自然の観察 第1 #013

Ⅲ 「自然の観察」指導の精神

1. 「自然の観察」の意義

 国民学校令施行規則第一號表に於て、初等科一・二・三学年の理科の内容は、自然の観察となつてゐる。これは、単に「自然を観察すること」といふ意味ではない。即ち、対象は自然だけでなく、人の生活も製作物も含み、対象に対するはたらきかけも観察だけでなく、考へ方・扱ひ方を含むこと勿論である。即ち、ここにいふ「自然の観察」とは、言葉をかへて言へば、低学年理科といふことであつて、低学年理科に於ては、理科一般の中、特に、「自然を観察すること」が主要な部分を占めるから、かやうに名づけたのである。

 「自然の観察」設定の理由
 「自然の観察」は、国民学校に於て設けられたものである。勿論、小学校の教科目の理科と、国民学校の理数科理科とは同一のものではないが、尋常小学校の理科は第四学年から課することとなつてゐて、低学年に於ては、その初歩段階の指導を欠いてゐたのである。然るに、国民学校の理数科理科に於て、低学年からその初歩指導をすることに定められたのは、主として、次の理由からである。

 (1) 児童は、就学以前から自然に興味をもつてゐる。自然の中で自然と共に遊び、自然に驚異を感じ、自然から色々なことを学びながら、経験を積み、生命を発展させてゐる。又、機械・器具の利用されてゐる現代に生活してゐる児童は、これ等に接して経験を重ね、殊に舟や車や飛行機などに興味をもち、色々な玩具をもてあそび、これ等から色々なことを学び、又、工夫する態度も養はれて来てゐるのである。このやうな発達過程にある児童を学校に於て指導するには、その過程に順応すべきはいふまでもないところであつて、これに対して何等の考慮を払はないときは、児童の自然物・製作物に対する興味の発達を中断することとなり、将来の発展の支障となるのである。即ち、低学年に於て、このやうな指導をすることは、寧ろ当然のことといはなくてはならない。

 (2) 理科指導の目的を達成するには、自然に親しみ、自然を愛好し、自然に驚異の眼をみはる心が養はれなくてはならない。又、自然のありのままの姿を素直につかまなくてはならない。かやうな修練は、主客の未分化な時期に於ける指導が極めて重要な意義をもつのである。知情意一体となつて対象にはたらきかけるには、この時期の学習を疎かにしては、殆ど不可能といつてよい。生命愛育の念も、理知の働きの発達が著しい時期よりも前に、その基礎が養はれなくてはならない。生活を秩序正しくし、科学的に処理する躾も、この時期を逸しては、身につけることが容易ではない。即ち、理数科理科の目的を最も有効に達成するためには、是非とも適切な指導をしなくてはならない時期である。

 …#014へ続く

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