日記2024年8月⑦

8月23日
曇り。歩ける気温。スニーカーの踵がすり減ってかっこ悪いので新しいのを注文した。外来診療をし、製薬会社の説明に余計なコメントを入れ、紹介状を書くなどした。医局で休憩していたら上司が高校生を連れて入ってきた。上司が高校生に質問をしたりする中で私もあいのてを入れたりしていたらそれなりに楽しくなり、高校生も遺伝のことやらスティグマのことやらモデル動物のことやらかなり芯をくった質問をするので、私も一生懸命しゃべり散らかして大変楽しかったのだが今になって恥ずかしい。高校生というのはそうは見えなくても実存をかけて質問しているもので、答えのない問いを発する時にはそれが顕著であったりする。大人は答えがない問いと最大限くんずほぐれつもがき苦しんでいる姿を見せる責任がある。大人になるのも悪くないかもしれないと思ってもらえたら嬉しく、そのようにこの先の生がわからないからこそ価値を見出せるようになることが精神科医療のひとつの究極的な解であるかもしれないとも思う。だから精神科医の仕事はこういう問いに真剣に応えることなのだ。
胃が痛いのが続いていたので妻からは早退を勧められていたのだが、結局残った。カンファに出ずに帰るのも名残惜しく感じてしまう。結果疲れて胃が痛くなった。
子供の要望でステーキ・ハンバーグのチェーン店に行き、ハンバーグとステーキが少量ずつ乗っているものにカニクリームコロッケをつけて注文したのだが、来たのがハンバーグステーキチキンステーキのトリプルグリルで、そこにカニクリームコロッケがついていたので盛り盛りのプレートであり、Oh...God...であった。食べきったら胃が痛くなった。
子供は私と合流する前に妻に「ちゃんと注文した料理はたべないとダメだよ」と注意され、「いやだ!おかあさんなんかもうしらない!」と最大級に怒っていたらしい。ごはんを食べたくない一心で家族を捨てるとはすごい覚悟だなあと思った。一応お子様カレーを半分食べさせた。
朝、妻が逆子で遊びに行って出先で破水したら心配だ、ということを言っていたので、私はそれはさすがに過剰ではないかと返してしまった。私も体調が悪い中でつい言ってしまったことで後で良くなかったなあと反省したのだが、夕ご飯を食べながらこの話になった。妻もうまく伝わらなかったなあと思っていて、とりあえず何が不安ということが言いにくい不安なのだということのようだった。色々と話した。産休に入ったら色々とがんばろうとしているところがあったようなので、やりたいことを整理しようとかそういう話をした。こういうのは書くのが難しい。コンテクストを携えた相互的なコミュニケーションの動的な様態を直線的な文章で説明するのが難しい。会話文が強く要請されるところである。
ランボー詩集。フランス語が読めないのでかなりインチキではあるが、なんとなくの予想で原文の音を追うと、一気に詩に血がみなぎる。訳文だけだとなんにもわからない。好きな詩がいくつか見つかった。危うい若々しさがある。

8月24日
まだ胃が痛いが胃に限局する痛みになってきた。昼近くまで寝てしまった。天気がよかった。子供はおもちゃの整理をすると言い出し、妻が一緒にやり始めたらすぐ飽きてずっと歌って踊って走り回っていたのに、じゃあ整理はこれでおしまいと言うともっとやりたかったと言って泣いた。
お昼をミスドで食べた。2歳くらいの子供を連れたお母さんがいて、子供が走り回ってお店を飛び出したりしていた。幸い車が来る場所ではなく人目もある場所なので危なくはなかったけれど、お母さんは駆け回ってかなり大変そうだった。あの頃の子供はどんなに言っても本当に全く聞かないしすぐ泣くしもう重いのに抱っこしないといけなくなってまあ本当に大変である。声をかけたほうがいいかなと思いつつも躊躇してしまって、席が近ければよかったかなとか思ったりしていた。いや、声をかければよかった。
子供のピアノ教室。今日も楽しそうだったが言うことを聞いていなかった。コンビニでアイスを買って日陰で食べたとき、ジャージのズボンに水色のTシャツにパナマ帽で杖をついたいかにもじいさんなじいさんが子供を見て微笑んでいた。
帰りの電車を降りるときに立ちくらみを起こしてしまい、しばらく駅で休んだ。夜は幼稚園の近くのお祭りに行く予定だったのだが、私は家で休むことにした。胃痛と立ちくらみがしばらく続いた。帰ってきて聞いたら、幼稚園の仲のいいお友達の一家と会って、遊んでもらったらしい。

