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初心者でレンタカーかよ、最悪だな。

車を運転していて…信号に従って停止した。
『わ』ナンバーの車が自分の目の前に止まっている。
その車の後部には若葉マーク、『初心運転者標識』が貼ってあった。
こんな時、皆さんならどう感じるであろうか。
「なんだよ、初心者でレンタカーかよ、最悪だな。トロトロ走るんだろうな、なんだよ…うざってえな」
と思うのか
「初心者の人か…あまり車間距離を詰めないようにしよう」
なのか
「まったく問題ない。通常通り」と思うのか・・・

ある事象を見て、色々な思いがあると思う。
これはあくまで例だけれども…少ない情報で「決めつけめてしまう」というのは危険ではないかと常々思っている。

▼初心運転者標識は・・・

上記の例では…一般的なイメージでいけば、初心者は
 ・運転になれていない
 ・ノロノロ走る
 ・道がわからないのではないか
というようなイメージがあり、それこそ「初めて運転してるんじゃないか」というように思ってしまう事がないだろうか。
しかし、初心運転者標識は免許を受けてから1年未満の運転者が表示するものであり、昨日免許を取得した人もつければ、約1年前に取得し毎日運転している人もつける義務があるのだ。

何が言いたいかというと、少ない情報だけで判断し、決めつけてしまうのは…思い込みにつながり、何事においても危険であるということだ。

▼初心者は初心者でも…

もし、上記のようにぼくの車の前に「初心者でレンタカー」の車両が居たとして…「最悪だな…トロいんだろうなぁ」と思っていたとする。
トロいのを嫌がって、発進したら追い越しをかけて、よけてやろうと準備したとする。

信号が青になったら…十分な加速とスムーズな発進をその車が行ったら…
きっとあっけにとられるだろうし、準備していた追い越しは無駄でもあるし、更には、ぼくの自分勝手な思い込みと行動で…事故が起こっていたかもしれないのだ。

実際には本当に「初心者でレンタカー」の車を今日見たが、非常にスムーズな発進、十分な加速をするドライバーだった。
これはあくまで予想だが、免許を受けて少なくとも半年以上、毎日運転しているような印象を受けた。(この印象もあっているかどうかはわからないし、もちろん、追い抜きをかけようなどとはしていません。)

つまり、ごくわずかな事象で、物事を判断してしまうととんでもない勘違いや判断ミスを引き起こしてしまうのではないかと考えている。

▼判断の基準

人間の判断の基準はやはり、今までの「自分の経験」に照らし合わせる事が多いと思う。

例えば上の例で言えば、ぼく自身、初心者の時はわかばマークをつけておっかなびっくり走っていたイメージがあるし、免許を受けてから1年くらいたった時の運転技術などあまり覚えていない。
覚えているのは…初心者の時はとてもおっかなびっくり走っていたなぁ、慣れていなかったなぁ~ということだ。

この自分の経験とイメージが「他の人も同じだろう」という思い込みを生み、大きな事故につながる判断ミスを招いていたかもしれないのだ。

この「自分の経験」というもは非常にやっかいだと思っている。
失敗したことにしろ、成功したことにしろ…自分が経験したことだから、実際に起こったことであり、自分の歴史でもあるわけだ。
だから間違いがないのだ。事実なのだ。

ただ、それは「自分にとっての事実」であって「他の人にあてはまるか」と言ったらそうではない。

▼仕事でも

仕事でも同じことが言えると思う。
例えば、新人に仕事を教えて数か月が経った時に…どうにも効率の悪いやり方をしているように見える。

そんな時どうするか。
おそらくぼくだったら…自分がやってきたやり方を伝えると思う。

しかしそれが新人にあうかどうかもあるが…
その時の新人の体調や「なぜそのやり方をしているのか」など…見ているだけでは情報が少なすぎるのだ。
その見たものは「効率が悪い」やり方かもしれないが…
実は新人は確認をとりながら、再度、仕事を覚えながらやっているのかもしれないし、その時の体調がすぐれず、進みが遅かったのかもしれない。

