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人生のコト・後編〜二本の足で、ひたすら沖へ〜

はじめに

皆さんどうもこんにちは、ビールはやっぱりサッポロ黒ラベル。林雄です。

さあついにやってきました僕の人生シリーズ最終章、後編!!!
初めて間もないですが毎回120人くらいの方に見ていただいて感謝しています。

さて、前回は完全に地球一周にスポットを当てた記事となりました。最後は地球一周を終えたと共に記事も書き終えています。そして今回の後編では前回の記事の続きから現在に至るまでを書きていきます。

さあ、準備はいいですか?それでは僕の人生・後編スタートーーーーー!!!

地球一周直後

地球一周の終盤、スタッフからお誘いを受け、自分自身も希望し
PEACE BOATに就職することを決めました。

なぜ就職しようと思ったか。

ピースボートに関わることで見えたもの。
今までどうでもよかった社会問題に向き合えたこと。
本気で平和を目指す人に出会えたこと。
なにより小さな島国を飛び出して、
今まで見たことのなかった世界を見ること。
食べたことの無かったものを食べること。
ありとあらゆる画面越しの世界に飛び出し、匂い、雰囲気、その土地のエネルギーを感じること。

要約すると

未知との遭遇に魅了され続けました。

この感覚を自分だけのものにしたくありませんでした。より多くの人、特に同世代やこれからの社会を担う若い人にこの度を軽経緯して欲しいと思いピースボートを仕事にすることを決めました。

上記に加えて、前回紹介した二つの国際支援プロジェクトのより第一線に立ち、関わり続けたいと思いました。

実際にカンボジアに訪れた時に抱いた違和感、戸惑い、ショック、現地で起こっている現実。もっとできることがあると現地で確信しました。

カンボジアについてはカンボジアのみの記事を別途書きたいと思います。

そして僕が船を下船したのは2016年11月末。

年を越し、2018年の年明けから勤務を開始するという予定で話をし、下船しました。

約100日の船旅を終えた僕は神戸港から家に帰りますが3ヶ月とは言えど、地球一周をしてきたのですから、それ以上ぶりに帰ってきた感覚がしました。

家に帰ると家族がいつものようにいる。

「おかえり。」

と笑顔で迎えてくれる家族。実家の良さをすぐに実感しました。だが安心もつかの間でした。

次の日の夜、ご飯を食べていると風呂場から「ドンッ」と大きな音がしました。

ドア開けてみると、さっきまで元気にご飯を食べていたおばあちゃんが倒れていました。
すぐに救急車をよび、戸惑い、泣きながらも声をかけ、救急車を待ちました。

病院に運ばれ、1日植物状態で耐えるも、生き絶えて安らかに眠りにつきました。

僕は当時18歳。おばあちゃんとは生まれてから18年間毎日暮らしていたんです。

保育園から帰るとよくつくしや虫を探しに行ったことを今でもはっきりと思い出します。
僕が大きくなるにつれて一緒に出かけることもなくなり、サッカーを始めたぼくが練習を終えて帰ってくるともうおばあちゃんは寝ていました。

地球一周に行くときも、足腰があまり良くないので家の前で見送ってくれましたが、あんな寂しそうな顔は見たことがありませんでした。


この写真は僕が地球一周に行く前に家族でご飯を食べに行った時の写真です。
両親は僕が中学校3年の時に離婚していますが、この時は親父も来てくれました。

身近な人の初めての死。何があるかわからないと感じた僕は就職を1ヶ月先に伸ばして欲しいと上司に電話をかけました。その理由は

家族との時間をもう少し大事にしたかったから

なんせ勤務地は東京。これから実家には当分帰ってこれないとわかった自分は、
働き始める前に家族とどっか出かけたり、一緒に家でご飯を食べたり、当たり前のような時間を踏みしめるように実感したいと思いました。

そんなこんなで時間はたち、いよいよ上京の日。18年間生まれそだった街、大阪から出ます。
寂しさや不安なんてもんは全くなく、むしろ希望や情熱、期待やワクワクが心に宿っていました。高校の連れと飲み、そのまま大好きな梅田から夜行バスに乗り、二日酔いで新宿に着き、東京での生活がスタートします。

シェアハウス生活

東京は中野区、沼袋のシェアハウスで生活をしていました。

住人は全員ピースボートスタッフ。なんせは一年に3回地球一周に出かけます。

一回の航海が約100日なので約3ヶ月半家を空けて家賃払うの嫌じゃないですか?

