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激人探訪 Vol.20 フォトグラファーLitchi "相棒"と写し出す"瞬間"

どうも皆さん、YU-TOです。

大変長らくお待たせ致しました。

しばらく更新が途絶えていた激人探訪、晴れて復活である。

活動報告などの記事は定期的に書いていた為、書くこと自体に久しぶりという感覚は無いのだが、この激人探訪の執筆に入る前の独特の緊張感というか、少しばかり”気合い”を入れて書き始める感覚は、やはり久々に味わう。

執筆を止めている間は新しい音楽活動の準備に専念していたのだが、紆余曲折ありつつも活動の目処が立ってきたので、「ここいらで激人探訪を復活させてみるか」と思い立ち、また定期的に更新していく事にした。

ご愛読、よろしくお願い致します。

さて、復活第1弾となる今回の激人探訪は、これまでとは少し違うタイプのゲストをお招きしている。

今までも「ミュージシャン以外の仕事をしてる人で書いたら面白いかも」とは考えていたのだが、10人以上立て続けににミュージシャン(それも強烈な 笑)しか取り上げてこなかった為、「このタイミングでいきなり出してもな、、」と二の足を踏んでしまい、なかなか実際の行動には移せないでいた。

だが”復活激人探訪”は、折角だから何か新しい息吹を記事に吹き込みたいと思い、”ミュージシャン”とは別の形で音楽と関わる激人もゲストに迎えていきたいと考えている。

そんな”ミュージシャンでは無い人物"としては初となる今回のゲストは、フォトグラファーのLitchi氏だ。

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国内メタルやハードコア等の音楽に耳を傾け、SNSでそのアーティスト達の動向をチェックしているような方々であれば、彼の手掛けた写真を見たことが無い人の方が少ないであろう。

自分が所属しているTHOUSAND EYESのアーティスト写真もLitchi氏が手掛けたもので、UNDEAD CORPORATIONDEVIL WITHINなど、これまで自分が携わってきたバンドのアーティスト写真やライブ写真は、ほぼ全て彼に撮ってもらったものだ。

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それに加えて、HER NAME IN BLOOD,GYZE,SEX MACHINEGUNS,Unlucky Morpheusなどの国内メタルシーンを代表するバンドの写真も数多く手掛け、The Winking OwlFAITHなどのポップシーンに属するようなバンドの撮影にも数多く携わっている。

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Litchi氏が撮る写真は、何故こんなにも名だたるアーティスト達の支持を一身に集めているのだろうか?。

恐らくそれは、彼の撮る写真にはある種の芸術性のようなものが内包されているからであろう。

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ライブ写真においては、ステージ上の興奮が伝わってくるような静止画ながらも躍動感すら感じさせる写真を写し出し、アーティスト写真では鮮やかな色彩と美しい構図を併せ持った写真を常に写し出してくれる。

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Litchi氏が手掛ける”写真には映らないもの”を多分に感じさせる熱量の高い写真は、自分を含めた多くのアーティスト達が愛してやまない。

カメラマンという職業に就いていない人達も一眼レフを持って街に出掛け、iPhoneなどのスマートフォンカメラも進化し、素人でも高画質の写真を残すことが簡単になった現代。

そんな”一般人でも扱えてしまう物”になったカメラを自身の武器とし、持ち前のセンスと探究心を写真で表現し、音楽というフィールドで勝負し続けるLitchi氏。

何故、彼は”カメラ”という武器を選び取り、アーティスト達が発するエネルギーを写真に封じ込める事になったのだろうか?。

彼の写し出す写真は、何故こんなにも沢山のアーティスト達からの支持を受ける事が出来たのだろうか?。

今回はそんな、”アーティストから愛されるフォトグラファー”Litchi氏を徹底深掘りし、その答えを見つけていきたいと思っている。

久しぶりの激人探訪、ゆっくり最後までお付き合い下さい。

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第1章 ドラマーとして始まった音楽との関わり

Litchi氏が"音楽"という存在を本格的に意識し、関わりを持ち出したのは中学生の時。

今でこそ"写真を撮る"という方法で音楽を表現しているLitchi氏であるが、彼が最初に選んだ音楽の表現方法は"ドラム"だった。

そんなにガッツリ演ってた訳じゃないですけど、最初はドラマーでした。中学、高校くらいの時に175Rとか、そういう"青春パンク"みたいなのが友達の周りで流行ってて。その流れで「誰が何の楽器演る?」みたいな話になった時に、謎に「あっ、俺ドラムだ」って思って(笑)。地元が北海道の田舎だったんで、家の地下室にドラムセットを置いて、そこで演ってましたね。

Litchi氏は自分より少し歳下ではあるが、ほぼ"同世代"と呼んでも差し支えないであろう年代。

自分が高校生だった頃は、国内音楽シーンは"パンク全盛期"とも言える程その手のバンドで溢れ返っており、少なからず自分もその洗礼は受けて来ているのだが、それはLitchi氏も同じであったようだ。

直感的にドラムという楽器を選び取ったLitchi氏は日夜その腕を磨いていくが、ライブハウスに出演したりするような本格的な活動にまでは至らなかったという。

友達の家にもめっちゃ広い地下室があって、そこにドラムセットとかアンプとか機材を全部集めて演奏出来るようにしてて。でも活動自体は地元のホールとかでちょっとしたイベントがあった時に出たりとかくらいでしたけどね。地元は本当にカラオケすら無かったし、遊ぶところもビリヤードとかそういう変なところしかなくて(笑)。十勝に住んでたんですけど、ライブハウスがある帯広までは1時間くらい掛かってしまうので、高校生の足で機材持って行くにはなかなかの距離で、、(苦笑)。だから、家とかでは全然音楽演れたんですけど、外で発表する機会とかはあまり無かったですね。

地方出身のミュージシャンの話を聞く度に、「自分は恵まれていたのだな」と考え込んでしまう。

しかし、音楽を人前で表現する機会を得ることが難しい環境下で育ったミュージシャンほど、音楽への愛情や造詣も深く、息長くタフに音楽を続けていく事が出来ているという事実があるのも確かだ。

無限に被写体が存在する中で、敢えて"音楽"という被写体を選び続けているLitchi氏には、そのようなミュージシャン達と似たような姿勢を感じる。

表立ったものでは無かったかもしれないが、この時代にLitchi氏が経験したドラマーとしての活動は、彼の写し出す写真に何らかの影響を与えている事は間違い無いだろう。

