自然の観察 第1 #011

 (2) 自然界に於ける事物現象の全体的関連の理会に努め、進んで自然の妙趣と恩恵とを感得させること。
 自然に接して、直接これから学ぶことが積重ねられると、関係のないやうに思はれたものごとの間にも、微妙な関係があることがわかつて来る。かやうな関係がわかると、自然の偉大さもわかり、妙趣も味ふことが出来る。自然と人生との関係から、自然の恩恵の厚いことも知り得て、自然に親しみ、自然と和する心も一層深まるのである。
 自然界に於ける全体的関連といつても、人知の探り得た部分は極めて狭い範囲に過ぎず、しかも、児童に理解せしめる程度は甚だ低いものに止るが、事象の断片的知識を注入するやうなことはしないで、常に事象を関連的に考察させることに努めるならば、自然の妙趣も恩恵も、或程度に感得させることが出来るであらう。児童の程度も考へないで、徒らに自然の不可思議さ、有難さを説明するやうなことをしては、真に自然の微妙なこともわからず、自然に対する感謝の念も起らないだけでなく、自然の真相を探らうとする心を消失させることになるであらう。
 (3) 植物の栽培、動物の飼育をなさしめ、生物愛育の念に培ふこと。
 自然に親しみ、自然より直接学ぶためには、自ら植物を栽培し、動物を飼育することが必要である。自分で栽培・飼育をすれば、その植物・動物に愛着を感じ、その形態・生態等にもおのづから注意をしなくてはならないやうになり、手入れなども、進んでするやうになる。即ち、考察・処理の態度・方法が身について来る。
 又、栽培・飼育は、相当長期に亘つて努力してはじめてその成果が見られるものであるから、これによつて持久的態度が養はれる。
 栽培・飼育は、かやうな意味に於て重要なだけでなく、農業を営むための基礎となるものである。国民一般がこの重要な仕事に体験をもつといふことは、極めて必要なことである。農業は生産が目的であるが、この生産は、自然にはぐくまれてのび行く生命をいつくしみ、すくすくとのばさうとする心に発するものである。かやうな心を持つて生産すると、生産された物の真の価値がわかり、それを大切にし、正しくつかふ態度が生じて来る。かやうな心は、農業の根本精神であるばかりでなく、すべてのものをよりよく生かさうとする豊かな我が国民精神の一つの相である。随つて、かやうな心を養ふことは、低学年から絶えず意を用ひなくてはならない。

 …#012へ続く

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