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【5000字無料】自己模倣する宮崎駿——『現代思想』の『君たちはどう生きるか』特集を読む(1)

*Kindle Unlimited でもお読みいただけます!!

雑誌『現代思想』の『君たちはどう生きるか』特集について、紹介しつつ、特集についての感想&映画についての感想を喋ったダイアログです。

0〜5の全6回の記事に分けてお届けします。
(今回は第1回! この記事だけでも読めます!)
第0回『現代思想』とは?
第1回 自己模倣する宮崎駿(この記事です)
第2回 鳥と飛行機
第3回 『君たち』小説版とジブリ映画版の比較
第4回 『さみしい夜にはペンを持て』を『君たち』と読み比べると現代のことがわかる!?
第5回 保守的な思想の終わり

紹介する文献の書誌情報
『現代思想 臨時増刊号 総特集=宮崎駿『君たちはどう生きるか』をどう観たか』青土社、2023年

引用・参照箇所の指示については、該当のページ数を記すか、もしくは該当する論考の著者名を記しました。
したがって、特に説明なくページ数や著者名が書かれている箇所は、すべて同書の参照指示です(例:「◯◯さんが『・・・』に言及していますね」)。
なお、引用文中で「宮/宮」の区別がある場合でも、特に区別せず「宮」と表記しました。


話している人

八角 
 株式会社「遊学」の代表。
 京都大学大学院 修士課程修了(文学)。
 哲学をやっている。ジブリはまあまあ観ている。

しぶたにゆうほ 
 株式会社「遊学」の一員。
 京都大学大学院 修士課程修了(文学)。
 専門を尋ねられると、大学では「数学基礎論」、大学院では「宗教言語論」と答えていた。

『現代思想』の『君たちはどう生きるか』特集は、どんなものとして読めばいい?

しぶ 前回、『君たちはどう生きるか』を観た直後にダイアログを収録し、それから約半年が経ちました。

今回は、雑誌『現代思想』の2023年10月臨時増刊号、総特集「宮崎駿『君たちはどう生きるか』をどう観たか」の感想を共有つつ、同映画について自分たちの中でも語り足りないことがあれば自由に議論していこうと思います。

八角 まず総括として、ちょっと読むのが難しい気がする。内容が難しいというよりも、買ってから「思っていた内容と違ったな」って人も多いのではないかと思った。つまり、映画の内容の「解説本」ではないんですよ。「あのシーンわかんなかったんだけど、何だったんだろう」ってことを説明するような本ではない

しぶ 「このキャラとこのキャラの関係はこう」「あのシーンで、このキャラはこう考えていたから、この行動をとった」という話は出てこないということですか。

八角 そう。どちらかというと、例えば、「宮崎監督がなぜあの作品を描いたのか」「宮崎監督があの作品を描いたことに対して私はこう思いました」といったような話が多い。「今まで彼がどういう発言をして、その中でこの作品はどう位置づけられるか」とか「他作品との違い」とか、そういったものが多い感じがしますね。

しぶ そうかもしれない。

八角 宮崎監督の自伝を参照している人が結構多くて、80年代の発言を持ってきて、それを基準に「だから彼はこうなんだ」という仕方で書かれているものが多い

しぶ なるほど。全体で目立った2つのパターンとしては、(1)作家論として割り切って論じるもの。つまり宮崎駿という個人がいて、その人がこの作品を作ったという大前提で、「宮崎駿の分析」を行うもの。(2)特定の要素に注目して、それを論者の専門から分析するというもの。例えば作中に登場する惑星とか、建築とか。

自己模倣する宮崎駿

しぶ でも作家論か、特定の要素に注目する議論以外にも、「『君たち』という作品でなければならないような話」も色々あったと思うよ。

八角 そうだったっけ。

しぶ 例えば、『君たち』では「自己言及」が描かれているという話。松下さんの「消えた彫刻:自己模倣の象徴としてのアリアドネ」、石橋さんの「「二重写し」と創造への問い:『君たちがどう生きるか』の引用の思考」が扱っているような。

八角 たしかに自己言及は描かれてたね。観た直後のダイアローグではあまり触れなかった。流行りかなって思って。

しぶ いや、もっと深い話で、つまりどこが強調点かというと、この映画では「自己言及」そのものが描かれているんですよ。

八角 そうなんだ。

しぶ たしかに「作者が劇中に出てくる」とかだけなら、ありがちなパターンだよね。「映画を作る映画」とか「作者の分身であるキャラクター」はベタなものとしてある。だけど、『君たち』はもう1段階複雑になっている。映画が自己言及性を持っていて、それだけでなく、「自己言及」が作中に登場する。つまりメタメタになってるんですよ。

八角 あ、そういうことか。

しぶ 松下さんの論を読んで初めて気づいたんだけど、青サギの「サギは嘘しかつかない」っていうセリフは、「クレタ人は嘘つきである」というクレタ人のパラドクスで、自己言及のパラドクスなんだよね(63頁)。わざとらしいくらい自己言及のモチーフが登場している。

八角 なるほど、確かに!

