求められるリーダー像

現在の日本には、リーダーというものが欠けていると感じる部分が多い。

特に政治の部分で感じる部分が多いのだが、企業や学校のような組織にも言えることである。

そもそも国、自治体、企業におけるまでその核であるべきは中にある人である。その中の人間が、絶え間なく改善と改革を求め、よりよい社会を認識し、行動することは必須である。

それが、多くの場合組織構造に飲まれているように感じる。
変革に障壁が多いのは大いに結構であるが、それにしても現状の日本というのは悲惨ではなかろうか。

変革を求める場合、その原動力となるのは組織である。
そこにはリーダーがおり、共通した思想がなければならない。

私が考えるに、共通化された思想というものがない、もしくは共通認識化が徹底されていないことが問題なのである。

具体的に政治の分野で考えてみよう。

自民党の裏金問題や、子育て支援金の新たな社会保障制度の導入など国民が多く批判する政策が多く打ち出されている。

この批判として野党は、個別具体的な批判や代替案は多く出現するが、そこから彼らの目指す社会へのストーリーへと繋げることができないのである。

野党が支持を得るためには、もっと共感されるような思想というかストーリーを展開し、価値観を徹底させる必要がある。

例えば、あらゆる方法で国民負担を削減し、社会全体を活気で満たす。

核となる思想はこれぐらいで十分であろうと思う。そのうえで、社会で不要な政策や支出を見直すことを具体的な政策として盛り込めばよいのだ。

ことある場面で、核となる思想を述べ、時間があれば共感されるような社会の実現に向けての変遷をストーリーとして伝え続けるべきだ。

それが、組織の求心力となり、組織を構成する中の人々が自立して思考することを促すであろう。組織の人々を組織を構成する部品の一部にするのは非常にもったいない。

どの立場でも、彼らなりの発見や改革案があるであろう。

もしそれらが、99%役に立たない発見や、案であっても残りの1%でも現状を良くする可能性があるなら利用しない手はないのである。
無論、選択肢の一つとして頭に入れるべきである。

これらの思想の共通化は、やはりリーダーから徹底させるべきである。

リーダーというのは、組織に関係する内部組織や、関係者すべてのエゴをからめとって自らのエゴへと向かわせる必要がある。

だからこそ、組織の全員が納得するような共感されるような思想が必要であり、共感されるようなストーリーとして伝え続ける必要がある。

そして、目指すべきストーリーがあるからこそ力強く決断すべきなのだ。

マキャベリがこのような言葉を言っている。

「文臣は才知があっても勇断がない。武臣は勇断があっても才知がない。」

私が思うに、現在の政治家や官僚、企業のリーダーに至るまで良くて前者しか持ち合わせていない。

「決断力のない君主は大概みんな中途半端な中立の道を選ぶ。そしてその大方は滅びていく」

勝海舟がこのように言うように、日本のリーダーというものは決断力のない君主であろう。

もう少し、武士の生き方でも学べというものだ。そんなに格好の悪い生き方をしてどうするのだ。

私はまだ若い。だからこそ、現在のいわゆる日本のリーダーというものを見て反面教師にするのだ。

最後に、まとめると組織の人間を構造の一部として扱うのは勿体ない。彼らには、共通化した思想を持たせ、求心力を持った組織として自立して目標達成に迎えるような同胞とするべきなのだ。

そして、組織が持つ共通化された思想があるからこそそれを軸とした確固たる決断を果たし、見たことのない未来へと未来を変えてゆくのである。


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