だからスタッフ同士でシェアハウスに住み、船に乗る人、船から帰ってきた人が上手いこと入れ替わりでシェアハウスに住んでいます。

ぼくもいろんな人と住みました。

こんなメンバーで住んだり、

こんなメンバーで住んだり

誕生日会を開いたり、

唐揚げパーティーをしたり、

シェアハウス生活は本当に楽しい思い出だらけです。

“誰かと一緒に生活する“ということは、大げさに言うと

“人生を共有する“ということ。

楽しいことは間違いないけど、難しい部分もある。年齢もバックグラウンドも違う人間同士が一緒に生活するとなると、多少の我慢も入りますし、リラックスしたいときでもなかなか出来ないこともあります。

それは僕も周りの人たちに与えてしまっていた事かもしれませんが、僕はシェアハウスにあの人達と住めたことは本当に良かったと心底思います。

もし一緒に住んでた人がこのnoteを見てくれていたとしたらその人に一言。

またみんなで焼肉に行きましょうね。

自慢の職場と仕事内容

職場は新宿区高田馬場。山手線で言えば新宿➡︎新大久保➡︎高田馬場です。

東京の電車はみなさんのイメージ通り人が多すぎるしすぐ遅れます。
なので自転車を購入し、自転車通勤することに決めました。

購入したのは tokyobike(SPORT9s)です。いや〜この自転車は一目惚れしました。

本店は日暮里の谷中にありますが、僕は住んでた家の近くにある高円寺店で買ってそのまま乗って帰りました。

自転車通勤だとちょっと寄りたいところに寄れるし、何と言っても行き帰りともに風が心地よいです。

おっと、このままだと自転車紹介になるので話は戻ってどんな仕事をしてたのか?

主には


・ピースボートをポスターやWEB、新聞広告、口コミ、テレビなどで知り、問い合わせてきた方や
・週末に全国で開催される地球一周のでのお客様対応、クルーズ紹介。

そのほかには

・中学生に向けての
・に対し物資を提供し、協力してくださる企業へ出張

などを仕事としていましたが、“仕事“というよりはどれも“活動“というスタンスで日々取り組んでいました。

“平和“を目指す団体の一員として自分自身もしっかりとマインドを保ち日々取り組んでいました。

当然僕がスタッフになっても、未だ見ぬ世界を見たくてポスターを貼るため事務所に通いボランティアスタッフをする子もいます。
自分がボランティアスタッフだったこともあったので、地球一周を目指す子がぶち当たる壁や悩むこともよくわかります。

スタッフになって、ボランティアスタッフをしていた子が地球一周に行くことが励みにもなりました。

ボランティアスタッフの子達と力を合わせてフットサル大会を開いたり、

街頭募金に一緒に行ったり。共に何かを為すことは互いに力となります。

スタッフ間の中も非常によく、

みんなで焼肉行ったり、

仕事終わりに飲みにいったりはしょっちゅうでした。
飲みに行く➡︎ラーメンで締める(終電逃す)➡︎タクシーで帰る➡︎眠い目こすって出勤

これも茶飯事。ただただ楽しかったです。

あっという間に時間は過ぎ、仕事を始めて10ヶ月ほど経ったある日
スタッフとしてクルーズに乗船することが決まりました。

スタッフ乗船・オセアニア一周

ピースボートとしては非常に珍しいミドルクルーズが発表され、そのクルーズにスタッフ乗船することに。コースはこれです。

そう、オセアニアをぐるっと一周する56日間のクルーズです!!

出航は2018年1月8日横浜発。そして1月9日に神戸発。成人式が1月9日に行われたので成人式は行けませんでした。笑

これは成人式当日。僕は船の上、神戸港での一枚。
寒い冬を抜け、季節が真逆のオセアニアへ向かって出航です。

さて、気になる船での仕事を少し紹介したいと思います。

船内の企画運営はいろんな仕事がありますが、僕は音響と照明の担当で乗船しました。

船内では様々な企画や講座があります。その企画で音楽をかけたり、照明を調整したり。これはあくまでベースの仕事で、ほかにも仕事はたくさんありました。
その他、船内の仕事は割愛で。

では、各港に着い時はどんな仕事をしているのか??

