日記2024年7月⑨

7月30日
朝から暑い。なんだかだるくてやる気がしなかったがはりきって通勤した。仕事は少なめだったのだが、少ないとそれはそれで不安で、何かやるべきことを忘れているような気になる。
夕方雷雨があった。夕立と言わなくなったのは何か理由があるのだろうか。豪雨は災害的なのだが、それでも雨のあとは熱気を洗い流したように涼しい。
幼稚園のお迎えは玄関に子供たちが群がって賑やかだった。パンツを下ろして注意されている子がいた。手足口病かもしれないという手脚のプツプツを見せてくれた。仲のいい子とお迎えのタイミングが同じになって、お菓子をあげたいというので車からお菓子を一袋持って渡しに行った。二人は話し方が似ている。いつも一緒にいるらしい。
買い物をしてご飯を食べて帰った。
町屋良平『ほんのこども』2章、あべくんの残した断片から「私」=「かれ」があべくん=「かれ」の物語を再構成していき、そこに「小説」自体が他者となって「私」=「かれ」=あべくんと対話を始める。人生が不可能だった二人が小説を書く不可能を手繰り寄せるように残した断片を蹂躙しあうように書き下していくというこの作品の構造が具体的に見えてきて、そしてその当の「小説」がシニカルな疑問を「かれ」に投げかけるメタな仕掛けは必然になる。書かれたものはもうあべくんの声ではないのだ。3章の冒頭はしばらく人を殺す暴力の描写が続き苦しい。暴力によってコミュニケートできるということと、この暴力はたしかに誰かによって行われたたという歴史なるものへの言及がある。

7月31日
暑い。今日も子供と私は寝坊気味であった。日傘を差して出勤した。きれいに陽射しの方向に傘を向けるのが好きである。
患者さんに説明した内容がきちんとした資料や文献と一致するか心配になった事柄があったので軽く調べたが、概ねあっていたので安心した。
子供のお迎えの時間までうつ病本の原稿を書いていた。ひとつ原稿を送って次にとりかかった。自分なりに大事なことを書いているつもりなのだが、同時に、当たり前のことを書いているなとか地味なことを書いているなという気もして読んだ人が喜んでくれるかどうか心配になる。しかしそれだと何も書けなくなるので、私はつまらないことをぽつぽつと書きつけるのが特徴の人間なのだと定期的に思い直す。つまらないことを言って生きていくのである。
夕食を作ったのだが子供がいつまでも食べきらず、しまいには残してお菓子(ねるねるねるね)を食べようとするのでさすがに怒った。全部食べきれないことや食べたくないものがあることは責めたくないのだが、ご飯を食べないでお菓子だけ食べることは許容しないほうがいいように思った。しかしかといってこれでは食事を楽しんでもらう方向には持っていけないからますます食事が義務的な苦行になってしまう。どうしたらいいのかさっぱりわからない。ちなみに幼稚園では毎日残さず完食している。難しい。
実家からメロンが届いた。今冷蔵庫にメロンが4個ある。

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