たなばた
ぼくは結婚もしていなければ、彼女も居ない。
モテない男だ。
だから毎年、毎年、七夕になると…
「天の川、今年は橋、かかりません」
とか
「彦星と織姫は今年は会えませんでした~」
とか言い続けてきた。
「くっそー。ちちくりあいやがって~~うらやましいぜ!」
と思い続けてきた。
本当に申し訳ありませんでした。
改心いたします。
今年も、彦星と織姫、どうか天の川でお会いになって…
ぼくらの願いを聞き届けてください。
▼棚機(たなばた)
聞きかじった話だが…
七夕は…もともと、「棚機」と書いたそうだ。
(詳細はこちらが詳しいです。)
古い日本の禊ぎ行事で、神様をお迎えして秋の豊作を祈ったり、人々のけがれをはらう行事であったそうだ。
「棚機女」と選ばれた乙女は清い流れの側にある機屋に入り、身を清め、神様のために心をこめて着物を織る。
そのときに使われたのが「棚機」という織り機だそうだ。
そして日本に仏教が伝来した頃に、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夕暮れに行われるようになったことから、七夕の文字が充てられたのだと言う。
▼穢れだとして
現代日本で「穢れ」と書くと差別だとか言われるかもしれない。
もちろん、これから書くことはぼくは差別的な意図は全く持っていないし、無論、罹患された方が「穢れている」などと考えてもいない。
今、日本中、世界中が「新型コロナウィルス」の脅威にさらされている。
医療従事者の方やエッセンシャルワーカーの方々が最前線で戦っておられる。また、罹患された方も回復へと懸命に戦っておられる。
そしてこのコロナ禍において、多くの同胞が経済的、精神的に苦しんでいる。
だからこそ、あえて書くが、この”新型コロナウィルス、コロナ禍”という穢れを神様のお力をお借りしてでも祓いたい。
▼禊の行事
先にも書いた通り、七夕の元は「古い日本の禊ぎ行事で、神様をお迎えして秋の豊作を祈ったり、人々のけがれをはらう行事」であったわけだ。
ぼくはこの「棚機」についてを読んだ時に感じたことがある。
今年の七夕は…子供たちの願いも、自分たちも願いももちろんあるが…
コロナ禍という禍を乗り越え、秋の豊作すなわち経済的な復興と人のけがれ、新型コロナウィルスを祓う事を意識したいと強く感じた。
▼あたりまえにはしたくない。
今、日本では少しずつではあるが、経済活動が戻ってきている。
しかし、以前のような「安心できる」生活ではない。
自分は大丈夫だと思っていても、マスクはやはり手放せないし、ソーシャルディスタンスという人との距離をとることが必要となっている。
しかし、ぼくはこの「ソーシャルディスタンス」というものをあたりまえにしたいとは思っていない。
もちろん、コロナ禍を乗り越えたと言っても、過剰にべたべたする、とか混雑が好きだ、ということではない。
他人に気を配り、お互いが心地よく生活することは必要だが…距離をとる原因が「ウィルス」や「感染」と言ったことに我慢ならないのだ。
うつるから距離をとる。無論感染拡大防止の為には必要なのだが…人間本来の活動からはかけ離れているような気がしてならない。
▼人との距離
もちろん、コロナ禍を乗り越えた先でも、必要以上に物理的な距離、心理的な距離を詰めることなんてする必要はない。
必要な距離感というのは存在するものだ。
しかしその根本は「人に気を配る、他人を思いやる」気持ちであって、「ウィルス」や「感染」では…安心して暮らしていけないと思っている。
今、医療従事者の方や研究者の方が懸命に「治療法」や「治療薬」の研究・開発に取り組んでおられると聞く。
だから、いつかは…このコロナ禍も乗り越えられると考えている。
そして、この「コロナ禍を乗り越えた後」に訪れる世界は、色々な考え方の変革が必要だと感じている。
具体的になんだ、とは言えないが・・・漠然と世界の価値観、仕事や生活の価値観が変わるのではないか、と考えている。
▼変えるべきものは変え、守るべきものは守る
ぼくはこのコロナ禍を境に、「変えるべきものは変え、守るべきものは守る」ようになると考えている。
全てがコロナ禍前に戻る、とは考えていないし、ましては今の状況がずっと続くとは考えていない。
コロナ禍をみんなの力で乗り越えた後に訪れる世界は、コロナ禍前の世界よりも暮らしやすい世の中になる、と漠然と思っている。
それは、明日の事かもしれないし、もっと未来の話かもしれないが…このままこの状況が続き、暮らしにくさが残る生活にはいつか終止符がうたれると思っている。
その「暮らしやすい」世界という世界観、価値観は・・・人それぞれ違うとは思う。思うのだが…このコロナ禍で既に人々の価値観や生活が変化したように・・・大きな転換期になっているのではないか。
そこには否応なく、変わっていくもの。
変えなくてはならないもの。
変わるべきもの。
守るべきもの、守らなければならないもの。
やはりそれぞれ存在すると思う。
ぼくの固い頭では…変化についていけない事もあるかもしれない。
しかし、否応なしに変わっていく世界、価値観を受け入れてこそ、新しいモノが生み出せるのではないかと考えている。
暮らしにしても、価値にしても、仕事にしても。
▼なたばたの願い
棚機については「古い日本の禊ぎ行事」ということを書いたが、今現在、日本の七夕では色々な風習がある。
その中でもぼくが子供の頃におこなったのは…色とりどりの短冊に願い事を書いて、笹の葉に飾るというものだ。
これは織姫と彦星が「再会」という願いを叶えたことにちなんでという。
最初にも書いたが…
毎年ぼくは「彦星と織姫、あえませーん」などと云っていた。
今年、改心する。
虫のいい話だが…願いを聞き届けてほしい。
「災害も禍もない世界にしてください。」
あと、できれば髪の毛も少し。
舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!