させねばならない。行ったこと無い場所を再征服とは妙な言い方だがグラナダを陥落させたスペイン人もそうなので問題あるまい。

画像1

というわけで今回の行程。富山からバイクで能登半島の東海岸を走り、最先端に到達したあと輪島に宿泊。翌日はそのまま西海岸を南下して金沢へと向かう。

僕の所有するバイクは125ccのスクーターである。四輪免許があれば乗れる原付(50cc)よりはパワフルだが、法律的に高速道路は走れない。ツーリングというよりは通勤通学のバイクだが、「到達」ではなく「移動」を楽しむには丁度いいサイズだ。維持費も笑えるほど安い。ワハハ。

画像2

富山市を出て海沿いにしばらく走ると、いきなり超かっこいい道の駅に遭遇。道の駅ってもっとこう野暮ったい建物を並べて地元の特産品とか売ることで長時間ドライブしてきた運転手に実家のような安心感を提供する施設だと思っていたのだが、こんなデザイナーズ道の駅も本邦には存在するらしい。屋上から見える海も列車もたいへん綺麗である。

画像3

道の駅は営業開始前のため、缶コーヒーだけ飲んでふたたび国道160号をうりうりと進む。続いて「大境洞窟住居跡」という看板を見かける。洞窟があるなら行かねばならぬ、とドラクエ脳を発揮してそちらに進路を向ける。

画像4

「洞窟」と聞くとつい鍾乳洞のような細長い迷路を想像してしまうが、こちらは住居跡なので間口が広くて開放的、南向きで日当たり良好。原始社会サバイバルをやるなら真っ先に住居を構えたい洞窟だ。人類史にキュウべぇ達の干渉がなかったら、人間は今もこういう洞窟でウッホウッホ言ってたに違いない。

先史時代から数多の富山県民がここに住んでいたらしく、縄文から室町に至る6層もの住居跡が発掘されたらしい。住居が6層とはまさに歴史のアパートである。「ちわー縄文の階の者ですけど、イノシシ肉が余ってるんでそっちの鉄器と交換しませんか」「うち仏教伝来しちゃったんで獣肉ダメなんですよ〜」といった会話が目に浮かぶようだ。

ふたたび海岸沿いに北上する。なかなか石川県が現れない。この記事も「石川編」を銘打っているのに富山県の話ばかりしている。横浜駅SF(横浜市は出てこない)というタイトル詐欺の前科もあるのでこのままでは作家生命を失いかねない、とヒヤヒヤしたところで市街地が出現し、和倉温泉を経て能登島に入る。

能登半島は全体的に缶切りみたいな形をしているが、刃の部分に詰め物のように置かれている島が能登島である。幼児が石川県に触って怪我しないようにというメーカー側の配慮であろう。本土からの橋には90年代インターネットのようなアクセスカウンタが設置されている。

日本の島について Wikipedia で調べるとだいたい「この島が文献に最初に登場するのは続日本紀の何巻であり〜」といった歴史的記述があるのだが、能登島の項目「1980年に信号機が設置された」から始まり、それ以前のことが何も書かれていない。どうやら能登島の歴史は信号機とともに始まったらしい。神は言った「光あれ」。こうして信号機ができた。第一の日である。

画像5

能登島にはガラス美術館がある。外観が特撮ヒーローの本拠地みたいでかっこいい。

能登島を西側に脱出すると、最短距離で東端に向かうために内陸部を走る。山の中でなんもねーな、と思ってたら「のと里山空港」が突如現れる。普段能登に行くときは海沿いばかり走っていたので、こんなところに空港があるとは知らなかった。

羽田便が朝夕2往復するらしいが、昼時であったため滑走路には飛行機の「ひ」の字もなく閑散としていた。誰もいない滑走路に「ひ」の字だけ置いてあったら現代アートっぽいけどさ。

