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出会いなおし

SNSを見すぎるのは時間の無駄だとわかっていながら、ついつい帰りの電車の中でインスタを開きTwitterを開きfacebook を開き、インスタを開いている。そんなすぐに何か有益な更新があるはずないとわかっていながら、そこに広まっているコンテンツに目が離せない。それは友人の今日の夜ご飯だったり夜景だったり、なんてことなさそうなものであるのに。

確か中3とか高1とかの頃、わたしが初めて登録したSNSはfacebookだった。始める前は、仲の良いグループにいる子の普段の様子とかしか知らず、あんまり話さない子が学校以外は何をしているのか、あんまり知らなかった。それでもSNSを始め、同級生のオフの時間を知れるようになったり、写真をシェアしやすくなったりすると、学校にいる以外の時間も一緒に居やすくなった。それはリアルに一緒に遊びに行くことも増えたように思うし、オンラインでもコミュニケーションを取ることが増えた。

その影響で、学校はSNSの場の延長で、SNSは学校の延長だった。そこではなんとなくSNSの話題を知らないとついていけないような空気感を私は感じていた。だから、SNSをやらないという選択肢は当時の私にはなかった。

そうこうしているうちに社会人になった。その間に周りではfacebookが主流だったのがTwitterが主流になったりインスタが主流になったりした。それでもなんとなく、当時感じていたSNSベースの話がリアルの場で構成される空気感のようなものは今もなお残っていると思う。

それがいいも悪いもなくて、ただそれぞれに合うSNSの付き合い方を見つけ、知らない話題は知らないと言えればいいのだけれど、わたしはそんな勇気が出ないことが多く、SNSの付き合い方が下手だな、と常日頃思いながら今日もインスタを見てTwitterを見てfacebookを見ている。

それでも、SNSがあって良かったと思うこともある。

幼い頃仲良かった友人ともSNSで繋がることによって、またご飯に行けたりもした。中学の頃そこまで仲良くなかった友人が、最近になって読書の趣味が似ていることにお互いの投稿を通して気づき、仲を深めたこともあった。

あの頃リアルに出会っていた仲の人と、SNSという弱いつながりがあったことによって、出会いなおすことができた。

リアルで同じ場にいれば出会えた偶然も、もちろん距離が遠くなるとそうそう出会えなくなる。そんな日常の偶然性を、SNSが繋げてくれているんだ、と思うとどうしてもやめられない。

SNSは、時には大きな負担になるけれど、弱いつながりをそのまま残してくれたりする。そして時々、出会いなおすチャンスをくれたりする。

「年を重ねるということは、同じ相手に、何回も出会い直すということだ」

森絵都さんの『出会いなおし』に出てくる言葉だが、そう出会いなおせるチャンスを手に持っていたくて、まだまだSNSは離れられそうにない。

と思いながら見過ぎるから、インスタはアプリを消しました。Safariで見てるけれど。

なんでこんな話をしようと思ったのかというと、先日の他社との合コンのような交流会で出会った人たちが感じ良くてまた飲みたいな〜と思うけれど、LINEしか知らずに誘えなくて、その後悔から筆を走らせたのである。いつか出会いなおせるといいな。

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