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お願い嘘でも信じさせて お金配りは悪いこと?

私はTikTokを見るのが習慣。そしてTikTokを見ていつも気になってしまうのがお金配りの動画だ。私は日本でお金配りがTwitterで流行っていた頃、特に何も感じていなかった。ただ受け取った側の人が幸せであればよいと。無視をして何も考えないようにしていた。考えてしまえばもっと必要な人が、、、等と色々考えてしまう。でも受け取った人は何に利用するかはわからない。親に渡すかもしれないし、贅沢三昧に使用するかもしれないが社会的、経済的貢献はしているかもしれない。とにかく考える事に意味がないと思ってきた。

しかしTikTokでのお金配りには、様々な方法がある。フォロワーを増やしたいのかもしれない。自分を善人だとアピールしたいのかもしれない。キャスティングすべてが演技なのかもしれない。なのに、そう思っても私はどうしてもそれらの動画を信じたい衝動でかられてしまう。

ある動画ではホームレスの方にその方の身の上話を聞きながら、僕(撮影者)と一緒に遊んでくださいと言って様々な遊びをしながら、時には身なりを整えてあげ、歯医者などに行かせ、その様子をライブ動画で多くの人が閲覧し、donationを募る。そうすると世界中の人が閲覧している為に多額の寄付を集めたりすることができるのだ。その金額を本人に見せて、当人は驚くことが多いが、後に渡してあげるのだろう。
また他では人を試すようだが、ホームレスの人に困っているんですと、どうみても自分の方が裕福に見えるのに懇願するのだ。例えばあなたの食べているピザを半分くださいと。そうすると自分の方が困窮しているのに気持ちよく半分くれたりする。そういう人にありがとう。あなたの気持ちに感謝していますと言って、多額の金銭を直接寄付する。ホームレスの方は信じられないと言った表情で涙を流したりする。
またある時はホームレスではないが、警察官や、ガソリンスタンドに働いている人に手紙と一緒に多額の金銭を渡すのだ。あなたの仕事はとてもりっぱですと、感謝していますと心温まる言葉を添えて。そうすると、ある人はとまどいながらも、涙をこらえて、しばらく考えた後にもっと金銭的に困窮している人にお金を渡したりする。
他には何かしらの障害を持った家族に出会った時、撮影者が突然すみません、今僕はランチを買いたいんですがどうしても20ドルないんですと、貸してくれませんかとお願いするのだ。そうすると気前よくどうぞといって20ドル貸してくれる家族がいたりする。アメリカであれば、病院に通う事、病気になる事自体大変な金銭的負担を抱えていると思うのだが。その後種明かしのようにあなたのお心遣いに感謝しますと言って多額の金銭を渡す。

あなたはどう思うだろうか。

人を試すような行動をとり、それを撮影することには多少気も引けたのだが、そこで、人間のある種の真実を見ているのであれば、それは人としての希望を抱かせてくれる。

私はまだはっきりとした答えはないが、お金配りが全ての悪とは思えなくなってきた。簡単にお金を得ることが悪いとは言えない。必要な人がいるのであれば。甘やかすとかそんな問題ではなく、余裕のある人があげたい人にあげるのは自由であり、悪いことではないだろうと。

私も海外で多くのホームレスを見てきた。友人達が彼らが自分で選んだ道なのだから、金銭を渡さないようにと私に注意する中で、私は犬の餌だけは持ち歩いていた。多くのホームレスが犬を一緒に連れていたから。だから犬の食事だけはと思って、金銭ではないものを渡していた。

人生はわからない。どんなに資産を抱えたってとりあげられることも騙されることもあるかもしれない。自分が死ぬまでホームレスにならない保証等ない。そんな中でたった少し犬のご飯でも渡せた事は自分の何かの罪滅ぼしのようにも感じたし、それぐらいの勇気しか出なかったことに後悔の念も抱いている。

男友達が私に言った。「お前は素直に信じすぎるよ。」「ホラ、いつも」と。
そうなの?私はそう言っても変な詐欺に合わないような慎重さはもっているつもりだけど。でも自分のことなど自分ではわからない。人から見える自分がおそらく私なのだ。でもどんなに私がそのような人間であっても、この動画で幸せに見える人々を嘘だと思いたくない。嘘でもいい。でも嘘だと思いたくない。その自分を壊したくない。

人を信じすぎない。そんなことに時間をもう使わない。ニュースだってどんな事象にもそのまま受け入れないように気を付けている。だけど荒んだ心が自分の中で溢れ出す前に少しの希望だけは抱えておきたい。

こんなに殺伐とした世界の中でも。見えないような小さな光が私のアイディンティティのコアかもしれないって。


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