バンドをやってたからこそ分かる事ってあるかもしれないですね。「こういう風に撮って欲しい」とか、何となくだけど「この瞬間が良いんじゃないかな?」とか。あと"ドラマーに陽が当たらない"って知ってるので(笑)。結構、ドラマーに好かれるかもしれないです。ドラマーって奥まった所にいるから見えないじゃないですか?。だから大体写真撮られるのって前の人達なんですよ。でも、俺はちゃんとドラムはドラムで撮るように心掛けてて。"ドラマーに優しいカメラマン"です(笑)。やっぱり自分がドラマーだったんで。

ライブを撮影してもらったのにも関わらず、渡された写真の中に1枚も自分のソロショットが入っていないというショッキングな経験は、ドラマーであれば誰しもが経験する"悪しき登竜門"ではないだろうか?(笑)。

だが、その分だけ渡された写真に最高の叩き姿を納めているソロショットがあった時の喜びは一入で、Litchi氏はその事を熟知している。

"ミュージシャンの気持ちを理解した上で撮影している"と言う点は、Litchiが写し出す写真の最大の強みだ。

具体性が無い感覚的なことかもしれないが、楽器であっても気持ちや意識の持ち方1つで音やノリが変わってくる事は往々にしてあり、それはきっと"写真"においても変わらないのだろう。

Litch氏の写真には被写体のみならず、彼の持つ音楽への深い愛情と経験も同時に写し出していて、彼が地元で培ったミュージシャン経験は、今も"写真"という物の中で生き続けている。

第2章 突如襲い掛かった病 そして東京へ

中学、高校とドラムを叩き続け、高校卒業後は本格的なバンド活動の開始に向けて動き出していたLitchi氏。

しかし、そんな矢先に思わぬ事態が彼を襲う。

バンド活動をこれからやっていこうって話にはなってたんですけど、脳の病気というか、怪我みたいなので左半身が痺れちゃって。今はもう大丈夫なんですけど、そこで叩けなくなってしまった事に結構「辛いな、、」となってしまって、、。そこでもうドラムは辞めちゃったんですよ。

基本的に、ミュージシャンは"身体が資本"の典型だ。

大きな怪我や病気をしてしまうリスクはミュージシャンにとってかなり大きく、自分がそうなってしまったらと考えた時に感じる恐怖は計り知れない。

しかも、それが自身ではコントロール出来ない部分での病気であったのならば、そのショックはかなり大きいだろう。

硬膜下血腫っていう脳の膜の間に血が溜まっちゃう、簡単に言えば内出血みたいなものらしくて。どこかにぶつけた時にたまたま毛細血管が割れて血が溜まって右の脳を圧迫してて、それで左半身がかなり痺れちゃったんです。しかも、ドラム叩いてる時に気がついたんですよ。スタジオでみんなで演奏してる時で、その時はツインペダルを踏んでたんですけど左足が付いてこなくなっちゃって。「何か変だな、、?。」って思って病院行ったら速攻MRI入って、「明日、手術します」って言われて、「えーーっ!?」みたいな(苦笑)。1〜2週間で退院は出来たんですけど、しばらくは頭に管付けて血を抜いてみたいな生活で、そこからドラムはやらなくなっちゃいましたね。

硬膜下血腫は、自分でも気が付かない程の打撲でもなり得るらしく、Litchi氏のように時間を掛けてじわじわと症状が出始めるという。

決して治らない病気という訳では無いらしいが、度合いによっては後遺症も残る恐い怪我である。

そんな怪我が原因でドラムから引退してしまったLitchi氏であったが、音楽自体は好きであり続け、それが東京に出てくるきっかけにもなったという。

音楽は好きだったからライブには結構行ってて。それで就職のタイミングでどうするかってなった時に、、やっぱり北海道って海を超えるからなかなかバンドがツアーで来ないんですよね。有名どころだったら割と来るけど、ちょっとマイナーなメタル界隈だと来ないから「ライブいっぱい観れるし、東京行こう」って(笑)。それで東京の会社に就職することにしたんです。

"ライブが観れる"という理由だけで東京行きを決めてしまうとは、かなり大胆な将来の選択をしたものだと思ってしまうが(笑)。

東京という街に生まれ育ってしまうと、このような「ライブが観たい!」というリスナーの熱い気持ちを忘れてしまいがちだ。

ライブを欲する渇望感のような感情を抱えて東京に出てきたLitchi氏は、彼が将来深く関わる事になる国内メタルシーンのライブに足繁く通うようになる。

当時だったら重音楽祭とか。METAL SAFARIとかが観たくて行ってたんですけど、そこでHER NAME IN BLOODとかbilo`uとか当時頑張ってたバンドを観てて。友達もいなかったんで、そういうイベントに1人で行きまくるみたいな生活を東京出てきて2年くらいやってましたね。

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Litchi氏が東京に出て来た2010年頃は国内ヘヴィミュージックシーンが盛り上がりを見せていた時代で、都内の至る所でメタル系イベントが毎週開催されていた覚えがある。

Litchi氏も名前を挙げているHER NAME IN BLOODや、CROSSFAITHなどの勢いがあるバンドが次々と出て来たのもこの時代で、振り返ってみると2010年は国内ヘヴィミュージックシーンの転換期だったのかもしれない。

実は、自分が2011年に所属していたDEATH I AMのライブで、お客として来ていたLitchi氏を見掛けたこともあり、後にその人がLitchi氏であると知った時は「まさかこんなところで繋がるとは、、」と驚いてしまった(笑)。

まだ当時のLitchi氏はごく普通の"音楽ファン"としてライブに足を運んでいた訳だが、そこから数年の月日が経ち、予想もしていなかった形で彼は愛する"ライブ"というものと関わっていく事になる。

第3章 無意識で手にしていたカメラが繋いだ縁

"人生は何があるか分からない"というのはよく聞くセリフであるが、「まあ、確かにそうだな」と納得せざるを得ない現実はこの世に確実にある。

ほとんど意識すらしていなかった自身の持つ何かが大きく作用し、全く予期せぬ方向へと人生が展開していくことは自分にも何度かあった。

そしてそれは、Litchi氏の人生にも当てはまる。

大阪のShatter Silenceってバンドがめちゃくちゃ好きで、そのバンドが高円寺HIGHでライブをするっていう時があったんですけど、その時がちょうどカメラを始めようかなって思ってたタイミングだったんです。何で始めたのかはちょっと覚えて無いんですけど、、(笑)。何か、カメラを買ってたんですよ。何で買ったのかな、、、?。最初は多分、普段撮る用のつもりで普通にみんなが買うような電気屋で売ってるエントリー機を買ってたんだと思うんです。Shatter Silenceは事前に「撮っても良いよ」って言ってくれてたんで、ライブにカメラを持って行ってShatter Silenceを撮って、あと一緒に出てたSerenity In Murderがめちゃくちゃカッコ良かったから勝手に撮らせてもらってたんですよ。その写真を後日Shatter Silence に送ったらSerenity In Murderに渡してくれたんですけど、そしたらギターのFreddy君が「これ撮ったの誰!?」って気に入ってくれて、そこから"REDLUM FEST"っていう彼らが主催する外タレとかが来るようなイベントにカメラマンで呼んでくれて、そこからまた色々なところに繋がっていったんですよね。

