日本の数学 #002

 かやうに申しましたものの、しかし、色々の点で、なかなか思ふやうには参りませんでした。例へば、頁数の制限のために、明治時代の後半から、お話が非常に短くなつてしまひました。また何と云つても、小形の本なので、写真が小さ過ぎるのも、残念です。(それにしましても、本書刊行についての御配慮に際し、こんなに沢山な写真版の挿入を、特に許るして下さつた、岩波書店には、深く感謝しなければなりません。)
 また私は、昨今、寒い間は外出も出来ないやうな、健康状態にありますので、資料を広く諸方に求める暇もなく、全部手許にある資料ばかりで、やり上げなければなりませんでした。それも病間の折々に、短時日の間に仕上げたものですから、不完全の点も、多くあることと存じます。(かやうな欠点は、いづれ遠からず出版したいと思つてゐる、もつと大部な研究書の方で、補ふつもりであります)。尚、校正刷が出ました時、丁度病臥中なので、校正は殆んど岩波書店の小林龍介さんに、お願ひ致しました。

 最後に、お覧の通りの、ごく小さい、ごく初歩的な書物ではありますが、平素考へてゐる「科学史」といふものの性格だけは、出来るだけ崩さないで、やつて見たつもりです。どうぞ、忌憚のない御批判を願ひたいと存じます。
  昭和十五年二月二十五日

  筆者


第一日

  和算のはじまり
  この話の目的
 只今から、「日本の数学」といふ題目で、五日間の連続講演を致します。
 昔から現代に至るまでの、わが日本の数学は、大体どんなものであつたか。それがどう云ふ径路をたどつて、そのやうに発達して来たのであるか。――さう云つた問題に対しまして、ごく簡単に、ごく概観的に、お答をして見ようと思ふのであります。

 私達の祖先は、徳川時代に於きまして、立派な数学を作り上げたのでした。これを、今日では、和算と呼んで居ります。この和算は、わが国の学問の中でも、最もよく日本人の独創性を発揮したものの一つでありまして、これを度外視して、日本の学問や文化を語ることは、許されないことだと思はれる。――それほどまでにも、和算は独創的な、輝かしい発達を遂げたのであります。
 けれどもこのお話は、決してたゞ斯やうな和算の長所などばかりに就いて、申上げるのではありません。現に、さう云ふ輝かしい和算が、今日なぜ姿を消してしまつたのか。私達はその理由についても、よく理解しなくてはならないでせう。
 よく考へて見ますと、わが数学の歴史は、日本人が外国からの学問を、どのやうな態度で受け入れたのか、そしてそれを、どの様に消化し、同化改造あのであるかを、物語つて呉れるのであります。また、それと共に、日本人の論理や直観、或は日本人の技能についての特色。その他色々の点におきまして、日本人の性格を、よく示して呉れるのであります。
 それで私は、かやうな点にも特に注意しながら、簡単明瞭に、しかも出来るだけ、専門的な言葉や固有名詞を用ひないで、このお話を進める積りでございます。

 …#003へ続く

パブリックドメインの発掘をメインに活動しております。