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Free to free

 誕生日にゼミの友人から百ピースのミルクパズルをもらった。
 ミルクパズルというのは絵柄のない真っ白なジグソーパズルのことだ。絵柄がないため、どのピースがどこに配置されるのか見極めるのが非常に難しい。たった百ピースだというのに四つ角以外は大体埋まらないし、でも投げ出すのは友人に悪いような気がしてできなかった。
 誰もいないゼミ室で純白のパズルと向き合っていると、ノブが回転する気配がした。顔を上げると、開いたドアから女子学生が顔を出す。俺にパズルを渡してきた友人である。
「やあ、お疲れ」
「お疲れ。授業は?」
 彼女が投げて寄こした疑問符に俺は「えーと」と少し視線を泳がせて、
「休み」
 短く返す。彼女は俺の向かいの椅子に座った。
「空きコマ?」
「いやーあのー休みました。はい。起きたら一時だったので」
 俺の返答に、彼女は大げさにため息を吐いた。それから俺の手元に視線を移す。散らばった白いピースを見下ろし、
「それ難しいでしょ」
 にやりと笑った。今度はこちらがため息を吐く番だった。
「難しいとかいうレベルじゃねーわ」
 弱々しい俺の声にあはは、と彼女は声を上げて笑い、
「それでも投げ出さないのは律儀ね」
と続ける。俺はおはじきのようにパズルのピースをつまみ上げながら、
「絵が描いてあるパズルがどれだけやりやすいかよくわかった」
 そう言った。
「ミルクパズルは目印が一切ないのに配置が決まってるから」
 好きな場所に置けば良いってもんじゃないのよね。そう言いながら、彼女は鞄から文庫本を取り出す。俺は再びパズルに視線を落とした。
各々が自分の世界に入り込んでしばらく黙っていたが、
「ところで、あんた四年には上がれるわけ?」
 突然彼女が刺すような問いかけをしてきた。俺は顔を上げる。履修科目と死んだ単位を数えようとして恐ろしくなってやめた。
「どう思う? 俺上がれる?」
 答える代わりに尋ねる。
「え、無理じゃないの」
 当然のように彼女は即答した。
「何でそんなこと聞いたの」
「話題を振ろうと思って」
「ヘビーすぎる。もうちょっとライトなやつにして」
「わたし来期からリトアニアに留学することになった」
 何でもないように彼女は言って、本を閉じた。俺は一瞬にして切り替わった話題についていけなくて混乱する。リトアニアなんて、日常生活でほとんど耳にしない国の名前だ。
「え、何それ。何しに行くの」
「留学生募集してたじゃん。勉強しに行くに決まってるでしょ。卒業まで帰ってこないから」
 丁寧に答え、彼女は笑う。同じヨーロッパ言語のゼミに所属しているのに、俺と彼女は学問に対する意識がまるで違っていた。俺は何となくここにいて、だからまあ単位もぼろぼろ落としているわけなんだけど、彼女はそうじゃない。好きで、ここにいるのだ。
「……やりたいことやってんね」
 俺は視線を落とす。真っ白なパズルのピースを見ている。どこにでも当てはまりそうで、でも、どこでもいいわけじゃない。正しい居場所はあるのだ。それを見つけ出すことは難しいけれど。
「そろそろ選んでいかなきゃなと思って」
 彼女は歌うように言う。
「選ぶって?」
「未来」
 はっきりと言って、彼女は細い腕をこちらに伸ばした。俺の前にある白いピースを一つ手に取る。少し悩むように眉間に皺を寄せ、右の角の下にぱちりとはめ込んだ。それが正しい位置なのかどうかは、まだわからない。
「先のこと、何か考えてる?」
 彼女が再び口を開く。俺は、パズルのピースをはめていく細い指先を見つめていた。
「考えてない」
「音楽は?」
 続いた問いに顔を上げる。冗談かと思ったら、彼女は予想に反して真面目な目でこちらを見ていた。強い視線に耐えかねて俺は、誤魔化すように少し笑う。
「それは駄目だろ」
「あんたがステージでギターを弾く姿が好きだったよ」
 彼女はきっぱりと言った。俺はもう一度彼女の目を見る。まっすぐな、強い目だった。でも、彼女は俺が音楽を選ばないこともわかっているんだろうと思った。たとえば未来が白紙で、何もかも自由で、何をしてもいいとして、それでも、俺は音楽に未来を託せない。それは、失われた選択肢だった。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどさ」
 情けない表情を浮かべる俺を見て、彼女は薄く笑った。
「じゃあ、わたし次の時間、授業だから」
 会話を終わらせるように立ち上がる。
「あんたは?」
「俺は次五コマ」
「あっそ」
 ドアノブに手をかける彼女の背中をぼんやり見ていた。何だか急速に遠ざかるような気がして、そういえば、彼女も俺が選べなかったものだったと、不意に思い出した。
「なあ、俺たちが別れてなかったら、別の選択肢もあったかな」
 俺は彼女の背中に向けて声を投げる。彼女はくるりとこちらを振り返り、目を細めて口角を上げる。
「バカじゃないの」
 可笑しそうにそう言って、彼女はひらりと手を振った。ドアが完全に閉まる直前、俺は立ち上がる。散らばったパズルのピースはそのままで、ドアノブに手を伸ばした。


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