"何となく"な心持ちで購入していたカメラが人を感動させる自分の武器となってしまうなど、当時のLitchi氏は全く持って予想すらしていなかっただろう。

人生を変える出来事というのは、いつだって自分が考えもしなかった方向からやって来るものだ。

北海道にいる時は写真なんてやってないし、カメラ自体も持ってなかったですからね(笑)。だから、自分がカメラマンで食っていくなんて思っても無かったですよ。

どのような動機からカメラを手にしていたかは覚えていないと語るLitchi氏だが、ライブ写真というものに魅せられ、その世界に興味を持ち出したきっかけは覚えているという。

BABYMETALのライブ写真を見た時がきっかけだったかもしれないですね。外人のDana Distortionっていうカメラマンがいるんですけど、その人が撮ったBABYMETALの写真でめちゃくちゃカッコ良いのがあって。そこからライブ写真っていうものをちゃんと見るようになったのかな?。ちょうどそのタイミングで例のShatter Silenceのライブがあって。ただ、その時持ってたカメラってダブルズームキットみたいなやつだったんで、そんなんじゃライブハウスだと暗すぎて写真撮れないんですよ(笑)。それでライブを撮りにいくってことになったから単焦点レンズを買って、色々撮ってみたら全然世界が変わっちゃって。「こんなに綺麗に撮れるんだ!」って思って、そこからカメラに激ハマりしましたね。

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上の写真は、Litchi氏がカメラに傾倒するきっかけになったというDana Distortion撮影のBABYMETALの写真。

モノクロ加工がシリアスな雰囲気を醸し出し、幼さを残しながらも力強い表情を見せるSU-METALの一瞬を捉えた1枚で、静止画ながらも演者の"念"を感じさせるところは、現在のLitchi氏の写真に通じるものがあるように思う。

全ての物事のタイミングが合致し、その勢いに乗ったLitchi氏は様々なバンドとの縁を繋ぎ、国内メタルシーンの熱量を写し出すカメラマンに急成長。

自身が好きで聴いてきたバンド達のツアーにも帯同し、お客としてではなく、"カメラマン"としてファインダー越しにその姿を見ていくことになる。

今考えると、初めて撮ったライブイベントのメンツもShatter SilenceSerenity In Murder,Phantom Excaliver,兀突骨で「あれ?今だったら全部撮ってるぞ?」みたいな(笑)。それで、そのイベント以降もSerenity In Murderがライブをやる時はちょこちょこ撮ってたんです。そしたら、その中でHONE YOUR SENSEとのライブがあって。前からHONE YOUR SENSEもめっちゃ好きで、北海道来た時とかも観に行ってたんですよ。だから「写真撮らせてもらえないですか?」ってお願いして撮らせてもらったら、そこからすごい仲良くしてくれて、一緒に名古屋までツアーに行ったりだとか色々と良くしてくれたんです。そんな感じでしばらくHONE YOUR SENSEにくっ付いてたらUNDEAD CORPORATIONとライブする機会があって、そこからUNDEAD CORPORATIONとも仲良くなって、そこからまたGYZEとも繋がって。そしたらその後すぐにGYZEとHER NAME IN BLOODの2マンがあり、そこからHER NAME IN BLOODを撮るようになってという感じに色々なバンドを撮らせてもらえるようになって、ちょっとずつ繋がりが増えていった感じですかね。

自分がLitchi氏と出会ったのは、ちょうどこのくらいの時期の事。

UNDEAD CORPORATIONに所属していた時期で、HONE YOUR SENSEとの2マン公演の際に写真を撮ってもらったことがきっかけで、自分個人のドラムサポートの現場などにもLitchi氏を呼ぶようになった。

ライブ当日は「ああ、今日カメラマンの人いるんだなー」と思ったくらいで言葉は交わさなかったのだが、後日送られてきた写真の出来栄えがとても良く、「これは凄い!」と興奮させられた事は未だに覚えている。

そのように、Litchi氏が撮る写真には"見た者を感動させるパワー"のようなものがあると思うのだが、彼は全て独学でカメラの技術と知識を吸収し、自身のものにしていった。

カメラは本当に全部独学で学んでいきましたね。"師匠"みたいな人もいないですし。昔からパソコンとかも得意だったんですけど、それを勉強する時も全部自分で色々試して、トライ&エラーで色々な事をやりまくって学んでいったので。それも結局、"好きだったから"上手くなったと思うんですよ。カメラもレンズを変えた瞬間から一気にハマっちゃって、YouTubeとかでライブ写真撮ってる外人とかの動画を観て、観た事を実際にやってみるという事を繰り返しながらスキルを身につけていったんですよね。でも、"勉強してる"とかそういう感じじゃなくて、もう"好きな事をやってたらいつの間にか色々知ってた"みたいな、そういう感じだったんです。オタク気質なんですよ、多分(笑)。ハマると"ガァーっ"って行っちゃう。好きだから調べちゃうんですよね。凝り性ですね。料理とかもそうだし(笑)。結局、バンドマンとかクリエイターの人って皆んな凝り性だと思うし、凝り性じゃないと"プロ"って呼ばれる人には多分なれないです。そういう人達って勉強と思ってやってないから、そこの違いだと思うんですよ。勉強と思ってやるか、そう思わないでやるかで伸び方も変わってくるだろうし。俺多分、カメラの学校とか行ってたら今絶対にカメラやってなかったと思います(笑)。

"好きこそ物の上手なれ"とはまさにこの事。

人を何かに駆り立てる動機は、いつだって"have to"よりも"want to"なのだ。

"want to"を動機にし、積極的にクオリティを磨き上げていったLitchi氏が写し出す写真は、唯一無二の輝きを放ってミュージシャン達を魅了し、彼は何度もライブ現場に呼び出されるようになった。

Litchi氏本人は、自分が写し出す写真のどういった部分にバンド達が魅了されていると考えているのだろうか?。

第4章 Litchi氏が写し出す圧倒的熱量を持った"瞬間"

Litchi氏の写真は、ライブ現場の雰囲気をそのままパッケージングして閉じ込めたようなエネルギーを持つ。

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静止画にも関わらず、"勢い"や"静けさ"などの"動"や"音"の要素も感じさせ、色彩豊かで鮮やかな色合いの写真には、現場で感じられる以上にライブの情景を表現出来ているとすら感じるのだが、Litchi氏本人は自分の写真の魅力はどこにあると考えているのだろうか?

