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借りたバイクで走り出す - SF作家の地球旅行記 沖縄編(2)

車を貸し出す「レンタカー」が存在することは、どんなクルマ嫌いの過激派環境活動家でもご存知だろう。だが世の中に「レンタルバイク」があることを知る人は少ない。看板を掲げた専門店がなく、バイクショップが片手間にやっているからだ。知らなくても困らない度で言えば「首長竜は分類学的には恐竜でない」に近い。

しかし、沖縄本島をひとりで旅する際に「レンタルバイク」という選択肢があると途端に可能性が広がってくる。自転車で走るには広すぎる、かといってクルマのドアで遮断してはもったいない、そんな空気が沖縄には広がっている。メットも貸してくれるので飛行機の荷物を増やさずに済む。

というわけで今回は那覇市内のバイクショップで125ccのスクーターを借りた。海沿いの道をだらだら走るのには最適のサイズだ。高速道路には乗れないが、沖縄の高速には今回とくに用事はない。

必要書類を記入して車を受け取ると、店員はこちらの住所が本州であるのを目にして「道路が滑りやすいので、雨が降ってきたら気をつけてください。すぐ止むのでその辺で雨宿りするといいですよ」と注意してきた。

言われてみると、沖縄の道路は本土に比べて白っぽい。これは本土に比べて石灰石が多く混ざっているかららしい。アスファルト舗装といっても重量の9割は砂や砂利なので(Dr.STONE 知識)地質の違いが路面にモロに影響するようだ。青い海に青い空、白い雲に白い道、それが沖縄の風景だ。

沖縄行程

朝から48時間レンタルなので、この日は島の南側をまわり、明日は北側を回ることにする。2日でおおむね島全体をまわれる。

まず那覇市から西海岸沿いに南下し、糸満市に至る。まだ3月だが泳ぎたくなる海が広がっている。スイミングスクールの「イトマン」はこの地発祥なのだろう、と調べたら何も関係なくて「伊藤萬株式会社」から来てるらしい。今回の沖縄旅行最大のショック。

沖縄本島のほぼ最南端まで行き、有名な「ひめゆりの塔」を見る。米軍は南から来たので最南端が上陸地だと思い込んでいたのだが、実際の上陸地点は那覇よりも北で、人口希薄な北部があっという間に占領され、その後南側で惨劇が繰り広げられたらしい。糸満市は沖縄戦の終戦地である。

バイクで走ってみるとわかるが、沖縄は北側と南側で明らかに地質が違う。北は山がちでゴツゴツとして本土の景観に近いが、南は珊瑚礁ゆえに平坦であり、鍾乳洞が多い。沖縄戦が洞窟立てこもりのイメージと結びつくのはこのためだろう。

そんな鍾乳洞のひとつが「おきなわワールド」の玉泉洞である。ここの鍾乳石は成長が早く3年で1mm伸びる。あまりに早いので観光用に敷かれた通路の上に石筍ができつつある。ドロみたいだが触ってみると明らかに石である。

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この圧倒的成長性を利用して「壺を鍾乳石でコーティング」という展示も行われている。「30年後には純白になってるでしょう」と書かれていたが、9年後の時点で既にけっこう白かった。「悠久の時を経てつくられた〜」という鍾乳洞のイメージを容赦なく破壊してくる。大地は生きているのだ。

洞窟を出たところで「ロング肉まん」というやたら気になる商品が売られているが、飯の時間でないのでスルーする。

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バイク旅行の難点は、まったく運動してないのに脳が運動したと錯覚して腹が減る上に行く先々でうまそうなものがあるでやたら太るという点である。ちなみに自転車旅行はずっと運動してるのでほぼトントンになる。自転車ですらトントンなのだから旅の食欲の恐ろしさよ。

燃費のいい小型二輪とはいえ、タンクが小さいので一日中乗ると2回ほど給油する。そして沖縄のガソリンスタンドは料金をまじめに書いてない。デジタル数字の7セグメントを全部光らせて「888」にしてたりする。生活してて不便しないのだろうか。