画像6

空港のそばにあるゴーゴーカレーで昼飯。「旅先でチェーン店の飯を食ってどうする」と思うかもしれないが、ゴーゴーカレーは金沢カレーなので立派な地元グルメなのである。しかし山盛りのキャベツを咀嚼するうちに「待てよ、石川県内でも加賀・能登の間に微妙な確執があったらどうしよう」と不安になってくる。ちなみに近年コンビニなどで「福島のご当地グルメ」として菓子パンのクリームボックスが取り上げられることがあるが、クリームボックスは郡山市の名物であって福島県の名物ではないことをここに明記しておきたい。

昼飯を終えて東に向かい、途中「恋路海岸」に寄る。沖合に浮かぶ弁天島の神社は満潮になると道が沈んでしまうことから奥能登のモン・サン=ミッシェルと呼ばれているかどうかは知らないが僕が呼んでいる。その時は干潮だったのでひとりで弁天島をうろうろしていると背後からカップルが来てしまう。「恋路海岸」という名前的に明らかにあちらのほうが相応しいので、おひとりさまは早々に撤退する。

画像7

日が傾きかけた頃、最東端である長手埼灯台に到着。小さな灯台がひとつあるきりの海岸である。「ようやく往年の悩みであったレコンキスタを成し遂げた」といきたいところだが、この時点でトイレに行きたくて仕方なかったので最東端を堪能する暇もなく最北端へ向かう。

途中、「空中展望台」という謎の看板を見かけて寄ってみると、崖から何もない空間に足場がヌッと突き出ていた。やたら揺れる上に展望はあまりよくない。というか手前の矢倉(この写真を撮ってる場所)のほうが眺めは良い。

画像8

下の家屋は宿泊施設らしいが、見た感じがなんだかミステリの舞台っぽい。「飲みすぎて崖から落ちたんだろうな、不注意とはいえ哀れな……」「よく見てください、絞殺の跡が残っています。これは事件です」みたいなやつ。

この展望台の奥には青の洞窟というのがあって「日本三大パワースポット」のひとつらしく、いかにもパワースポット巡りが好きそうな女性2人組がちょろちょろ歩いていた。世界は2人連れの女の子で満ちている、と『ノルウェイの森』で読んだが奥能登の森もそんなかんじである。

空中展望台から少し北にいくと、ようやく半島の最北端である禄剛崎(ろっこうさき)灯台に到着する。バイクでは途中までしか近寄れないので徒歩で階段を登る。疲れ切った棕櫚の木がいい味を出している(正確な最北端はここから少し西にあるが、ここからの経路でそばを通過する)。

画像9

あとは北岸沿いに走って、今日の宿泊地である輪島に向かう。奥能登絶景海道という自分で言うなよ感のある道路を疾走していくと、閉鎖された旧道トンネルのそばに小さな滝が流れていた。「垂水の滝」というそうだが、滝というのは水が垂れるものなので「音速のソニック」的な冗長性がある。

画像10

説明書きによると、これは海に直接注ぐ珍しい滝だそうだ。言われてみると滝というのはたいがい山の中にある。普通に考えて海に流れ込む川は地面を削って谷間を構成するから滝にはならないはずだ。これはおそらく設計担当者のミスだろう。こういう世界を作ると読者からツッコミが来るので注意しなければ。

水平線に沈む夕日を追うように走ると白米千枚田に至る。海岸沿いの斜面を階段状に区切って田んぼにしたもので、年会費2万円で1枚を「マイ田んぼ」にできるらしい。歩いてみると個人名の書かれた柱が何本も立っている。ちょうど田植えの時期で、苗の植えてある面とそうでない面がある。

画像11

ゆっくりと日本海に沈む日の名残を堪能し、この日は輪島に宿泊する。宿主からお土産に輪島塗の箸を一膳もらったが、ちょうどこの旅行直前に友人の結婚式の引出物で箸をもらってしまったため未だに開封していない。客が滅多に来ない家で予備の箸をどうしたものかと考えている。

【つづく】


↓有料部分は乗ってるバイクの説明とかです。


ここから先は

325字 / 1画像

¥ 100

文章で生計を立てる身ですのでサポートをいただけるとたいへん嬉しいです。メッセージが思いつかない方は好きな食べ物を書いてください。