多分、"瞬間が止まってる"っていうのは結構あると思ってて。例えばヘドバンをしてるタイミングだとかドラムを振り切って叩く瞬間が止まってて、ブレてない。あとは"変な顔しているのは絶対に渡さない"っていうのとか(笑)、あとは構図だとか、そういう細かい部分でバンド側が貰ったら嬉しいって思ってもらえるようにはしてて。最近はめっちゃくっきり写ってる解像度の高い写真しか渡してなくて、とにかくブレた写真が無いようにはしてますね。その人の表情とかも俺が「良い!」と思ったものを渡しているし、あとは色味も研究しているので、それを分かってくれて、気に入ってくれる人が増えてるのかなという感じはしますね。

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"ライブを撮影する"というのは、明暗が極端に別れた空間の中で常に動いている被写体を撮るということ。

良いカメラを使っているからといってそれだけで良い写真が撮れるという訳ではなく、"ライブハウス"という特殊な現場で写真を撮る難しさは、少しでもカメラを触ったことがある人ならば誰もが理解できるはずだ。

そんな環境下でメタルバンドを撮り続けた事は、カメラマンとしてのLitchi氏を大きく成長させたという。

基本的なカメラの設定があって、そこからいじっていくんですけど、やっぱりライブハウスによって照明の光らせ方とかって全部変わってしまうので。それで、メタルバンドってやっぱり動きが他ジャンルのバンドより圧倒的に激しいんですよ(笑)。ヘドバンするわ、ジャンプするわ、みたいな(笑)。でも最初からメタルバンドを撮ったっていうのはすごく良くて。「これを止める為にはどうしたら良いんだろう?」って考える事が出来て、それでカメラの設定をいじり出して、本当にトライ&エラーって感じで「このくらいの速さで動いてるなら、"この設定でちゃんと撮れる"っていうのをドンドン発見出来ましたし。そこはもう全部現場で研究していきましたね。

現場でのLitchi氏は、常にファインダー越しに見る演者と格闘しているといった印象だ。

一度、ダンサーと演奏する仕事の撮影をLitchi氏にお願いしたことがあったのだが、「やっぱりダンサーってブレやすいですね」と、ダンサーの動きを止める為に適切なレンズや設定を瞬時に現場で組み替え、完璧なショットを写し出すその姿に「ああ、やっぱプロだな」と感動させられたこともあった。

それに加えて、ライブハウスという場所は狭い空間であるが故に、"如何にお客の邪魔をせずに撮るか"という見極めも必要になってくる。

時たまSNSなどでも、"カメラマン邪魔論争"が勃発している事もあるが、撮影される側の自分としては、Litchi氏が邪魔であると感じたことは一切無い。

この部分に関して、Litchi氏はどのようなこだわりを持っているのだろうか?。

難しいんですけど、俺身長が低くて159cmとかなので、そこも色々動く時には便利で(笑)。あとは全力で謝りながら行きます(笑)。本当に"申し訳ない顔"をして、、いや、本当に「申し訳ないな、、」って思ってるんですよ。やっぱりお客さんはお金払ってライブを観に来てるわけじゃ無いですか?。その人達に嫌な思いは絶対にさせたくないんで。だからめちゃくちゃ空気を読んで、動けそうなところは動いていくというか。やっぱり、そこで結構「あのカメラマン邪魔だった」って言われちゃう人とかもいると思うんですよ。俺も見たことありますし。ただそこは"俺が俺が"じゃなくて、俺もバンドが好きだし、お客さんと一緒にライブを楽しみつつ、一緒に歌いながら撮ってたりもするんで。やっぱり楽しみながら撮る事でしか良い写真って出来ないし、我が強い写真ほど微妙というか。やっぱりバンドとお客さんあっての写真だと思いますし、お客さんからも「Litchiさん、本当に邪魔にならないですね」と言ってもらえてます。俺はお客さんと待ってる間に結構話したりもするので、そういう関係値もあるかもしれないですけどね。「写真楽しみにしてます!」って言ってくれるお客さんも増えたし、やっぱり最前列のお客さんってずっと来てるお客さんが多いじゃないですか?。その人達が「Litchiさん、ここどうぞ!」って言ってくれたりだとか(笑)。それは上手くコミュニケーションが取れてないと出来ない事なんで、そういうのも大切かもしれないですね。

技術だけではなく、このような"現場力"のようなものを持っているのも、Litchi氏の特徴の1つだ。

バンド側とオーディエンス側、両方の立場を考えて行動するからこそLitchi氏は確実な信頼を双方から得ることが出来て、数々の現場に立て続けに呼ばれる事が出来ているのだろう。

そして、その信頼はもちろん写真のクオリティにも直結する。

Litchi氏が撮っているからこそ、バンド側がカメラに向けて見せられる表情もあるだろうし、オーディエンスとの信頼関係があるからこそ入り込める絶妙な角度だってあるはずだ。

Litchi氏が写し出す熱量の高いリアルなライブ写真は、そんな彼の"現場力"の結晶なのである。

第5章 ターニングポイントとなった撮影

アーティスト写真からライブ写真まで、数々のバンドを写真に収めてきたLitchi氏であるが、自分の中でターニングポイントとなった撮影などはあるのだろうか?。

うーん、、すごい難しくて、何個もあるんですよ。もう本当に幸運な事に、今までずっと自分が好きだったバンドに出会えてこれたっていうのが凄いデカくて。それこそ自分は東方メタルアレンジをめちゃくちゃ聴いてきた人間で、Undead Corporationとか昔のCDめっちゃ持ってるので(笑)。HONE YOUR SENSEとかもそうだし、やっぱり昔から聴いてきたバンドを撮れるってめちゃくちゃ嬉しかったですよ。

