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「あんた,バカぁ?」

▼もし,自分に映画を制作するお金と能力があったら,どんな映画を作りたいですか? 私はこの小説を映画化したいと思います。

遠藤周作『おバカさん』

▼小学生の頃,親に連れられて近所の中華料理店でラーメンを食べていた時,店に置いてあった雑誌―たしか『少年マガジン』だったと思いますが―を何気なく読んでいたら,ある連載漫画の最終回(または,その1回前の回)が目に留まりました。赤塚不二夫さんの漫画で,タイトルは『おバカさん』でした。1羽の白鷺が森の中の池にたたずみ,空に舞い上がる…そんな絵が印象的だったように記憶しています。

▼その後,中学生になってから,書店でたまたま『おバカさん』というタイトルの小説を目にしました。作者は遠藤周作さんでした。少し立ち読みして面白そうだったので購入し,読んでみたらあの漫画の原作の小説だったことがわかりました。それ以来,『おバカさん』は私の最も好きな小説になりました。

▼初版は1959年(昭和34年)。前年に東京タワーが完成したけれどまだ新幹線は走っておらず,戦後の復興期は終わりつつあったけれど,まだ戦争の傷跡が癒えていない,そんな時代の物語。

▼主人公の隆盛は銀行員。ある日曜日の朝,気の強い妹の巴絵に叩き起されるところから始まります。巴絵が隆盛に一通の手紙を渡します。それは隆盛が学生の時に文通していたガストン・ボナパルトというフランス人の青年からでした。ガストンはナポレオンの末裔とのことで,手紙には船で来日する旨が書かれていました。約束の日時に,隆盛と巴絵はガストンを迎えにメリケン波止場に向かいます。しかし,それらしき人物はいっこうに現れません。近くにいた事務員に尋ねると「4等船室だ」と言われます。そこは,船底の暗く汚く臭い空間でした。そして,そこから現れたのは「ナポレオンの末裔」という触れ込みから全く想像もつかぬ,馬面の冴えない青年でした。

▼ガストンは隆盛の家に滞在することになりますが,やることなすことトンチンカンで,何を尋ねても当を得ない返事ばかり。巴絵は怒りだし,「よくもよくもあんなバカを呼んでくださったわね,お兄さま」と隆盛に噛みつく始末。隆盛が繁華街に連れ出すと愚連隊に絡まれ,ガストンは一方的に殴られ,蹴られ,無抵抗のまま「ノン,いけません」「なぜ…わたし,いじめます?」「みんな,友だち…」「なぜ…なぜ…」と呟きます。

▼この事件のあと,ガストンは隆盛の家を出て行きます。「もっと多くの日本人を知りたい」と言って。連れは近所の老いた野良犬。彼はこの犬に「ナポレオン」と名付けます。その後,ガストンは売春婦,怪しげな占い師の老人との出会いを経て,肺病持ちの殺し屋・遠藤に拉致されます。

▼遠藤には討たねばならない仇がいました。戦争中,唯一の肉親だった兄に罪をなすりつけた上官たちです。遠藤の兄はその上官たちの罪をきせられて戦犯として処刑されました。殺人の容疑で指名手配されている遠藤は仇討ちに向かう途中,ガストンと知り合い,外国人を連れていれば警官の目をごまかせるだろうと拉致したのでした。

▼ガストンは,逃げようと思えば逃げるチャンスはありました。しかし,肺を病みながら仇を殺しに行こうとする遠藤を見て,逃げずに遠藤に同行することにしたのです。

▼この物語の大きなテーマは,「人を信じること」にあります。ガストンはこんな風に決意していました。

〈どんな人間も疑うまい。信じよう。だまされても信じよう──これが日本で彼がやりとげようと思う仕事の一つだった。疑惑があまり多すぎるこの世界、互いに相手の腹のそこをさぐりあい、決して相手の善意を認めようとも信じようともしない文明とか知識とかいうものを、ガストンは遠い海のむこうに捨てて来たのである。今の世の中に一番大切なことは、人間を信じる仕事──愚かなガストンが自分に課した修行の第一歩がこれだった。〉

▼物語の続きと結末は実際に読んでいただくとして,この小説のタイトルである「おバカさん」という言葉について,巴絵は次のように語っています。

〈(バカじゃない……バカじゃない。あの人はおバカさんなのだわ) はじめて巴絵はこの人生の中でバカとおバカさんという二つの言葉がどういうふうに違うのかわかったような気がした。素直に他人を愛し、素直にどんな人をも信じ、だまされても、裏切られてもその信頼や愛情の灯をまもり続けて行く人間は、今の世の中ではバカにみえるかもしれぬ。 だが彼はバカではない……おバカさんなのだ。人生に自分のともした小さな光を、いつまでもたやすまいとするおバカさんなのだ。巴絵ははじめてそう考えたのである。〉

▼信じる,ということはとても難しいことです。これは,山本周五郎の『ちくしょう谷』という小説の中に書かれている次のような一節とも繋がります。

〈ゆるすということはむずかしいが,もしゆるすとなったら限度はない,─ここまではゆるすが,ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしていないのだ 〉

▼人を無限に信じること,それは人を無限にゆるすことでもあります。ガストンが挑もうとしているのは,まさにそのような難しいことで,私には到底真似のできることではありません。しかし,だからこそ,ひたむきに他者を信じ,他者を全面的にゆるそうとするガストンの姿が私にはとても眩しく見え,この小説に惹かれているのでしょう。


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