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人間はそんなに優秀ではない

物の数が少ないのが美しいのではなくて、あるべきものがあるべきところにある状態が美しいのだ。デザインやレイアウトも然り。
ミニマリストとは単に物を持たない人ではなく、「でもそうやって人間が完璧に管理できるものの数って、実はそんなに多くないよね」という主義者のことを指すのだろう。

シンプルな思考は礼賛されるべきだが、実はそれは「多くのものを管理できるほど人間は優秀ではない」というひとつのシニカルな答えに依ることを忘れてはならない。

そう、人間はそんなに優秀ではない。

すべてのことにおいて、僕は、その前提をもっと理解した上で進めるべきものだと思っている。
例えば、スケジュールを一つ組むにしても、ヒューマンエラーまでを見越して作られて、初めてそれは完璧だと言える。

時間的リソースがあるかどうかだけではなく、体調を維持するための睡眠や休息はもちろん、ひいては自らの「やる気」というバイオリズムも考慮し組まれていて、初めて完璧といえるのだ。
「やる気がないなんて何事だ」と言う人もいるかもしれないが、人は生きているだけで色々なものを抱えている。気分の上下もなく働き続けられる人などいるものか。
何故か人間のバイオリズムの部分だけは無視して作られるのがこのスケジュールというやつで、対ロボットのためのツールのように息苦しい。

元WIRED編集長の若林さんは、「産業革命以後、人間は『不具の超人』としての立場を強いられてきた」と言う。以下に引用。

近代の産業社会は、その理想形として最初から「超人=ポスト・ヒューマン」を仮想してきたっていうのね。工場ってのは最初っからロボットに最適化されたシステムで、そうなんだけど当初はそんなロボットなんてないから、ヒトをそれに近いものとしてつくりあげるために近代教育が生み出され、修理工場として近代病院ってものが整備されて行ったという。
-引用元(さらば、ポスト・ヒューマン)

つまりは、人は完璧でないのに、システムの方が完璧を強いるものにずっと組まれてきていて、それが常識として定着していた。その間で人は「超人」であろうと苦しんできた。という話だ。

僕の分野であるグラフィックデザインの話で言えば、「ワンビジュアル・ワンメッセージ」であるというのが人間の限界を感じるポイントだ。
ひとつのビジュアルにあれこれ盛り込みたがる発注者はいるが、そもそも一つのビジュアルに幾つもメッセージを入れても、受け手の脳は理解できない。
近年は「なんかスッキリしてる方が気持ち良いからシンプルが良い」という人が増えたおかげで、幾分イメージの詰め込み傾向は和らいだが、「そもそも人間の能力的に無理だったんだよ」と理解している人は少ない。

テックドリブンの話をするのは、誰かに期待だけしているようであんまり好きではないけれど、今後は「不具の超人」の代わりにAIが活躍してくれることもあるだろう。「AIに仕事を奪われる」と言われたりもする昨今だが、人間を人間たらしめなかった仕事の方法は淘汰されて然るべきだと思う。

最近は、ゆっくりとだが確実にそういう方向に大きな流れが向かっているのを感じる。仕事の仕方や、人としてのあり方を議論する声もポツポツと聞こえてくるようになった。微力ながら弊社301でも、どうしたら「良く生きられるか」をいつも話し合っている。

もっと人間は人間を、過大評価せずに等身大で見れる日が来るといいと切に願っている。
人類にもしそんな安息の日が訪れたなら、どうか「今までお疲れさま」と言ってあげたいものだ。

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