Litchi氏はカメラマンという以前に、国内メタルシーンを愛するファンなのだ。

そんな愛があるからこそ、彼は写真というものに熱を込められ、バンド側が興奮出来る写真を提供することが出来る。

自分の中で"BABYMETALを撮る"っていう目標は常にあって、「そこまでの道筋をどうしようかな?」とは常に考えてたんです。それで、友達にToshiki君っていう英語とカメラが出来るギタリストがいるんですけど、彼はめちゃくちゃギタリスト界隈に知り合いが多くて、その彼がBABYMETALでギターを弾いてたISAOさんと繋げてくれたんですよ。「ISAOさんのバンドの写真撮ってみない?」って言ってくれて、「マジか!?」って感じで現場行ったらISAOさんいるしBOHさんいるしで「ええっ!?」みたいな(笑)。それでISAOさんも気に入ってくれて、アー写を撮らせてもらったりとかもして。そういうところからも色々な繋がりが出来たりもしましたね。

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"神はリンゴを求めたらオレンジをくれる"という、"願望というのは本人の望んだままに叶えられる訳ではない"という意の言葉をどこかで読んだ事があるのだが、正にこの事だなと、思わずニヤリとしてしまう。

また、先日惜しまれつつ解散したHER NAME IN BLOODのラストライブでの撮影もLitchi氏が担当し、その思いの丈をSNSに当日の写真と共に綴っていたが、やはりHER NAME IN BLOODとの出会いもLitchi氏にとって大きかったと話す。

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やっぱり、HER NAME IN BLOODを撮れたのはめっちゃデカかったですね。自分がメタルを聴き始めたのって中学の時にSLIPKNOTを聴いた事がきっかけだったんですけど、19~20歳までは殆ど洋楽しか聴いてなかったんですよ。でもそのくらいの歳の時に知り合いが「日本にめっちゃ凄いバンドがいる」ってHER NAME IN BLOODを聴かせてくれて、それがきっかけで、ちゃんと日本のバンドをチェックするようになったんです。他にも色々なバンドを知ったけど、HER NAME IN BLOODだけは常にずっとカッコよくて、ずっと聴いてて。それで出会えて、写真撮るようになって、、、最後の3年間でしたけど、本当にそれは凄かったですね。

Litchi氏が愛する国内メタルシーンへの入口となったバンドを撮れた事は、彼の人生を変えた出来事で、とてつもなく大きな意味のあることだったのだ。

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HER NAME IN BLOODという存在は、Litchi氏の人生に大きな影響を2回も及ぼした。

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本当に、日本で1番好きなバンドだったんで。そんな激烈に好きなバンドの写真を撮れて、一緒にツアー周ったりだとか出来たのって、凄い奇跡だなって思います。サマソニとかのデカい会場でも写真を撮れたりもして。マウンテンステージ、めちゃくちゃデカかったんですよ(笑)。あれを1人で撮るのってマジで大変で。もう客席側まで行くのにめちゃくちゃ遠回りしなくちゃいけなくて、HER NAME IN BLOOD恒例の最後の竿芸を撮り逃すっていう(笑)。最初にやらかした失敗ですね(笑)。ファンの方でもバンドの方でも、HER NAME IN BLOODの写真がきっかけで俺を知ってくれた人って結構いると思うんですよ。本当に色々な所に連れてってくれて。そこまで繋げてくれたバンド達にも感謝してますよね。本当に色々なバンドに助けられて。お客さんにもそうだし。

バンドは無くなってしまったかもしれないが、HER NAME IN BLOODがLitchi氏の中に残したものは一生消えることはないだろう。

彼らからもらった数々のものを手にして、これからどのような縁をLitchi氏は繋いでいくのだろうか?。

次のLitchi氏の大きなターニングポイントはどこになるのか、自分はそれが楽しみでならない。

第6章 "プロカメラマン"に求められる技術

昨今の世の中ではスマートフォンのカメラが目覚しいほどに発展し、素人でも画質の良い鮮やかな写真を撮る事が容易になった。

自身の1番可愛い(カッコいい)撮り位置や、景色が良く見える構図を撮る際に使う"映え"という言葉も世の中に浸透し、街中で一生懸命写真撮影に興じている人々もよく見掛ける。

そんな素人が当然のようにカメラを扱えてしまえる現代において、写真を撮り、それを提供することで対価を得る"プロカメラマン"に求められるものは何だとLitchi氏は考えているのだろうか?

"俺が撮ってるかどうか"って部分は結構あって、カメラマンって沢山いるんですけど、俺が撮った写真と別の人が撮った写真ってやっぱり違うんですよ。ドラムでもYU-TOさんが叩くドラムとMAKI(HER NAME IN BLOOD)が叩くドラムって本質がやっぱり違うじゃないですか?。そういう事と同じで、それで俺を選んでもらってたりもするんで。多分、俺がiPhoneで撮った写真と素人の人がiPhoneで撮った写真って全然違うんですよね。根本的な色々な基礎とかそういうのが分かってる人と分かってない人で全然写真が変わってくるんです。

機材面だけを何とかすれば、すぐに良い写真が撮れてしまうと勘違いしてしまう事も多々あるが、実際はそうでは無いのだ。

当たり前な事かもしれないが、その機材を操る者のセンスや技術が無ければ人を感動させられるものは作り出せない。

それは楽器だけではなく、カメラにおいても同じ事が言えるみたいだ。

分かりやすい例で言うと、立ってる人を撮る時って大体の人は自分の目線で撮るじゃ無いですか?。ただそれだと、レンズって湾曲してるから足が短く写っちゃうんですよ。俺はそれを知ってるからカメラを逆にしたりして、カメラを撮る人の腰位置に合わせたりするんです。そうすると歪まない、その人本来の姿で撮り出せたりだとかするので、そういうのを知ってるか知らないかの差だと思うんですよね。だからカメラだろうがiPhoneだろうが、"撮る人"なのかなって。ちょっとの差なんですけど、本当に変わっちゃうんで。多分、そういうところですよね、カメラマンをわざわざ使って写真を撮ってもらうのって。暗いところでもちゃんとピントを合わせて明るく撮れるかとか、そういう"技術力"が大事なんだと思います。

"微差が大差"という言葉はどの分野においても通用する。

Litchi氏が持つ写真撮影技術は、1つ1つは細かい事なのかもしれないが、それを1枚の写真に結集する事で、生まれる写真のクオリティに素人とは雲泥の差が生まれ、彼にしか映し出せない瞬間を収める事が出来るのだ。

