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もの忘れと認知症

去年の暮れ、伯母からお歳暮が届かなかった。
年が明けて……年賀状も来なかった。

少し気になり新年の挨拶がてら伯母の家に電話をかけてみた。
耳の遠い伯父がでて伯母に代わってくれた。その時伯父は何も言わなかった。

「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「おめでとう。最近はなかなか一人で出られなくて、ご無沙汰しちゃってごめんね。お母さんは元気?」

伯母は元気だった。でもそこに何か違和感を感じた。なんとも言えない、違和感。滑舌?  間?
お正月のごく普通の伯母とのやり取りに今年は何か違和感を感じた。
お歳暮が届かなかったり、いつも来てる年賀状が来なかったりしなければ気づかないほどわずかな違い。
「ちょっとボンヤリしてる? 」そんな感じだった。

伯母は86歳だし。寝起きだったかもしれないし、きっと気のせいだとわたしは自分の中に沸き起こった「ある予感」を打ち消した。

それから3週間。 伯母の家の近くで仕事があったので、寄ってみようかと電話をかけた。今回も伯父が出た。

「この間電話で少し気になっていたので。近くに来たので電話してみました。伯母さんお元気ですか?」
「実はね、認知症になっちゃったんです。
まだ症状は軽いんですが、進行を遅らせるために色々やってます。せっかくだけど今日はデイサービスに行ってて居ないんですよ」

食事は伯父が作っているという。私より一つ年上の従兄弟がいるのだか、二人で面倒見ているらしい。
私が3週間、うち消そうとし続けてきた違和感は当たってしまった。

今日の北風にのって切なさがゴーって押し寄せてきた。

今カフェで一人お茶を飲みながら、明朗でしわくちゃの笑顔の伯母との思い出をたどっている。

15年くらい前、獅子座流星群が来ると騒がれた時、寒いことも忘れて追分の別荘に行き、母と三人でコタツに入りこみ、寒さで凍えながら、笑いながら夜が来るのを待ったこと。
一緒に旅をすると絵がうまい伯母は、ササッとパステルで美しい絵を描いた。伯母が描く絵はその人柄そのもののように陽だまりのような温かい絵ばかりだった。

伯母は認知症と診断されただけで亡くなった訳ではないのになぜこんなに切なく昔のことを思い出すのだろう。

これが「最近物忘れが酷くてねえ」だと、「年だし仕方がないよね」と笑いながら言えるのに。実際に起きていることは「年をとって物忘れが激しくなった」のとあまり違いはないのに。

冷静に考えよう。認知症になったからと言ってすぐに全てわからなくなるわけではない。伯母だって会えば私のこともわかるはずだ。


一体、物忘れと認知症は何が違うんだ?
医学的な定義は何かのテレビで聞いた。でもそんなことが聞きたいんじゃない!今までの伯母との付き合いとこれからと何かが変わるのか? 変わるとしたらそれはどのくらいの速さでどの程度変わって行くのか?
それがわからないから悲しくなるのだ。もしくは最悪の想定をしてしまうのだ。

伯母は物忘れがひどくなっただけなのだ。
そう思うことにした。

治療をする上では認知症という病名をつけることは大切だとおもう。でもこれから残りの伯母の人生と付き合う時、少なくとも私は物忘れがひどくなった伯母として付き合って行こう。

もし伯母が聞きたいなら、覚えておきたいと思うなら、一緒に遊びに行った時の話をいくらでも、何度でもしよう。

もし伯母が見たいなら、いつか伯母が描いてくれたスケッチブックの絵を何度でも何時間でも、一緒に見よう。

もし伯母が話したいなら、何度同じ話でも何度つっかえても、ちゃんと聞こう。

もし伯母が遊びたいなら、何度でも何回でも同じ遊びをしよう。

もし伯母が笑いたいなら、一緒に腹を抱えて笑おう。

もし伯母が怒りたいのなら、黙ってじっと聞こう。

もし伯母が泣きたいのなら、側でずっと背中をさすろう。

伯母がしたいことはできる限り一緒にし、それをなるだけたくさん覚えておこう。伯母のためではない。私自身が少しでも幸せでいられるためだ。




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