しぶ 自己言及、さらに言えば、自己模倣(自分の作品を自分で模倣する)っていうことが繰り返しモチーフとして描かれる。例えば画家キリコの絵を模したシーンが登場した。松下さんの指摘するところによれば、キリコは自分の作品を模倣して、贋作騒ぎを起こしている画家なんだと。

八角 観た直後のダイアログでも言ったけど、あのシーンはやっぱりキリコの絵だったんだね。

しぶ それから、門に書かれた「ワレヲ学ブ者ハ死ス」も、自己を学ぶ(=まねぶ=真似する)ものは死ぬ、つまり自分の作品だけをずっと自己模倣していくと死ぬ、ということ。だからどうやって、その自分の外部に飛び出すかって話になる

八角 あーそうなんだ。

しぶ つまり『君たち』は、単に「宮崎駿が過去作のオマージュをしました」って作品なんじゃなくて、〈宮崎駿が過去作のオマージュをする〉ということ自体をテーマにした作品なのだと。

八角 なるほどねー。

しぶ 石橋さんも、今作が「ジブリからの引用に塗れている」と指摘した上で、次のように言っている。

過去作を引用し、それによって新たに創造していくという営為、これはもはや他者を必要としない究極のエゴイズムであるともいうことができるだろう。創造することとエゴイズムは表裏一体の問題として、今作に至るまで解決されないまま提起され続けているといってよい。その循環的な「二重写し」の状態のなかで、大伯父が述べる創造への問いは新たな可能性を模索しているかのように聞こえる。

183頁

つまり、「創造性」と「エゴイズム」という仕方で、自己言及・自己模倣がテーマになっていることがここでも指摘されている。自己を完全に反復しつづける「エゴイズム」に対して、そこからずれて新しいものを生み出すのが「創造性」なわけですね。この2つが重なっている。この話は哲学的にも深められそう。これらは『君たち』という作品でなければならないタイプの議論だし、いわば『君たち』の哲学として他に引っ張ってくることもできるような議論だと思う。

八角 確かに! これはそうだね。『君たち』ならではの話だ。まとめとこ。

・多くの既視感のあるシーン
・キリコの絵
・クレタ人のパラドックス
・「ワレヲ学ブ者ハ死ス」

映画内の自己言及・自己模倣的な例の一部

しぶ 「宮崎駿の集大成」とか「ジブリ過去作のコラージュ」とかいう評価は、宮崎駿・ジブリを見たことがある人であれば浮かぶものだと思うんだけど、そこから一歩踏み込んで、この作品がそれらをメタ的にテーマにしているっていうのは、全然別の視点なので、それはなるほどって思いました。

建築のメタファー

しぶ さっき言っていた「特定の要素に注目する議論」も、独自の視点からの作品解釈が多くて、面白かった。この特集の読みどころの1つだと思います。

八角 この本に即して言うと、どこですか。

しぶ 例えば、五十嵐太郎さんの「ファンタジーの入り口としての建築」は、建築に注目しているんだけど、建築に注目するからこその作品解釈もたくさんあって、なるほどと思ったことも多い。

八角 具体的には?

しぶ ぼくは『君たち』のラストシーンを見たときに、「何も描かれていない」と解釈したんだよね。例の持ち帰った石も出てこないし……。

八角 人間の友達も出てこない。

しぶ ところが五十嵐さんは、そのシーンを「ラストシーンは離れの洋館の室内だった」と書くんですよ。そこでは「異様な風貌の青鷺屋敷」も「塔のある洋館」も映されないのだ、と(50頁)。ぼくは「何も映されなかったな」って思ったんだけど、たしかに、部屋(建築)は映ってるんだよね。そして、五十嵐さんが指摘するように、建築のちがいがファンタジーとリアルを象徴しているのであれば、それはファンタジーではなく現実だけが映されているという解釈になる。これってもう映画の解釈に踏み込んでいると思う。