俺らもそういう技術を上手くまとめてSNSで発表して皆んなに知ってもらわないとなとは思うんですけどね。例えば、上手いギタリストって安いギター弾いても上手いじゃ無いですか?。そういう"弘法筆を選ばず"みたいな感じで、「カメラって何でも撮れるな」って思った時期が来て。でもやっぱり最初って、それを知らないから、"良いカメラを買って"とか"良いレンズ買って"とかってなるんですけど、安いカメラでも設定とかそういうのをちゃんと理解すれば、良い写真って全然撮れちゃいますから。前に、80万円のカメラと俺のカメラで同時に撮影をやった事があるんですけど、全く違いが分からなかった(笑)。

楽器でもそうだが、カメラという物も収集癖のような感覚を刺激しやすく、無闇やたらに機材を買ってしまったり、「ある程度の値段の物じゃないと撮れないんじゃないか?」といった不安を覚えてしまいやすい。

近年ではカメラに興味を持つ若い人達も増えて、家電量販店に何台ものカメラが溢れ返っているが、そんな時代の中でもLitchi氏の姿勢は単純明快だ。

もうあれこれ考えてるより、安い物でも良いからカメラ買って「まず写真撮りに行けよ」って思いますね。多分、それが1番の上達への近道。とりあえずカメラを持ち歩いて、色々な所で写真撮ってみたいな感じで。それで、撮ってるうちに"撮りたいもの"が見えてくるんですよ、きっと。「ああ、自分はこういう写真が撮りたいんだな」っていうのが分かってきて、そこで"これを撮るにはどうしたら良いのか?"っていうのが次の段階で出てくると思うので、そこから自分で調べたり、分かる人に聞いたりしたら良いんだと思います。

情報が過剰なほど一方的に与えられ、自分が本当は何を欲しているのかすら分からなくなってしまう傾向がある現代だが、与えられるばかりではなく、まずは自分の足で自分の欲するものを探し出す事が一番大切だ。

それが分かった時に、それを手に入れる為の手段を自分自身で掴みに行く。

物事を上達させる道のりというのは、どの分野でもそう変わらない。

そしてLitchi氏は、"どういう写真にしたいのか?"という"理由"を、使うレンズや構図にしっかりと反映させる事が良い写真を撮るために重要だと考え、1つ1つの物事を選ぶ"意味"を彼は常に考えて、日々シャッターを切っているようだ。

第7章 "理由"を写真に込める

何かを生み出す際、"何となくやった事"が功を奏すことも無くはないだろう。

しかし、何か明確なビジョンあるものを生み出す際は、1つ1つの過程に"理由"をを組み込まなければ、描いたものは完成しない。

レンズの特性というか、"このレンズはここから撮ったらこうなる"みたいな事を知ってる人って結構少なくて。分かりやすい例で言ったら魚眼レンズ。あれってめちゃくちゃ広く写るんですけど、周辺が歪むんですよ。それで集合写真とかを撮ると外側にいる人達がめっちゃ伸びちゃったりだとかして、そういう特性を知らずに、ただ"湾曲してカッコ良い"って理由だけで使っちゃってる人が多いと思うんです。それも編集で直せるんですけど、そこも出来てなかったりだとかして、、。まあ、ちょっと"ディス"になってしまうんですけど(笑)。だから、理由があってそのレンズを使ってる人って多分めちゃくちゃ少ないと思ってて。"何でこれを使うのか?"っていう部分を考えて、もうちょっと先に行かないと写真の進歩って無くなっちゃうのかな?とは考えてますね。

"特性"というのは、過度に1つの部分が抜きん出てしまうという事で、それによって犠牲となる部分も同じくらいあるという事だ。

そこも理解した上で、撮りたい写真に合わせたレンズを選び取る事が重要だとLitchi氏は言いたいのであろう。

また、Litchi氏は写真の構図という部分でも、昨今の流行に思う事があると話す。

あと、写真を斜めに撮ってる人とかも結構いて、、。いや、いいんですよ?(笑)、いいと思うんですけど、多分理由無くやってるんですよ。"何を意図して斜めにして撮ってるのか?"とか、そういう部分を俺は結構見るので。何か、「ステージとか空とか平行線があるのに、何でそれをわざわざ斜めにして撮るのかな?」って思っちゃって、傾いた写真に見えるというか、人が落ちて行っちゃいそうに見えるんですよね。「何でこう撮るんだろうな?」って調べてみたりもしたんですけど、"何となくカッコ良いから"みたいな理由が殆どで。昔の絵画とかで、斜めの絵って無いんです。抽象画ではありますけど、人物の絵は垂直水平でそれは構図として守られてる。でも、日本のアニメって、割と構図が斜めなんですよ。だからそういうので刷り込まれてるのかなって。

確かに、斜めの角度で撮られている写真はどこか時空が歪んだような非日常感があり、それはそれで良いとは思うのだが、それは結局のところ"非日常感を出すこと"を意図して撮られた写真だからなのだろう。

しかし、Litchi氏が撮りたいのはあくまで"人"であり、アーティスト写真における構図もそこを常に意識して彼は撮影に臨んでいる。

ロケーションとか抜け感とかもありますけど、主題はあくまで"人"なので。だから割と背景をぼかして、"どこで撮ってるか分からないけど抜け感はある"みたいな写真にする事を心掛けてて。全体が写り過ぎちゃうと、主題がボケちゃうんですよ。だから俺は分かりやすく、その人が際立つような写真を撮るようにしてるんです。

自分は、"リアルで生きた写真"という特徴がLitchi氏の写し出す写真にはあると思うのだが、それを感じるのはこのような構図への意識があるからなのだと、今回話を聞いてみて感じた。

目の前で演奏しているように感じる"リアルさ"は、激しい動きをブレずに捉えた水平垂直な絵画的手法を守る事で滲み出ているのだろうし、ロケーションと人物が上手く溶け込んでいるようなアーティスト写真は、背景を生かしつつも"人物"に焦点をあてるという意識がしっかりとあるからこそ撮れるのだろう。

"理由付け"っていうか、道筋をちゃんと考えておくと後から「これってこうだったんだ!」みたいに色々な事が後から繋がったりする事もあるので。結局、料理とかと同じで良い素材を使えば技術との相乗効果で完成度が上がるじゃないですか?。それと一緒で、元の撮ってる写真がダメだとやっぱりダメで、編集技術があったとしても、そんなに良い写真にはならなくて。だから素材をちゃんと撮っておかないと、編集した時点でも微妙になるんです。

"良い素材"というのは、様々な面において"理由"があるものであると言える。

どんな明るさで、どんな構図で、どこに焦点を当てるのか?

