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【掌編小説】金魚の夢

 毎夜、浅い眠りを繰り返す。
 深い眠りには滅多に就くことができないから、よく、夢を見た。いつも同じ夢だ。
 わたしは、深い水槽の底にいて、息のできない苦しさに喘ぎながらずっと、分厚いガラスの向こうの部屋を見ている。わたしの部屋だ。ベッドの上には、膝を抱えてこちらを睨む、わたし自身がいる。眠れないのだろう。疲れ切った表情は、わたしが一番よく知っている。
 わたしは、どうにかこの深い水槽から出ようとして、足下の小石を掴んでガラスに打ち付ける。全力をかけたって、ガラスにはほとんど何も響かない。虚しい、こつこつという音すら、わたしの耳には届かない。
 耳鳴りのように、テレビを消し忘れたような音声が、絶えず聞こえるからだ。
 声の主はわたしと母親だ。何かを言い合って、次第にわたしの声は聞こえなくなる。母に口答えはできない。従わなければならない。だからわたしは、言葉をかみ殺す。すすり泣きの音だけが、あとに残る。
 本当は、泣きわめいてしまいたいと思っているけれど、そんなことはできない。感情を、あらわにしてはならない。
 なぜだろう。
 その答えは、もう何年も、何年も考えていて、今もわからない。
 全部知っていることを、再放送するようにずっと、繰り返し聞いている。
 そんな悪夢を、毎日見る。

    *

 明けない夜は怖いけれど、白々しくやってくる朝も、同じくらい怖かった。
 今日も目が覚めて、自分がどれくらい眠ることができたのか、数えようとしてやめる。片手を使い切る必要もないほど、あっという間に終わってしまうから。
 立ち上がると、めまいと耳鳴りがした。いつものことだ。部屋の隅に置いた水槽の中に視線を向けると、金魚と目が合う。わたしは毎夜、夢の中であの金魚になっている。
 水槽は、母がここに置いたものだ。

 子どもの頃、父に手を引かれて行った縁日で、金魚掬いをした。父は金魚掬いが得意で、何匹もわたしのために小さな赤い魚を捕ってくれた。
 持ち帰った翌日には、金魚はすべて死んでいた。みんな青いバケツの中で白い腹を浮かせ、濁った目は何かを訴えるように、わたしを見ていた。恐ろしくなって父を探したが、父はもうどこにもいなくて、二度と返ってこなかった。
 あれから母は、まるで当てつけのように、わたしの部屋に金魚を置いた。
 父がいなくなった日に、わたしが死なせてしまった赤い魚をいつまでも、彼女はこの部屋に置くのだ。金魚はあまり長生きをしない。決して良好とは言えない環境で、数ヶ月で死んでいく。そのたび、金魚は何かを訴えるような目で、わたしを見ていた。

 金魚は、人間のエゴで生まれた魚だと、どこかで聞いたことがある。

 一番はじめの金魚は、突然変異した一匹のフナだった。大昔の中国での話だ。それから人間は、ただ鑑賞するためだけに何度も交配を繰り返し、今の金魚を作った。
 人間がいなければ決して生まれなかったであろう魚。あの赤い色は、揺らぐ尾ひれは、人間のエゴの塊だ。目立つ上に病気になりやすい金魚は、自然界では到底生きていけない。人間のために生まれ、人間のために死んでいく。生まれたときからその道しか、金魚には残されていないのだ。
 わたしも、そうなのだろうか。そう思うたび、恐ろしくなった。
 だから、わたしは金魚が嫌いだ。

    *

 夢を見る。
 ほんの短い睡眠時間の中で夢を見るのなら、幸福なものが見たいと思うのに、わたしはいつも水槽の底で、外の世界を眺めている。ここから出たいと思った。ここから出て行ったところで、金魚が生きていけないことは、よく知っていた。
 でも、そうじゃない。
 そうじゃないのだ。
 わたしは、もう、わたしを離してやりたかった。
 ベッドの上で、疲れた顔をしているわたしは、ピアッサーで耳に穴を空ける。水槽に空けたかった穴を、どこか外に繋がるべき道を、探すように。自分の中に、外の空気を通すように。自分の身体を、自分で好きにできるように。まるで祈りを捧げるように、わたしは耳に穴を空ける。

「もういいよ」

 そう言うことができたなら。
 最初から滲んでいた景色が歪む。もういいよ。ここから、どうか、幸せになりなよ。わたしは水面を仰ぎ見る。たどり着けるだろうと、そう思った。

    *

 目が覚めて、重い身体を起こした。
 砂嵐が視界を埋め尽くすようなめまいのあと、水槽に目を向けると、金魚の姿がなかった。驚くことも戸惑うこともなく、わたしは立ち上がる。水槽の外に、乾いた金魚の死骸が転がっている。その目は、やはり訴えかけるように、じっとわたしを見ている。
 金魚の前に膝をついて、静かに泣いた。金魚が死んで泣いたのは、随分久しぶりだった。


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