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流される先に辿り着くのは…

カナダ、トロント付近に20年近くも住んでいると、ナイアガラの滝なんて、嫌というほど訪れている。

私だけではなく、遥々台湾や日本から遊びに来る家族も、何回も行ったことがあるくらいだ。(そこ以外行くところがあまりない、という事実がバレてしまうけど…笑)

なので、ナイアガラの滝は、行かなくても良いのなら、行かないところで、どこかほかに行けるところがないか、休暇になると頭をひねって考える私たち。

それが、何週間か前、コストを減らすため、オンラインで買った車の部品を取りに、ニューヨーク州のバッファローに足を運ぶことになり(国境を越えるだけで2倍以上の値段になってしまうので)、せっかくなので、アメリカ側のナイアガラの滝を見てこようということになった。

カナダ側の滝から見ると、滝の向こうにある「そこ」という感じで手が届きそうなところだけど、行ったことのあるカナディアンは本当に少ないみたい。46年もここに住んでいる夫も初めてだという。(周りのカナディアンたちに話したら、やっぱり行ったことがない、そう。)


滝自体に着くまで、道路沿いの歩道をまっすぐに行くカナダ側と違って、アメリカ側は、Goat Island という国家公園の中の散歩道を辿って行く。真夏の新緑と眩しいくらいの太陽の光、爽やかに吹くそよ風と蝉の声が響く公園の中をゆっくり、ナイアガラ川沿いにゆっくりと散歩して行く。

滝はまだか、まだかと、滝までの道が苦痛にさえ思えてくるカナダ側と違い、アメリカ側は、公園の中の歩道から見える景色が素敵すぎて、それだけでご満足!と言っても過言ではない。(もちろん、滝が一番だけどね)


だけど一つ、鳥肌がたち、冷や汗が出そうなことがある。それは、歩道からナイアガラ川に簡単にアクセスできること。柵も何もなく、あるのはただ「足元注意!」「歩道から外れないように」「水の中に入らないように」といったサインだけ… (絶句)

一旦川に落ちてしまえば、もう手遅れ。川の水の勢いは立ち向かえるレベルのものではない。そして流れてゆく先はもちろん・・・滝。



考えただけで恐ろしい…(子連れで訪れる方は、本当に要注意です!)


と、こんだけ書いて、実は今日の本題は旅行記でも、観光アドバイスでもないんです。笑

この一年、podcasts、audiobook にめっきりはまってしまっている私。溢れるくらいの刺激をもらって、今までにないくらい、いろんなことを考えさせられている。

そのうちの一つが、「(周りに)流されて生きる」ということ。

幼稚園、小学、中学、高校、大学、仕事、結婚、育児、定年、老後…

社会の大多数の人が疑問も持たずに進むこのコースを自分もまた当たり前のように進んできた。こうして、一直線に並べてみると、自分が折り返し時点を過ぎたのが一眼で分かる。

人生の半分を流されて生きてきたんだ…

「自分がやりたいから」でもなく、
「こうする目的があるから」でもなく、
「こんな目標があるから」でもなく、

「次はこのステップ」「こうするべきだから」という潜在意識に流されてきた。

愛情を込めて念入りに私を造ってくれた神様に本当に申し訳ない。

考えれば、考えるほど落ち込んでしまうけど、ここで落ち込んでは滝底まっしぐら。ここからは、podcastsやaudiobookを通して、この一年でもらった(これからももらう)いろんな人の知恵を借りて、とことん闘おうと思う。

「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」という言葉に私も共感する。

もし、流される勢いに立ち向かえなかったとしても、「私は流されまいと頑張った」と胸を張って言える私でありたい。

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