それを意図した上で撮られた素材は、どんな編集をしてもカッコ良くなるものだ。

これは音楽においても同じで、結局意図なく作られたフレーズはどんな編集を施してもカッコ良くはならないし、根本的に"鳴らせていない音"を鳴らす事は出来ない。

そういった部分でも、写真と音楽には共通点がある。

"目に見えるものである"写真と"目には見えないもの"である音楽とが共通しているのは不思議な感覚を覚えるが、"理由"や"素材"の大切さは、どの分野においても普遍なのだという事を、Litchi氏の話を聞いて痛感させられた。

"しっかりと理由付けされた素材"

今後も、それを大切にしていきたいものである。

第8章 広がる活躍の幅

近年のLitchi氏は活躍の幅をさらに広げ、格闘技などの音楽とは別の業界でもシャッターを切り、その現場での"瞬間"を写真に写し出している。

SEX MACHINEGUNSのライブでだったかな?。そこでマリアパ(※訳註:マリオンアパレル。多くの格闘家をサポートしているアパレルブランド)の人に「格闘技の写真とか撮ってみませんか?」って声を掛けられて、試合を撮らせてもらった事がきっかけでしたね。格闘家の方然り、女優さん然り、色々な方を撮らせてもらって。ちょうどコロナでライブが無かったじゃないですか?。でも、格闘技の試合って意外とライブよりやってて、試合の写真とかアパレルの写真とかをその時期に撮らせてもらって、マリアパには助けられましたね。

去年、音楽業界を襲った危機は記憶に新しく、ミュージシャンだけでは無く、ライブハウスやその業界に関わる人達の仕事も激減してしまっている現状があるが、持ち前の"繋がりの力"で、Litchi氏はその状況を乗り切った。

ライブ写真と格闘技の試合写真では、求められるものや勝手が違うとも思うのだが、Litchi氏はどのように考えているのだろうか?。

"動いてるものを撮る”って部分では、ほぼ一緒だったんですよね。ただ、あまり動けないんで、そこだけかなっていう。リングサイドに行くのって結構難しくて、席から撮ってたりもするので。そういう難しさはありましたけど、写真撮ってる時の感覚はあまりライブと変わらなかったですね。

っっっd

大小関わらず、数々のライブハウスで写真を撮ってきたLitchi氏の経験は格闘技の現場でも活かされた訳だが、この格闘技の試合を撮る経験が、また更に彼の撮るライブ写真を発展させたという。

格闘技の撮影をした事でまた上手くなって、結局またライブ写真を撮った時にも上手くなってるみたいな事もあるんですよ。やっぱり色々な事を知っておくと、その場で考える事も変わってくるし、「これが"ああ"だったから"こう"だったな」みたいに繋がる事が多くなったんです。"回路が増える"みたいな。格闘家ってバンドマンより速く動くし、パンチもめちゃくちゃ速いんですけど、俺はそこをブレさせたくないので。そこでまた設定を考えてやっていくと、ライブの時にまた更に動きを止められる写真が撮れたりだとか、"ここまでだったらいけるな"みたいな設定が分かってきたりとかして。あとは構図っていうか、"ガァーっ!"と戦ってる瞬間、相手を殴ってる瞬間をどう見せるか?っていうのを考えながら撮ってるんで、そういう"ここにこういう風に人がいたらカッコ良いな"っていう構図の勉強になって、それがライブハウスでも活かされたりしましたね。ただ、格闘技は読めないですね。始まって5秒でKOとか余裕であるみたいなので(笑)。もうそういう時があったら「撮れませんでした!」って言いますけどね(笑)。まだそういう試合には出会ってないですけど、「撮り逃せないな」って心配は常に持ってます。

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主戦場とは違う現場での経験が自身の中で蓄積され、主戦場に戻った時の物の見え方が変わってくるという経験は自分もした事がある。

今までとは違うタイプの現場を経験する事は緊張感が伴うこともあるが、様々なものを自分の目で見て、それを消化する事でしか見えない世界が存在するのもまた事実だ。

見てきたものとか聴いてきたものとかで、絶対にセンスって変わるじゃないですか?。例えば昔はアニソンとか大嫌いだったし、V系も「声気持ち悪っ!」とか思ってた時期もあったんですけど、でもそういうのを超えて「良いものは良い!」ってなった時って、めちゃくちゃ強いなって思って。その良いものを色々抜粋してきて写真に消化すれば、また更に良いものが出来てくると思うんです。格闘技もそうだし、ライブもそうだし、それぞれのジャンルの良いところを一気に詰めて今自分が出せるものを出したら、写真がまたカッコ良くなったりするだろうし。色々なジャンルの現場にいれたのも、写真が上手くなるきっかけになってるのかなと思いますね。

Litchi氏の活躍するフィールドが更に広がり、その全てが写真に集約された時、彼の写し出す世界はどう変わっていくのか?。

彼はこれからも見た事もないような構図や"あっ"と言わせる風景、被写体の"念"が込められた写真を次々に見せてくれるだろう。

Litchi氏が写し出す写真の進化には、これからも目が離せなさそうだ。

最終章 "相棒"と共に目指す表舞台

"好きなことを仕事にする"。

誰もが憧れ、誰もが目指し、そして誰もが途中で諦めるような、難しい事であるようにも思える。

好きだったことが好きでなくなり、好きだと思っていたことが実は他者からの植え付けだったという事に途中で気が付く。

しかし、本当に好きな事というのは、どんなに時間が経っても絶対に嫌いになるという事は無い。

カメラは"勉強してる"とかそういう感じじゃなくて、本当に"好きな事をやってたら教本に載ってる事とか全部知ってた"みたいな感じだったんですよ。それで勤めてた仕事を辞めて、「写真の仕事しよう!」って思って、ライブ撮影以外を撮った事がなかったから、主に人を撮る撮影スタジオに転職して年間で2000人以上の人の写真を撮ってきたんです。休憩時間もスタジオの機材使って研究したりとかしてて。まあ自分としては遊んでただけなんですけど(笑)。そういうのも勉強だとあんまり思ってなくて、単純に"知りたいからやる"っていう感じでしたね。

