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ぼくにとってのノート。

ぼくにとってのノート。
ノートといっても、この note という媒体のことではない。
紙のノートの事だ。

今、ぼくはこのコロナ禍において…仕事量が減ってきているのは確かなことだ。幸いなことに、少しはあるのだが…
そんな中、ぼくはぼく自身の仕事の進め方、アイデアのまとめ方なんかを見つめ直すことに時間を割いている。

そうした中で今回は「ノート」について書いておこうと思う。

▼かっこつけすぎのむとうくん

省みた結果。
ぼくは・・・「かっこつけすぎる」という結論に達した。
これはぼくの一番ダメなところで…
人と打合せする時でも、舞台を演出する時でも…
どこか人の目を気にしてしまい、かっこつけてしまうのだ。かっこつけてしまうから、自分の考えと真逆の事を言ってみたり、どうにもこうにも自分の首をしめることがあったりする。

他の人はおそらく・・・たいして「かっこいい」とは感じていないだろう。

そして、これは自分自身の行動にも制限をかけていたようだ。

▼スケジュール帖やらノートやら。

ぼくは昔からスケジュール帖もノートも紙のものを使っている。
ただ、これも・・・「かっこつけ」がでてきていて・・・
やれ、「〇〇手帳が使い勝手がよさそうだし、見た目もいいかも」だの「今年はこの手帳がはやっているようだし、できる男に見えそう」だの…どこか”他人の目”を気にした考えがあったのだ。

もちろん、ぼくも舞台演出家の端くれだし、いい年なので…見栄えなどはある程度気をつかった方が良い場合もある。

だた…その気のつかいようが完全に間違っていた。
方向が全然違うことに気づいちゃったのだ。

▼中身もかっこつけ。そして続かない。

実際、手帳を見せびらかすわけでもなく、中身を誰に見せるわけでもない。
けれども…中に書いてあるのは…
他人に見せるためにかかれたような言葉の数々であったのだ。

例えば、スケジュールであれば、「進捗提出」とか、「〇〇氏打合せ、××」だとか「タスク管理」などなど…さも…できる男が書くような文言が並んでいるのだ。
もちろん、こういう言葉が悪いわけでもなんでもない。
この言葉で理解し、行動が実行できるのであればいう事はない。

しかし、ぼくはそうではなかったのだ。
書く事だけ書いて…後で見直しても、なんのことか分からず…そんでもって…1週間程度で書かなくなって終わってしまうのだ。

そしてまた思い出したように「スケジュール管理」をし始め・・・また途中でやめてを繰り返していた。

▼そでもネタ帳はつづくのだが・・・

それでも、ネタ帖はスケジュール帖よりも続くのだが…
これも”他人の目”を意識してか・・・綺麗に書こうと思ってしまう節があった。

文字自体もそうだが…言葉も表現も・・・なるべく綺麗に書こうと努めていた。
だから、時間もかかるし・・・アイデアを出さなきゃいけないのに、時間がかかってしまって「あゝ、もう、やりながら!」ということで実作業をしながら、ああでもない、こうでもないと・・・
「するべきでないやり直し」をしてしまったいたのだ。

もちろん、「するべきやり直し」はたくさんある。それを阻害するかの如き「するべきではないやり直し」はこうした”かっこつけ”が原因だったようだ。

▼子供の頃・・・

ノートというと・・・子供のころ、学生の頃・・・
勉強の時にノートをとっていたことを思い出す。

ただ、今思うと、授業のノートなどは「提出」もあったし、仕事をし始めてからも「ノートをとる」というのはどこか他人の目にふれているような感覚があった。
だから、綺麗にとらなければいけない、という思い込みがこの年まで続いたようだ。

かっこつけにもほどがある。

▼ごっちゃになっていた

とはいえ、こんなぼくも、色々な本を読み、色々な人の話を聞き…色々なノート術を試した。
しかし、ぼくにはどれもあわなかったのかもしれない。
「続かなかった」からだ。

そもそも行動管理を目的としたスケジュール帖と思考・創造ツールとしてのノート(帖面)をごっちゃにしていたようだ。

ぼくの性格上、これらはわけるべきだな、と感じた。
そして、思考・創造を手助けするツールとしてのノートは誰に見られるわけでもないので、好きに書けば良く、その中で「まとめていく」「ぬりかえていく」「つくりかえていく」を繰り返せばよいという結論に達した。

▼台本にはさ。

もっと早く気付くべきだったんだな。
台本のダメ書きなんて、誰にみられるわけでもないから・・・
「自分のわかる言葉」で「ひたすら書き」そして「書き直し」さらに「まとめて」・・・の繰り返しじゃないか、と。

思い込みって本当に怖いと感じた。
それでも、今、このコロナ禍の中、2か月弱、新しいノートの使い方を実践している。
続いているし、なにしろ、アイデアをまとめやすくなった。

また色々な気付きがあって、ノートの取り方も変わっていくかもしれない。
方法はいくらでもあるんだ。ただ、目的をはき違えてはいけないな、と感じた。
ぼくが今回思った最大のことは
「かっこつけすぎのむとうくん。さようなら。」
だ。

舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!