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『華氏451度』読みました。

華氏451度
著者:レイ・ブラッドベリ
翻訳:伊藤典夫


内容紹介
カブトムシのように黒光りするヘルメットを被り、防火服を身に包み、昇火器片手に今日も愉快にモンターグは本を燃やす。
ヘルメットに刻印された『451』、それは書物が引火し燃える温度をしめしている。
隠し持つ本を見つけ、燃やす。
忌むべき本を持つこと自体が犯罪な世界。
昇火士のモンターグはその仕事に疑問すらもったことがなかった。
だがある仕事帰り、奇妙な少女と出会い彼の人生が変わっていってしまう。


本を購入するのにインターネットをよく利用する。
今では購入している本の半分以上はネットかもしれない。
それでも、昔ながらに、書店でぶらぶらしながら適当に本をながめ、手に取り、チラリと読んだりして購入するのが好きだ。

『華氏451』なんか聞いたことあるなで手にとった。(このレビュー書く際に『度』が着いているのに気づいた。)
当然、「そういう映画があったな」で手に取り、チラリと冒頭を読んで即購入した。

その冒頭部分がこれだ。

火を燃やすのは愉しかった。
 ものが火に食われ、黒ずんで、別のなにかに変わってゆくのを見るのは格別の快感だった。真鍮の筒さきを両のこぶしににぎりしめ、大いなる蛇が有毒のケロシンを世界に吐きかけるのをながめていると、血流は頭のなかで鳴りわたり、両手はたぐいまれな指揮者の両手となって、ありとあらゆる炎上と燃焼の協奏曲をうたいあげ、歴史の燃えかすや焼け残りを引き倒す。
名文とはこういう文章のことを言うのだ。

「名文だ」「上手い」「最高だ」と、褒める語彙を単純かしてしまうほどの名文だ。

しかしこの手の文章にはやっかいなこともあり、このような文章、表現がつづくと、物語のなかでなにが起きているのか理解しづらいときがある。

舞台はディストピアに違いない。
それでもその世界観が明確に説明されることもない。

本は有害で、所有することすら許されない。
かつて火を消す仕事をしていた消化士(ファイヤーマン)は、昇火士となっていて本を燃やす。
昇火士はかつてそんな仕事をしていたことすら知らない。

本を燃やす、それはすなわち焚書だ。

バカな俺だってそれぐらいわかる。

しかし過去の歴史に見る焚書は思想やを根絶やしにするのが目的で、本だからといって燃やしたわけではない。

本を読む俺としてはなんとも、なんとも恐ろしい話だ。
あまり読書をしない人にとって、本書は、

「本ってすげぇんだぜ」

って言っているだけに思えるかもしれない。

この物語に出てくる本を燃やすことに疑問を抱かない人たちは、ラジオに、テレビがその生活の中心となっているような感じがした。

今の令和現在、そこにはパソコン、スマホが加わっている。

本を読む人の方が頭がいい、なんてことは言わないし思ってもいない。
それでも、本から得られる情報、思想、歴史は有益だと思う。

人がどれだけ本を読まなくなってしまっても、本は生きるづける。
それは本を愛し、守る人々が絶対いるからだ。

そんな意思を勝手に思ってしまった。



なお映画でモンターグを演じていたのは、刑事コロンボの『ビデオテープの証言』で犯人役で出てた人でした。







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