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【掌編小説】春時雨の庭で

 雨が降る。銀色の水の束が絶えず落ちてくるので、わたしはそっと目を細めた。揺れる視界に、アコースティックギターを抱えたきみが映る。きみはわたしに気付くと、やあ、と言ってチューニングを始めた。
 中庭の東屋は、雨と木々に囲まれていた。その中できみは、好き勝手にギターを鳴らす。
「わたしその曲好きだよ」
 わたしの声は雨音に消されて、君に届かない。きみは曲の続きを弾き続けた。ギターを鳴らす右手は綺麗だった。

 昨日、きみが死ぬ夢を見た。
 わたしは、きみがこれから死ぬことをわかっていて、けれど何にも言えなかった。車のアクセルを踏み込む、その足にひとつも躊躇いがなかったからだ。じゃあね、と言うきみが、さいごにひらひらと右手を振った。その手がもうギターに触れることはないのだと気付いて、そこでやっと、わたしは行かないでと叫んだ。夢と現実の狭間で、それはもう、ひとつの音にもならなかった。

 雨が降る。きみのいる東屋に水滴は落ちない。世界はきみのすぐそばにあって、すべてが雨音に包まれて流されていくのに、君の音だけは流されない。

 わたしは、傘をさして東屋の外にいる。外側にいることしかできないから、きみが今なにを悲しんで、なにに苦しんでいるのかわからない。ただ、夢の中でわたしに手を振り死んでいったきみの音楽を、祈るように聴いている。この場所がどうかあり続けますように。この音が鳴り続けますように。
 きみの音楽が、いつまでも流れる世界でありますように。
 祈るように、音に触れる。
「ねえ、わたしその曲好きだよ」
 雨音に消されないよう、今度はちゃんと届くように言う。雨の向こうで、君は少し笑って見せた。

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