ちなみに沖縄は特別措置によってガソリン税が他県より安いが、2016年頃に石油会社の撤退で値上がりしたため、現在は全国平均よりだいぶ高いらしい。離島なので多少物価が違うのは仕方ないとは思うが。

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勝連城、座喜味城といった城(グスク)跡をいくつかめぐる。本土の城と違ってやたら不規則な曲線で囲まれている。敵に攻め込まれたときを想定しているのだろうか。しかし琉球国内の戦争ってまったくイメージが沸かないな。

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おもに海岸沿いの道路を走っているので、海が綺麗なポイントがあるとちょいちょいバイクを停めてぼんやり海を眺める。いいかんじの休憩ポイントがあったりする。

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なんかすごい感じに周囲が足元が削れてきてる岩がある。こういうのが完全に削れると排他的経済水域が減っちゃうので護岸工事が必要である。

ちょっと内陸のほうを走ると墓地をちょいちょい見かける。沖縄はとにかく墓がでかい。何朝時代の何王だよ、というような個人の墓がそこらじゅうにボンボン建っている。遺族はこの前のスペースで酒盛りをしたりするらしい。霊園みたいなまとまったスペースではなく、路上にぽつんと置いてあったりする。

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翌日は米軍基地を通過して北上し、沖縄科学技術大学院大学(OIST)をチラ見して「リゾートじゃん!」と歯噛みする。くやしいので写真は載せない。

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名護市に入ったあたりで急に地形がデコボコしてくる。このあたりがいわゆる山原(やんばる)らしい。「やんばる」というと「くいな」の接頭語の印象が強い。

本部半島を海沿いに走って美ら海水族館に至る。おそらく日本を代表する水族館である。加圧水槽を使って深海魚の減圧症を避けて展示していたりする。海産物に触れるコーナーがある。めっちゃ触る。

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北端まで行きたかったのだが、魚を見ているうちに日が傾いてきたのでおとなしく撤退する。帰りは島の東側を通る。

夕飯に適当な沖縄そば屋に入ると、テーブルにコーレーグースという調味料があった。「辛いので気をつけて」と書かれていたが辛いもの好きなのでドボドボ入れた。かなり強めのアルコールが入っていて若干頭がフラフラした。あとで調べると島とうがらしを泡盛に漬け込んだモノらしい。運転者もいるので辛味よりも別の点に注意事項を書くべきだと思う。

4日目。那覇市内のホテルをチェックアウトした後、バイク屋が開くまで少し時間があるので、沖縄戦の映画「ハクソー・リッジ」の舞台である前田高地浦添ようどれに向かう。「ようどれ」は王族の陵墓らしい。

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奈良県橿原市の天皇陵とかも見てて思うのだが、観光化されてない陵墓というのはなにか独特な空気がある。周囲の音がそこに吸い込まれて静寂のポケットが作られているというか。

「線香・ウチカビ等は持ち帰ってください」と書かれていてウチカビってなんだろうと調べてみると、ウチカビで札束風呂を作っている人の記事が出てきたのでそういう感じのものなんだろう。

朝の10時にバイクを返却し、ゆいレールに乗って那覇空港に戻る。レストランで昼飯を食べていると窓の外を超音速戦闘機がガンガン飛んでいって結構うるさい。おみやげに買ったコーレーグースは研究室に置いておくことにする。


こうして僕は2018年の春に47都道府県の全制覇を達成した。となると次の目標は全県宿泊なわけだが、自転車旅行時代にほとんどの県に泊まってしまったため、こちらもあと1県でクリアである。これも人生のなにかのターニングポイントに使おうと思っている。

世間が《note の警告文が出るため名前を言えない例の病原体》で外出しづらくなっているが、不要不急な外出をできる時代がはやく来ることを祈っている。

文章で生計を立てる身ですのでサポートをいただけるとたいへん嬉しいです。メッセージが思いつかない方は好きな食べ物を書いてください。