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薬膳で「楽しく、美味しく、健康に」国際薬膳学院 学院長 赤堀真澄さん

「薬膳ってもっと簡単で身近で楽しいものなんです」――――そう目を輝かせて薬膳の素晴らしさを語って下さった赤堀さん。
ご自身の辛かったご経験から薬膳との出会いで元気になり、今では多方面で精力的に活動をされている赤堀真澄さんにお話を伺いました。

■赤堀真澄(あかほり ますみ)さんプロフィール
活動地域:大阪府
経歴:2001年1月から2008年3月まで香港在住。
薬膳と出会い、本当に薬膳を有効に正しく取り入れるには、体の仕組みや病気になるメカニズムを知らねばならないと一念発起、二人の幼い子供の育児の傍ら、香港大学專業進修學院にて薬膳講座、中医学基礎講座、中薬学講座終了。
上海中医薬大学付属日本校 中医学科の通信講座を受講。
香港の漢方クリニック「新華中医薬有限公司」にて、香港人中医師と 日本人患者の間 に入り、 診察の通訳をしながら2人の女性中医師に師事。 中医学の診断と処方、薬膳湯(スープ)について学ぶ。
香港在住中は漢方クリニックでの通訳ボランティアを務め中医診断と処方の実習を受ける。
朝日新聞国際版 薬膳記事連載、在香港日本人向け雑誌への薬膳コラム執筆、中医学関連記事監修。
香港から帰国後、漢方スクールやカルチャーセンターでの薬膳講師、国内の臨床現場での実務や薬膳商品開発を務め、上海中医薬大学付属日本校の薬膳講座を担当。
現在の職業及び活動:2014年より一般社団法人 日本食医食美研究会 代表理事となり同年4月国際薬膳学院 学院長に就任。薬膳の素晴らしさを沢山の人に伝えている。

Q.どんなコンセプトで薬膳の学校を運営されてますか?

「日本人のための和の薬膳」をコンセプトにしたオリジナルの無形文化遺産和食×薬膳の融合によって新しい価値をつくりたいと思っています。本格的な薬膳レシピや膨大な中医学の知識から、私が日本人に必要なものをしっかりと選び出したカリキュラムのコンセプトは、「すべてが使える知識」であることでした。新分野の薬膳として、薬膳寿司の講座を開講し、薬膳寿司酢を開発したりしています。「見て美しく、作って楽しく、食べて幸せ。」を大切に美味しく食べて健康になる薬膳をこれからも生み出していきたいと思っています。

Q.現在は薬膳の学校の学院長をされていますが、一般社団法人として活動されるきっかけは何ですか?

10代20代に、湿疹だらけの肌、重い生理痛、右半身の痺れの持病、不妊症など、あらゆる身体の不調に見舞われました。女性が一番輝くいい時代なのに、パッとしない生活をしていて「なんでこんな身体で生まれたんだろう」と何もかも諦めた生活をしていました。でもそんな身体の不調を理由に何も成し遂げられない自分に本当に嫌気がさして、これまでの人生まるごとひっくり返して生き直したい!と意を決しました。

当時まだ珍しかった近畿大学の東洋医学研究所に通いつめ、煎じ薬を煎じて毎日欠かさず飲み続けました。1週間で、キッチンの換気扇が真っ黒になるくらい頑張りました。飲み物に氷を入れない、食べ物を冷たくしないということも実践しました。そしたら3ヶ月ごとにみるみる身体が変わっていったんです。湿疹の跡が全部なくなっていきました。そして3年後に子どもを授かったんです。青天の霹靂とはまさにこのこと、私は一生この東洋医学の世界で生きていくことを決心しました。

長女を授かった時に主人が香港に転勤になり、「これは本格的に中医学と薬膳の勉強ができる!やろう!」と思い本気で漢方について勉強しました。現地の脈々と根付く医食同源の食文化の実践方法を貪欲に習得していきました。思いっきり好きなことをできる、体力がある幸せを感じましたね。一秒たりとももう二度と無駄にしない、という強い意気込みと湧き上がる情熱で、毎日無我夢中で勉強していました。

Q.10代20代の時に何もかも諦めて生活していたとのことですが、一番辛かったことは何ですか?

