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[diffraction]

 声は、僕の背中越しに聞こえた。

 暗い場所にひとりでいる。周りにはごちゃごちゃとガラクタが積み上がっていて、それらはすべて僕が過去に手にしていたものだ。幼稚園で描いた似顔絵、小学生の頃の書き初め、卒業アルバム、卒業証書、筆記用具に体育館シューズ。愛用のマグカップ、茶碗、その他諸々。もう二度と使われないものばかり。
ここに光は当たらない。
「光とは、つまり波なのだろうか」
 僕は、暗闇に沈んだ幼い自分の似顔絵に対してそう尋ねる。光とは波であり粒子である。それは観測者が決めることだ。と、僕は僕に答える。しかしここに光はないし、僕を見る人も誰もいない。

「――、――」

 時折、背後から声が聞こえた。僕は振り返るが、当たり前のようにそこには闇が広がるばかりだった。聞こえてくる声は重なり歪んだノイズであり、僕はそれを言葉として受け取ることができない。
声は音だ。
音は波だ。
その声は確かに僕の背中越しに聞こえるけれど、記憶の残骸にぶつかって背後に回り込んだだけであって本当は何処か別の場所から響いているのかもしれない。
 たとえば本当は目の前に誰かの姿があって、僕を呼んでいるとか。
 手を伸ばしてみる。積み上がった冷たい記憶に触れるだけだった。温かさも柔らかさもない。ここは寂しい場所だった。いつまでもこんな場所にいるのは嫌だと、そんな思いに至る。
 ここを出よう。一体この暗闇はどこまで続いているのだろう。歩いて行けば誰かに会えるだろうか。誰かに。誰に。僕を呼ぶ声に。

立ち上がる。とは。どうするのだったか。

 そこでようやく、僕には実体がないことに気付いた。
 すっかり忘れていたが、そういえば随分前に死んだのだ。思い出してしまえばそれは事実としてすんなり腑に落ちた。死んでいるから腑なんてもうないんだけど。
 そうか。
 ここからどこにも行けやしないのだ。
 諦めて大人しく暗闇にうずくまっていると、また暗闇に重たいノイズが響いた。背中に縋るように聞こえる音に意味はないが、確かに何かを伝えようという意思だけは伝わる。不思議な話だ。僕にはもう音を感知する器官なんて残っていなくて、だから本当は何も聞こえないはずなのだ。僕を囲うガラクタも多分本当は存在しない。だから、ここは物理法則なんかが通用する場所ではない。そのくせに声は記憶を回折して響く。回り込む。僕の背中に向かって。まるで――まるで、残された誰かが僕を呼び戻そうとするかのように。
 一体どこから聞こえてきて、もう居ない僕に何を伝えようというのか。
 僕は目の前にある自分の似顔絵を睨み付ける。手があれば引き裂いてしまいたかった。全部消えろと思った。消えてしまえと願えば、僕を囲っていた記憶の城は砕けて散らばる。遮るものが何も無くなって、僕は今一度耳を澄ます。
 記憶の城を失った僕にもう、声は届かない。
 遠くから光がきらきらと僕の目を刺した。視界が揺らいで、ああやっぱり光は波だったのだなと、最後に僕は思う。


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