見出し画像

プロ意識

以前講座を持っていた専門学校でもそうですし、ワークショップなどでも聞かれたこともあります。
またTwitterの質問箱などでも・・・。はたまた、モノを書く仕事の方でもこの話題は結構出ます。

「プロ意識とは何ですか」
という話題です。
このプロ意識って人それぞれ違うと感じています。
今回はぼくが考えている「プロ意識」について述べて参ります。

▼そもそも「プロ」とは

芸術の世界ではよく「プロ」と「アマチュア」の違いについて話題になりますし、「セミプロ」という言葉も耳にします。

ぼくはこの「プロ」という言葉について明確に一つの定義をしています。
それは
「相手の都合で仕事ができるか」
ということです。別の言葉に言い換えると
「相手の要求に応えられるか」
がプロとアマチュアの差だと考えています。

この考えですと、「セミプロ」というのはどこにも当てはまらいものになってしまいます。
ぼくの感覚ですと「セミプロ」というのは「それで食べているわけではないけれども、プロのような技術を持った人」という感じを受けます。
先ほど申しました「相手の要求に応えられるか」という基準であれば…はやり「セミプロ」というのは存在しないのではないかと考えています。

もちろん、ぼくのこの考え方だけではなく、「主たる収入」や「技量」、俳優やタレントの世界で言えば「事務所に入っているか」または「マネージメントされているか」という事項も一つの定義ではあると思います。

しかしながら‥‥ぼくは以下の考えから「相手の要求に応えられるか」がプロとアマチュアの差だと考えています。

▼お芝居の以外の仕事で・・・

俳優や演出、お芝居の仕事で言えば…やはり有名な作品に出ている、名が通っている、芝居で食べていけている、人気がある、上手などなど…「プロ」というもののイメージがあると思います。

と同時に、こうしたお芝居以外で「プロ」「プロフェッショナル」と考えますと…業種によって少々違う部分はあるとは思いますが、「仕事ができる」、「技量を持っている」などがイメージとしてあげられ、さらに「人気がある」というものも要素に入るかもしれません。

今、挙げたものはプロとして必要な要素ではあるとは思いますが、それをもってプロであるかというと少し疑問ではあります。

▼色々な職業の方の話を聞くと・・・

また別の機会に書きますが―――ぼくの舞台演出家以外の仕事、モノを書くこと―――で色々な職業の方にインタビューしたりお話したりします。
そうした経験の中で、どの職業の方でも‥‥経験を積まれれば積まれた分だけ、その方独自の「理論」があるように感じております。
たとえ同業で別々の方にインタビューをしても、似ているところはあるものの、その方独自の「理論」があります。

この理論は、その道を究めて行こうとすればするほど、変わっていくもの、確固たるものになっていく部分があるようです。

色々な方のお話を聞いて思ったのがこの理論は仕事をしていくためには必ず出来て行くものでこの理論が育つからこそ…育っている途中でも…仕事ができると異口同音に仰います。

▼そもそも仕事とは・・・

仕事の捉え方も様々あるとは思います。
お金を得る手段であったり、義務であったり、はたまた「世の為人の為」という意志であったり。

このどれも正解であると同時に。
やはり「仕事」というのはまずは「人の為」に行うことではないかなとぼくは考えています。
つまり、なんらかの仕事をすれば少なからず賃金が発生します。
その賃金は、「依頼者」(会社なども含めて)から支払われます。
その依頼者の「為」にならない事をしていたらまずお金はもらえません。
もっと言えば直接の依頼者の先に居るであろう、「本当にその仕事の成果を欲している人」の「為」にならなければ…仕事をしたとしてもなんとも空虚な気持ちになってしまうのではないでしょうか。

ぼくは別に聖人君子のように「人の為」だけに動く事が仕事とは考えていません。しかし、仕事をする以上「相手」が必ずいる事だと考えていますので、その「相手」のことはまるきり無視はできないと考えています。

▼プロは・・・

こうしたことから、「プロは相手の要求に応えられる人間である」と考えるようになりました。
自分がやりたいことだけをして、それがお金になる場合も確かにあるとは思います。
しかし、それも「自分のやりたい事」が「誰かに求められている」からであり、誰も求めていないものを一生懸命やったとしても‥‥誰も相手にしてくれないのではないでしょうか。

プロ、プロフェッショナルとは、求められ、そしてその要求に応え、時には形に、時には無形だとしても・・・成果を上げて行く人のことだと考えています。

▼プロ意識とは・・・

そうした中でプロ意識とは「相手の要求」に応えられるあらゆることを磨こうとする気持ちだと考えています。

技術もそうかもしれません。礼儀もそうかもしれません。
また情報もそうかもしれません。

いつ何時、どんな要求が来ても(もちろんその道について)応える事ができるように準備しておく環境や気持ちが「プロ意識」だと考えています。

▼だからと言って。

いくらプロが「相手の要求に応える」「相手の都合で仕事ができる」と定義したと言っても・・・

例えばボランティアのように安い金額で仕事をうけるとか、通常の期間より短い時間で成果をだなさければいけない・・・こういう事を常態化するのが望ましいとも思っていませんし、相手の要求を丸のみするのも良いとは思っていません。

自分の技が磨かれていけば当然、相応の報酬は発生するでしょうし、モノを作る期間・手間というのはかかるものです。

確かに無理難題をクリアしていく事で技術や知恵がつくことはありますし、経験も出来、「将来」の為にはなるとは思います。しかしながら…こういうことだけの「相手の都合」で仕事するのではなく…
相手の考えている事、欲しているモノを考える事がプロフェッショナルの第一歩であり、それらを成果に繋げるのがプロであると考えています。

▼演劇の中で

ぼくが実際、舞台演出をする場面においてもこの「プロ」の考え方と「プロ意識」の考え方は変わりません。

ぼくは制作スタッフやお客様の要求について応えようと考えるでしょうし、俳優は「演出目標」という要求に応えるように考え、技術も駆使していくことでしょう。

どんな仕事にも言えるかもしれませんが…
自分が出来る事、自分が出来ない事を知り、
自分が相手に何を求められているのかを把握し、
その要求に応えていく事がプロフェッショナルだと考えています。

自分の声や、姿かたち、得意な役・不得意な役・やりたい役・やりたくない役・やってきた役などなどを知り…今、どんな役・どんなお芝居を求められているのかを把握し、自分の技術・できることを使い一生懸命向かい合う。
こうすることがプロフェッショナルの最低条件だと考えています。

そして、それを続けていく中で・・・お金や人気も得て行くのではないでしょうか。

「相手の要求に応えられる」技術・気持ちを磨いていく意識こそが「プロ意識」だとぼくは考えています。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!