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自己中な生き方

3月半ば、北米では、マーチブレイク(春休み)が終わるころ、コロナ悪化のため、自宅自粛になりました。

子供たちの送り迎えをしなくてもよくなり、本格的に起業するのに絶好のチャンス!と思ったのです。

最低限の家事(食事の支度・後片付けなど)と末っ子のオンラインクラスのサポートだけをこなし、残りの時間は全部起業するための作業にあてました。

正常な日常生活に戻る前に軌道に乗せることが目標で、毎日時間との競争だった6か月間。YouTube チャンネルも始め、テクサビーではないおばさんがなんとかYouTubeに投稿できる動画をコツコツを作っていくわけですが…

なんだか逆風の中、必死に前に進もうとする自分と闘っていたような…

ゆく方向が分からなかったり、前が霧に覆われたように一歩先すら見えない状態だったり、交差点でどの道を行くべきか迷っている自分だったり、やることがありすぎて、一日すくなくとも48時間あってほしいと願う毎日。

もがけばもがくほど、苦しく感じ、「アラフォーのおばさんが起業すること自体が無茶なのだ」、と心の中で弱音を吐いたり…

今まで守ってきたものを犠牲にまでして、自分は一体何をしているのだろう… 何をしたいのだろう…

でも、と同時に、

「アラフォーであろうが、何歳になろうが、やりたいことをやる権利はある!」

はずだよね?と思う自分が引き下がらない。


そんな葛藤の中、先週やっと気づいたのです。

私がやりたい、達成したいと強く願っているこの思いは、すごく自己中な考えから発端しているんだなって。

例えば…

ずっと主婦をしてきた自分でも、叶えそうもない夢を実現することができる。
ずっと主婦をしてきた自分にも、「自分のもの」と呼べるものがほしい。
ずっと主婦をしてきた自分だから、ちゃんと報酬の形で返ってくる仕事がしたい。

こういう願いがいけないとかじゃないけど、でもこんな願いしかなかったら、前に進んでも中身が空っぽのままかもしれない。

何が欠けているか… それは、「貢献する心」なんだと思う。

「報酬がなくてもずっとやっていけること、それが自分の使命でもあり、自分が本当にやりたいことなのだ。」

と色んな人が色んな場で言っているのを何度も耳にしている。

報酬がなくても…

「報酬がなくとも、ずっとやっていけることはこれだ!」
というもの、なんだろう…?

あなたにありますか?

周りのこと、周りの人をほとんどほったらかしにしてきた6か月間の日々にブレーキをかけ、スピードを落とし、アラフォーの真っ只中、改めてこんなことを考えさせられる日々を送っています。

雲の間に太陽がときどき顔をのぞかせる空のように、私の心も曇ったり、晴れたりしているのですが、そんな中、自分探しを続けるアラフォーのおばさんです。



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