8月25日
引っ越し先候補の内見に行ったら、そのまま結構本格的な説明をされて、リフォームやクリーニングを入れた見積もりとローンの仮審査の申し込みなど、買うかどうかによらずやっておいた方がいいことを教えてくれ、どんどん進めるので予想よりかなり時間がかかった。それなりの金額のローンを組む話なのでこちらも緊張して疲れた。
子供は内見中は騒いでいて大変だったのだけど、不動産屋で色々話しているときには静かにしていてえらかった。
私たちは一応ダブルインカムではあって家計が極端に苦しいわけではないけれど、うつ病の精神科医は世間一般で想像されるお医者さんよりかなり稼ぎが悪く、決して裕福ではない。妻も給料の高くない場所で働いている。たぶん稼ぐ科の医者なら勤務医でも私たち夫婦の合計の倍以上稼いでいると思う。もっと余裕をもって色々なことを考えられるとよかったなと思うけれど、しかたがない。私たちは私たちの暮らし方をするしかない。
お金の話から自然と子供の教育の話になった。うちの子はなんだかんだで学力で頑張っていくタイプの子だろうなあとは思っていて、中学受験は考えると思うのだが、当地の私立中学の選択肢はあまり多くなく進学校は公立校が多いので、そういうルートも視野に入れていいだろうねと話した。私は東京都生まれで妻も都内の私立に通っていたから、地方都市の進学校のルートをよく知らないところがあり、こういうことを確認しながら考えておく必要があるのである。
一応大きなローンを組むので親に報告しておいたが、この連絡が非常にめんどくさい。しかし支援をしてくれるらしいのできちんとやらなければならない。
夜は近所の小さな夏祭りに行った。最初同じ名前の別の神社に行ってしまって、間違いに気づいて戻った。本当に小さなお祭りで、焼きそばとフランクフルトを地元住民が焼き、スーパーボールすくいとヨーヨー釣りを地元住民がやっているだけのよい雰囲気であった。
家のことは急に進んだのだが夜まで動いて大変疲れた。

8月26日
妻が疲れていたので職場まで車で送った。帰って気づいたら寝てしまった。岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』を読んでいる。「国民」としての権利を奪われた者が即ち「この世界」の「人間」ではなくなってしまう事態を、「ノーマン」や「剥き出しの生」といった言葉で表している。私たちの「この世界」が何に守られ何を放擲しているか。暴力がどこに向いているか。その先にたくさんの人がいることを思い出さないといけない。私たちはすぐに忘れてしまう。
うつ病の原稿が少ししか進まなかった。うつ病の治療目標について考えている。うつ病のときに患者は治療目標を持つこと自体が不可能になるのだけれど、そこで「前のように元気にうまくいっている状態に戻る」というような目標を手離せなくなるといつまでも「不可能である」という事実と関係が切れない。医者はある意味でかなり雑に「薬を飲んで休養せよ」とだけ言い、何をどうしろと言わないことで、患者を目標のない状態に留めおき、ただ症状の増減だけに注目する。患者は暗中模索で大変心細いけれど、医者はそれでいいと深く考えずに言う。そのギャップに戸惑っているうちに休養の実績がなぜか積まれている。昔から「焦らないこと」と否定形で語られるうつ病治療のキモであるが、肯定の形で語るとしたら「宙ぶらりんにしておく」と言えるかもしれない。「なんにもしないをする」というパラドキシカルなダブルバインドに一時的に置いておく。それが最初の目標ならざる目標である。しかし、いつかそこから抜け出さないといけなくなる。フェーズが変わる。その境目はあるのかどうか。そこはまた別に考えないといけない。

新たな試みというか、子供のお菓子代のために有料部分を作ってみることにします。以下はどうでもいいことしか書いていません。もしよろしければおひねりを投げるつもりでお恵みいただけますと嬉しいです。

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