大語園 別解の部 #005 「天の川上」

 天《あま》の川上《かはかみ》 (支)

 漢の武帝《ぶてい》の臣下《しんか》に、張騫《ちやうけん》といふがあつた。或時武帝から、天の川の川上を探《たづ》ねて参れといふ勅令を受けたので、早速浮木に乗《の》つて天へ昇り、一筋の川を見つけて、だんだん上流へと志し、毎日々々足に委《まか》せて進む程に、或日其川の縁《ふち》で、見知らぬ一人の女が、頻りに機《はた》を織つて居る。猶よく見ると一人の老翁が、牛を牽《ひ》いて立つて居る。其所で張騫は、試みに此の土地の名を訊ねると、二人は声を揃へて、こゝは天の川原だと教えて呉れた。

 張騫は、これに力を得て、二人の名をも訊ねてみたら、女は織女《しよくぢよ》、翁は牽牛《けんぎう》だと答へた。張騫は、私は漢の武帝の勅命を受けて、天の川の水上を探ねに来たが、これからどう行つたらよいかと質問を出したら、二人は笑ひながら、こゝが天の川上である。もう他へ行く必要はないと教へて呉れたので、張騫は其まゝ又浮木に乗つて帰つて来た。

 さて都に着いて、武帝に拝謁して、探検の模様を、有りのまゝに復命《ふくめい》したところが、武帝は一向信用しなかつた。併し張騫がまだ帰つて来ない先に、武帝の所へ天文博士《てんもんはかせ》が来て、七月七日の晩に、天の川の辺に、ついぞ見慣れぬ星が一つ現れたと報告した。武帝は不図天文博士の説《せつ》を思ひ出して、『さては七月七日の晩の、見慣れぬ一つの星といふのは、多分張騫であつたらう』といふので、漸く此の報告を信用して、厚く賞《しやう》を下されたといふ。(今昔物語)

 大語園第一巻 あノ部 二四二

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