もし、ぼくが得意になって「それはこうやればいいんだよ~」ととか言っていたら、「うるせえオッサンだ」と思われたかもしれない。
少ない情報の中で「他のやり方しらねーんだな、新人だし」という思い込みがあった場合はこうなることが多いのではないだろうか。

少ない情報の中でははやり、「教える」立場だとしても「教え方」が異なってくると考えている。

この場合の一つの方法として「なぜそのやり方をしているのか」を聞くことと「選択肢としての方法」ということで違う方法を伝える事によって、「そういうやり方もあるんですね!」と感謝されたかもしれない。
少なくとも相手の行動理由を聞き、選択肢を伝える事で「うるせえ」とは相手は思わないと考える。

▼色々な経験をすれば・・・

こうした「思い込み」を少なくするためには…判断基準となる色々な「自分の経験」をすれば良いのか、と言えば…必ずしもそうではないと考える。

無論、色々な経験、様々な知識を得る事は大事だし、それが増えていく事で、「自分の選択肢」が広がることは間違いのないことだと考える。

しかしながら、そうした経験を積んで居ても、すべての思い込み、固定観念を無くすことはできないのではないか。

では「思い込み」を少なくするのにはどうしたらいいのか…
それはたくさんの情報を得て、更にイメージし、何パターンも考える事が必要など考えている。

▼IF・・・の考え

ぼくは、舞台演出家になる前に「システムエンジニア」の仕事をしていた。
その時にプログラムも書いていたが…「IF文」というものがある。
詳しい説明は省くが…「IF(もし)、〇〇だったら△△する、そうでなければ××する」と言ったような分岐の構文だ。

もっと端的に言えば「場合分け」をするということである。
一番最初の「初心者マーク」の例で言えば、
 ・もし、発進がスムーズでないなら、少し車間距離をとろう
 ・もし、十分な加速ができていないなら、車線を変えよう
 ・もし、発進できなければ、よけよう
などなど様々な場合分けをすることだ。

これをすることで、自分自身の行動や判断がものすごく広がり、かならず起こり得る「自分の予想」とは違った事象に迅速に対応できると考えている。

▼スピード時代だからこそ・・・

今はスピード時代だ。
だからこそ、流行りも話題も道具も…ものすごい速さで進化していく。
携帯電話など、10年間でどれほど変わっただろうか。

こうした変化が速い時代に、否応なく求められるのが…「レスポンスの速さ」だ。
仕事にしても、行動にしても…
「早くやってほしい」
「早くやらなきゃ」
という事が念頭に置かれることが多いのではないか。
そして、そうでないと…仕事が来ない場合もあるだろうし、知らず知らずのうちに他人にスピードも求めているのも確かなことだと思う。

また、こうしたスピード時代に述べたように「IFの考え」をちんたらしている時間はない、即決だ、決断が速い方が良い、というのもわかる。

しかし、ぼくは…こうしたスピード時代だからこそ、様々な場合わけを考え、パターンを考え、思い込みを少なくした方が良いと考えている。

▼結果、スムーズにいくのでは・・・

スピードが求められるからこそ、「場合分け」をする、という述べた。
ぼくは結果この方がスムーズに行くと思っているからだ。

人間はコンピュータではない。だから瞬時に答えは出せない。
考えたようで…この「場合分け」もじっくり考えなければ…おそらく数パターンしか考えずに行動してしまい、さらなる「思い込み」を生んでしまうのではないかと思っている。

スピードとスムーズは違うと考えているし、何かに取り組む時、方法はものすごいたくさんあると考えている。
しかし、その方法も判断も狭めてしまうのは自分自身の「固定観念」ではないか、と感じている。

判断の基準をより多くの情報を得て場合わけすることで、自分自身の危険も回避できると考えている。
ぼくも今の判断基準に満足せず、より多くの情報を得て、より多くの場合分けをしていきたいと思っている。

だから・・・「初心者でレンタカーだからといって、最悪とは限らない」ということなのだ。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!