ピースボートは港に着くと、自由行動をするか、有料のオプショナルツアーを取るかの2パターンがあります。

ピースボートのツアーには現地ガイド・通訳・サポートスタッフの3名が同行します。

僕は工程管理やツアーが安全にスムーズに進むようサポートするサポートスタッフとして同行していました。

これはバリ島での写真。船が港に着くと、すでにツアーバスが到着しており、そこに乗り込みツアーがスタートします。

これはセブ島でのガイドさんとお昼ご飯の時の写真。オレンジのシャツを着ているのがピースボートスタッフです。


通訳として一緒のツアーに行ったアドリアン。メキシコ人の彼は、日本語、英語、そしてスペイン語の3ヶ国語が話せます。

でも一番思い出深いのはこのクルーズで寄港したニューカレドニアの寄港日と誕生日が被ったので、天国に一番近い島と言われるニューカレドニアで20歳の誕生日を迎えることができました。

元気で優しいお客さん、そしてスタッフに囲まれ、無事にクルーズを終え横浜港に帰港しました。

まあざっと仕事内容なこんな感じです。このオセアニアクルーズについては別の記事を詳しく書こうと思っていますので、今回はほぼ割愛。

地球二周目・北欧クルーズ

クルーズを終え、少し休暇をもらい事務所での勤務が再開します。

復帰初日のことでした。上司に呼ばれ、何の話だろうと思い恐る恐るミーティングスペースへ。何の話かというと、

2ヶ月後に出航する地球一周クルーズへの乗船が決まったと告げられました。

この、初夏の北欧がメインとなる春の地球一周クルーズです。

僕自身もこのクルーズに乗船したいと思っていましたが、オセアニアクルーズに乗船し、降りてきたばかりなので流石に乗ることはないと思っていました。

乗船が決まったと告げられると同時に、役職、つまりどのポジションで乗船するかの話をされました。前回は音響、照明の担当だったのでまた同じかなと思うと、違いました。

僕の役職は「水先案内人担当」と告げられるのです。

み、水先案内人???なにそれ???

って感じですよねみなさん。

水先案内人とは、簡潔にいうと各界の知識人、著名人さらにはアーティストやパフォーマーの方々のことです。

過去には池上彰さんやEXILEのUSAさん、そして僕が乗船することになったクルーズではブラックペアンやチーム・バチスタの原作者、海堂尊さんも乗船していただきました。

そういった方々に乗船していただき、旅と共に学びを得られるよう船内で講座やワークショップ、パフォーマンスなどをしていただいています。

そして僕はその水先案内人の方のマネージャーのような役職で乗船することになりました。
マネージャーといっても荷物持ちとかではなく、どんな講座をしてほしいか提案したり、水先案内人の方の講座がお客様に伝わるよう、サポートしたり、乗船前には何度も打ち合わせをしたり、時には寄港地を一緒に散策したり。

そんなこんなであっという間に出航し、地球二周目に旅立ちました。

突然の違和感、そして訪れる転機

ワールドカップ開催中のロシアに訪れたり、大都市ニューヨークで圧巻の雰囲気を感じたりと、クルーズでの仕事も順調に行き、船は中南米に入り旅も終盤に差し掛かる頃。

イギリス領の島、カリブ海に浮かぶケイマン諸島に入港しました。

いつものようにツアーバスに乗りサポートスタッフとして同行していると、バスは一つ目の観光スポットである「セブンマイルビーチ」に到着します。

このあり得ないくらいに綺麗な海に言葉を失い、心を奪われます。

と同時に、ふとこんな感情が頭をよぎります。

(この海がなくなっちゃいけない。)

だが、ふと思ったには強すぎた気がしたんです。この違和感を見逃せず、ずっとずっとこの海を思い出してはあの時の感情と向き合います。

そこで自分は、環境問題に興味や関心があるのかもしれない。

そう思うようになりました。そこである人が話していたことを思い出します。

ある人とは、朝日新聞記者である中山由美さん。今朝日新聞の女性記者で一番忙しいと言われている中山さんが休暇を使ってこのクルーズに水先案内人として乗船してくれてたんです。