八角 なるほどね。

しぶ でも、これは「建築」という視点を通したからこそできる読みなわけで、このくらいの段階になってくると、それぞれの人の持つ独自の視点が解釈のレベルにつながってると思う。つまり、単に「外在的に当てはめた」というのとは違うよね。こういう面白さが各所にある、という理解です。

八角 この五十嵐さん、ずっと宮崎駿(論)をやっている建築史家なんだね。五十嵐さんの文献は、雑誌内の次の論考(小澤さん)でも参照されていたね。

しぶ 五十嵐さんと小澤さん、二人とも、独特の視点から『君たち』の話をするのが面白かったね。なんというか、建築の細かい話で……。

八角 建築の話しているね。

しぶ 例えば塔の話とか。文学とか映画とかで、〈塔が◯◯のメタファーである〉って分析だけだったら、誰でも言えるわけだよ。でも、五十嵐さんの論考では、高い建物っていうのは2箇所以上の遠いところから共通して見える、だから2つの場所(この世界と異界)をつなぐメタファーになるんだ、という説明があって(48頁)、言われてみればそうなんだけど、建築という切り口ならではだなって。

八角 確かに。

しぶ 遠くから同時に見えるとかって発想は、物理的な次元を通さないとなかなか出てこないと思うので、そういう独特の視点が入ってくるのはいいなと思った。

「ワレヲ学ブ者ハ死ス」とペリカン

八角 そう言えば、観た直後のダイアログで、「キリコの絵のようなシーンがあった」と言ったんですけど、本当にキリコだったんだね。

しぶ そうなんだね。まさかそんな深い意味があったとは。

八角 この松下さんの論考にしても、石橋さんの論考にしても、細かいモチーフについての言及が色々あって、「ああそうなんだ、知らなかった」って思いました。新しい発見でしたね。例えば、「ワレヲ学ブ者ハ死ス」って書いてある門を見つけるシーンが、アルノルト・ベックリンの「死の島」という絵だとか(63頁)。有名な絵みたいで、53頁と63頁の2箇所に出てくる(笑)。

しぶ 本当だ! 松下さんも小澤さんも参照していて、同じ絵が載ってる! 気づかなかった。

八角 あとは、ダンテの『神曲』ね。ベアトリーチェがどうとか。

しぶ 石橋さんが、もう1つの石に書いてあるラテン語が『神曲』からの引用だって書いてましたね(179頁)。

八角 あと、ペリカンね。観たときなんでペリカンなんだろうって思ってたけど、『神曲』「天国篇」でキリストの象徴としてペリカンが出てくるんだってね(184頁)。

しぶ なるほどなあ。他の人もちらほら、『神曲』は参照してたね。それにしてもまず、キリコとか、ダンテとか、「死の島」とかの具体的なモチーフの話から、さっきの自己模倣・自己言及みたいな哲学的な話が導かれる議論になっているのが、非常に面白いよね。

ミレーの「種をまく人」

八角 あとは、これも松下さんの論考にあった話で、小説版『君たちはどういきるか』の表紙がミレーの「種をまく人」なんですけど、これは日本だと反戦とかに関わるものとして扱われてきたとか、どうも1つ系譜としてあるらしくて(61〜62頁)。

しぶ なるほど。表紙の「種をまく人」については伊藤さんも言及してたね。現代の岩波文庫版の表紙にはもうこの絵はないんだけど、『君たち』の映画においては、この小説の表紙にはどうしても「種をまく人」が載っていなければならなかったんだろうと。

八角 「宮崎駿は、自己破壊的な欲望を描きつつも、依然として子どもや未来世代へと種をまくことを辞めていないのである」って書いてあるね(150頁)。とにかく私は、こういうモチーフについての話が、一番発見になった部分でしたね。

しぶ この本の楽しいところの1つですね。

八角 まとめると、『現代思想』の『君たち』特集は、解説本ではないので注意。作家論とか、特定の要素を外から分析するような議論が多い

しぶ とはいえ、そういうのも、その人の専門性とか独自の視点があったりするので面白いですよ、というのがぼくの意見でした。それから、自己模倣の話のように『君たち』ならではの議論もあるし、モチーフについて色々と発見があるのは楽しい。そんな感じですかね。

ポスターについて

八角 「どんな本か」という話をしたところで、少しずつ中身に入りたいんですけど……なんか、ポスターについてコメントしてる人多くなかった?

しぶ 多かった!

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