男女平等とは何なのか考えたい。

デート代は男が多く払って当たり前という風潮はいつできたのだろうか。恐らく、バブルの時代に男性同士が自分の財力を誇示するために、女性と食事に行けば当たり前に全額負担していたことが原因なのではないかと筆者は考える。

近年世間では「男女平等」が声高に叫ばれているが、真の男女平等とは何なのか。筆者なりの結論を先に言うと、誰しもが性別問わず、一人の人間として正当に評価、尊重され、必要とする/されるポジションにつけることだと考える。例えば、古くから男性は働き、女性は家庭に入ることが当たり前とされてきたが、男性であっても専業主夫になってもいいし、女性であっても一家の大黒柱として家族を養うことがあってもいい。それはあくまでも個々人の意志が、性別問わずに尊重されるべきであって、ステレオタイプによって強制されるべきではない、ということだ。

今日では「女性管理職」が増えている。そもそも、その呼称自体が男女平等にそぐわないのでは、ということは記事の構成上割愛させていただくが、この現象は必ずしも男女平等とは呼べない事態を招いているのではないだろうか。冒頭に記載した通り、私の考える男女平等は「一人の人間として正当に評価、尊重される」ことが大事なのであって、時代の流れが男女平等だから、女性の社会進出が当たり前になっているからという理由で女性管理職をわざわざ作るのは本末転倒甚だしい。それは、その人が女性であるから管理職に就かせることに他ならず、女性優位に偏ってしまっている。もちろん、能力を正しく評価されている女性管理職の方も多く存在しているので、それについては肯定的だが、物事を考える際に「女性が社会に進出する時代だから」や、「男女平等にしなければならない」のような、男女平等という言葉を軸にしてしまっては、そもそも性別の垣根を無くそうとしている根本的な思想に反する結果になってしまうと筆者は考える。

あくまでも、あってはならないことは「男だから」、「女だから」という性別を基準とした線引きをすることであって、男性社員と女性社員を、一人の人間として正当に比較した結果においては、男性社員が昇格したとしても決して男女差別にはならず、むしろそれこそが男女平等ということになる。それでも、第三者視点から見た時に、彼は男性だから選ばれた、或いは、彼女は女性だから選ばれなかったなどと勘ぐり、男女差別を訴えることは、社会に女性を選ばざるを得ない状況を作り出し、延いては女性優位な社会を作ることを助長することになる。これではいつまでたっても男女平等は実現しない。

長らくの間、男尊女卑がまかり通り、男性優位の社会が続いていたことはれっきとした事実ではあるが、それを是正するために女性を持ち上げたのでは、双方にとって納得のいく均衡点を見つけることができず、いずれバランスが取れなくなる。その結果、男性優位なものと、女性優位なものとが乱立し、その線引きは歪なものになるだろう。それを避けるためには、そもそも議論の中に性別を持ち出すのはやめて、一人の人間が正しく尊重される仕組み作りを進めていくことが大事なのだ。その道のりは決して簡単なものではないが、現状のまま無駄な争いに時間をかけて、結果出来上がったものが歪になるよりは、一度議論を原点にまで戻してでも、結論が出るのが遅くなってでも、キレイなものを作った方が良いのではないだろうか。

本記事に書いたのはほんの一例に過ぎない。読者の皆さまも、日常に隠れた、男女平等を謳った男女平等に反する動きを見つけ出し、それについて今一度原点に立ち返って考察をしてみてほしい。

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