その中山さんは北極や南極、そして様々な離島を取材している中で、グッとオススメされた小笠原諸島のことを思い出したんです。

このクルーズを降りてから、少し休みをもらって小笠原諸島に行こうと思い、船を降りる前に上司と相談し、休みをもらえることになりました。

そして無事クルーズも終了し、自身の地球二周目が終わります。

世界自然遺産・小笠原諸島を訪れて

先ほども書きましたが、小笠原諸島へは休職していきました。

小笠原諸島についてもまた詳しく書きますが、この島を取っても簡単に紹介すると

・世界自然遺産
・東京都
・移動手段は船のみ(片道24時間)
一度も陸続きになったことのない島なので多くの固有種が存在します。
初めにこの島を発見し、開拓したのは欧米人で、去年でアメリカから返還されて50年が経ちました。

2週間の滞在期間の中で現地ツアーを取ったり、自由に散策したりした中で僕は生まれて初めて

“動植物が主役の世界“

を目の当たりにします。

透き通る海、偉大すぎる自然。この島の動植物に対し踏み入れたことに申し訳なさを抱くほど美しい景色がそこには広がっていました。

この“感動“の瞬間は目の前の自然、そして自分が生まれる前に去っていったありとあらゆる生命が生み出してくれているのかもしれない。

もちろん、今まで見てきた素敵な景色も、ケイマン諸島のあの海も。

もしそうなら自分自身もこの世を去った後世に“感動“の瞬間を繋ぎたい。

何としても世界の自然、その中でも大好きな海をなくしてはいけない。そう思った僕は、ふと思います。

自分が今勤めている仕事は““を出す仕事。船は海に燃料を巻きながら進んでいるという現実に違和感を抱き、その船に乗ることが嫌になりました。

そして、今後環境問題に取り組むため、退職をきめました。その思いを父島から内地に持ち帰り、上司に伝え、2018年いっぱいでピースボートを退職しました。

勤務最終日。この兄貴2人には本当に感謝してもしきれないくらいお世話になりました。

これは全世界にいるピースボートスタッフが集まってミーティングをした時の写真。

このさき一生こんなに楽しい職場に出会えないんじゃないかってくらい大好きな仲間たちです。
ワガママばかりの道を進み、突然退職した僕をどうかお許しください。

本当は今すぐにでも戻りたい。だけれど自分が決めた道。みんなに負けないくらいスキルをつけて世界と戦っていきたい。

そしてそんな僕は現在、再び小笠原諸島に戻ってきました。その理由としては

今後環境問題に取り組んでいきたいが、僕は大阪で生まれ育ち、東京で仕事をしてきました。

いわゆる大都会に拠点を置いた生活を送ってきたのです。そんな僕が環境を守りたい。自分自身に説得力がなかったんです。

都会では養うことのできない感覚、そして守りたいものと共存することを求め小笠原諸島への移住を決断し、今年の3月に移り住んできました。

今はホテル業、フレンチレストラン、ネイチャーガイドのサポートを仕事にしています。
ちょうど1年後にはこの島を出て内地に戻り、いろいろ活動していく予定です。

移り住んでもう2ヶ月半経ちますが最初は正直戸惑いだらけでした。

けれど徐々にリズムをつかみ、居心地はよくなってきています。

シンプルに生きることができてきた証拠かもしれませんね。

でもあまり簡易的にならずに、芯をもってこの島で生活できればなと思います。

おわりに

さて、僕の人生・後編はこれにて終了となります。最後の方は少し疲れて文章が雑になってしまいました。すみません。笑

ただ、この記事を書いていく中で自分自身の人生を振り返り、その時の感情や思い出を再確認できました。

今後は僕が経験した地球一周の旅や、カンボジアで感じたこと、小笠原諸島についてなど、人生の過去からどうしても伝えたいことをいくつか投稿した後、

現在進行形で考えていることやふとよぎった想いを綴っていこうかなと思います。

はあ、やっと終わった。

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!!!

若い力が全てを動かすと思っています。

少しずつ前進していきましょう。

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