新しい事や自分の枠を超えた事をしようとすると、途中で不安になってしまうんです。「最後まで体力持つかな?」と。そう思うから何もしない、途中でやめて何も成し遂げない。そんな自分がつくづく嫌になっていました。入院生活をしていた訳ではないですが、風邪を引きやすかったり、アレルギーがいっぱい出たり、尿検査にすぐ引っかかったり、病名はついてないけど不調だらけ、そんな日々を過ごしていました。いつ病気になるか分からないから自分に予防線を張る。「自分には何もない」状態のまま生きていたので、そんな自分が嫌になってました。私は何のために生きているんだろう。人の役に立っている訳でも無く情けないと思ってました。

30年間を取り戻したいと思って生きているので、今は時間を大切にして、30歳から生き直しているような感覚です
38歳でのときに香港から帰国して、現地で食と身体について本場の知恵を惜しみなく伝授してもらいました。これを私の中だけでキープしていくのはもったいないと思い、帰国後しばらくして学院を創立したんです。初級、中級、上級という形で頭の中を三分割して、「専業主婦の私でも、医療と関係ない私でも理解できた」という頭の中をカリキュラムにしていきました。

Q.薬膳の学校を創立して6年間、どんな取組みをしていますか?

頭の中にある講座内容のコンテンツが全部出来上がってから学校を創立したのではなく、まず初級コースをつくってから学校をオープンして、同時に中級を作りながらやっていました。最初の2、3年は寝る間も惜しんで、意欲をもって習いに来て下さる生徒さんたちのために、半年先に習っていただくカリキュラムを走りながらつくっている状態でした。

生徒さんのお声を聴きながら軌道修正して、学校として形になってきたのが開講して3年経ったくらいです。全く初めての方がプロになるまでのプロ養成コースをメインに開講しています。そして数年前から卒業生が外で活躍できる仕組みを考え始めて、和学薬膳協会という協会も設立しました。卒業後、すぐにプロの薬膳講師として国際薬膳学院の認定講座を教えられる認定講師制度をつくりました。今は認定講師を10名輩出して、各地で活躍してくれています。

Q.日本人の気質として、新しい事を始める時は大体全部作ってからという人が多いと思いますが、ご自身についてどう思われますか?

本当にそうだと思います。日本人って「しっかりここまでやりとげたから」とか、「自分で納得してからやる」とか、そういう方が多いんですけど、私は見切り発車が多くて、やれるときにやらないと、いつできなくなるか分からないという考えが根底にあるので、今飛び込んでしまわないと、もうこの先何があるかわからない、いつ動けなくなるかわからない。それが私の中でずっとあります。

Q.最終的な人生のゴールは何ですか?

海外で女将になりたいです(笑)。そして海外で薬膳のお店を持ちたいです。
海外で薬膳のお店を持つために、着物を着る練習や、日本酒の利き酒師の資格を取りました。また、和食の代表である寿司を薬膳としての健康効果を打ち出して、国内外の方に和食ならではの美意識や温かいおもてなしをお伝えし、薬膳という素晴らしい食の知識に触れていただけるきっかけをつくりたいと思っています。

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■赤堀真澄さんの詳細はコチラ■
☆国際薬膳学院
https://yaku-zen.jp/
☆赤堀真澄さんのブログ
https://ameblo.jp/orientalwisehk/
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≪編集後記≫
インタビューの記者を担当した泊です。薬膳は難しそうだなというイメージがありましたが、お話を伺っていくうちに「私にもできそう」という気持ちになりました。美味しく、楽しく健康になれる薬膳。興味がある方はぜひ試してみて下さい。料理本も出版されています。益々のご活躍を応援しています!

この記事は、インタビュー記事掲載サイト「リライズ・ニュース」にも掲載されています。