好きな事に出会うこと、そしてその出会った好きな事に正直である事。

本当に何かを上達させる為には、その過程を踏むことが大切なのかもしれない。

Litchi氏にとってカメラとは、究極の趣味の一つでもある。

色々趣味はあったんですけど、全部削ってカメラにしたんで。趣味兼仕事、、、まあ"仕事"だとはあんまり思って無いですけど、楽しいから(笑)。「楽しいことしてお金もらえて最高だな!。」みたいな感じなので(笑)。楽しくていつの間にか出来るようになってたことも沢山ありますし。自分がこれだけ続いてる趣味ってなかなか無くて。だからネットゲームを辞めて、ロードバイクを辞めて全部カメラの機材にしてって形で意図的に他の趣味を削っていったんです。「カメラにもっと時間を使いたいな」って思って。

時間というのは有限だ。

どんなに才能がある人も、恵まれない環境にいる人も、"1日は24時間しか無い"という条件だけは変わらない。

その限られた時間の中で自分は何がしたいのか?。

何かを極めるというのは、常にそれを考え続けることでもあるのだ。

好きなことを仕事にしていくというのは、"楽をして稼ぎたい"という考えとは全く異なる。

その"好きなこと"にはプライドを持ち続け、クオリティを上げていく事には全身全霊で注力していかなくてはならない。

結構、自分は他のカメラマンに対して実はバチバチしてるんで(笑)。現場で「今日一緒に撮影させて頂きます!」とか言われると、「マジでぶっ殺してやる!」って思いますね(笑)。もちろんそれは写真的な意味で。「絶対にこいつより良い写真撮ってやる!」みたいな気持ちは常に持ってます。

音楽や写真というのは勝ち負けの世界ではないが、「絶対に負けない!」というある種のプライドは、一線で活躍する人物ならば誰もが持っているだろう。

それは裏を返せば、"誰かに認められたい"という承認欲求だ。

ネガティブな面も多く持つ承認欲求だが、この欲求を完全に失ってしまったら、写真でも音楽でも、"何かを表現して発信する"という事を人はしなくなってしまうのではとも思える。

「自分の方が良い!」っていう自己承認欲求じゃないですけど、やっぱりそういうのはありますよね。でも、最近は実際に「写真良いね!」って言ってくれる人が増えてきてるので、それは凄いありがたいし、嬉しいなって思います。バンド側からもお客さん側からも言ってもらえて、、。やっぱり褒められたら伸びるので(笑)。

写真というのは被写体がメインで、それを実際に写し出した人の名前は出ない事も多い。

しかし、人が輝いている一瞬の姿を捉え、写真という形で残していくという事にも当たり前だが技術とセンスがいる。

Litchi氏はその事をもっと世間に知ってもらい、役割で言えば"裏方"であるカメラマンという仕事を今以上にメインストリームな存在にしていきたいと考えていると話す。

"カメラマン"っていう職業をもっと表の職業にしたいです。「Litchiが写真撮ってるバンドってカッコ良いんじゃないか?」って思ってもらえるようになれば、そのバンドの人気も上がるだろうし、そういう所でもっと協力出来るようになれたら良いなって思いますね。別に露出したいわけでは無いんですけど、"Litchiが撮ってる"っていう意味をもっと大きく出来たら良いなって。

多くのバンド達がLitchi氏の写真に魅せられ、彼を現場に呼び続けるという事実は、彼の思い描く未来がもうそこまで来ているという証なのでは無いだろうか?。

自身を表現する武器をドラムからカメラに持ち替え、日々ステージに立ち、"生"で起きている一瞬一瞬を写真というものに封じ込め続けているLitchi氏だが、彼にとってカメラとは、写真とは、どういう存在なのだろうか?。

カメラはもう"相棒"でしか無いですね。ずっと持ってるし、自分が思ってるもの出してくれて、もう手放せないです。趣味でもあるし、仕事にもなってる。すごい幸せな事ですよね。もう多分、一生持っていくんだろうなって確信出来た物というか、多分何があっても写真だけは撮り続けていくと思うので。写真だけは辞めないように、、っていうか"辞めない"と思います。

これを書いている数日後、またLitchi氏に写真を撮ってもらう機会がある。

自分のどんな表情を、今回の写真で彼は写し出してくれるのだろうか?。

考えてみれば、Litchi氏に写真を撮ってもらう時は、何時だって自分にとって大事な転換期となるであろう時期だった。

自分の新たな音楽人生の門出は、彼が手掛けたアーティスト写真と共に始まり、デビューライブや人生最大キャパなどの自分にとって大事な意味を持ったライブでは、彼の写真がその時見た最高の景色を鮮明に写し出してくれていた。

Litchi氏は、音楽シーンにおいて"そういう役割"を担っているのだろう。

その役割は、現時点では"フォトグラファー"という肩書きになる他ないと思うのだが、もしかしたら今後はもっと違う、彼にしか持ち得ない唯一無二な肩書きを持つことになるかもしれない。

それがどういう肩書きになるのかはもちろん現時点では分からないが、Litchi氏の写真には、それだけの力がある。

Litchi氏が写し出してくれる"今の自分"と対面するのが、とても楽しみだ。

あとがき

久々の激人探訪、如何だったでしょうか?。

激人探訪を書くのは大変な面もありますが、書き上げる事で見えてくるものや、気付かされる事が沢山ある事を久々に書いてみて再確認出来ました。

今回の執筆で1番に気付かされたことは、"好きな事を追求していく事の大切さ"です。

とにかく、取材中に何度もLitchiさんは"カメラが好き"、"写真が好き"という種の発言をしていて、「この人は本当に好きなことを仕事にしているんだな」という事がビシバシと伝わってきましたね。

「自分はこれが好き!」という物事に巡り会うのって、そんなに簡単な事じゃない。

そして、その好きな事に正直になり、「これをやっていこう!」と腹を括れる、というか、そういう感覚もなく"ただやりたいからやる"というスタンスで、その好きな事を続けられるのは、さらに簡単じゃない。

でも、それも結局は自分の思い1つでどうとでもなるというか、「まあとにかくやってみよう」という精神でチャレンジしていけば、自ずと繋がりたい人とも繋がれて、やり続ける道は見えてくる。

そんな事を、今回記事を書いていて思いました。

Litchiさんが言っていた、「考えてないで、とにかく写真撮りに行けよ」というのは、本当に全ての物事に当てはまる世の真実であるとも思います。

自分も、己の好きなものに正直に真っ直ぐに、生きていきたいと思った執筆でしたね。

とりあえずLitchiさん、来月の撮影はよろしくお願いします(笑)。

ちゃんとミュージシャンモードに切り替えて、カッコ付けなくちゃ(笑)。

                                       2021/7/26  YU-TO SUGANO

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