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2020/03/01 舞台「東京ノート」 観劇

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公演タイトル:「東京ノート」
劇団:青年団
劇場:吉祥寺シアター
作・演出:平田オリザ
出演:山内健司、松田弘子、秋山建一、小林智、兵藤公美、能島瑞穂他
公演期間:「東京ノート・インターナショナルバージョン」2/6〜2/16
                   「東京ノート」 2/19〜3/1
個人評価:★★★★★★☆☆☆☆


【レビュー】


初めて観劇する青年団の舞台が代表作「東京ノート」の再演で良かった。
美術館一箇所を舞台として、兄弟姉妹、絵画を寄贈する人、美術館の学芸員、先生と教え子の再会など、様々な人間模様が群像劇という形で描かれる会話劇。2時間近くの上演時間を終始会話劇で終わらせる芝居は初めて見た気がした。
まるで自分が喫茶店に一人で居て、隣に座っている見知らぬ客の会話を聞いている感覚に近く、舞台上で複数の会話が同時進行で行われる芝居がとても斬新に感じた。
しかし、自分がそこまで絵画や西洋文学に関する知識がなかったので、この作品の主題・テーマを汲み取ることが難しく少々難解に感じてしまったので、もっとそれらの知識をつけて多くの作品を観劇したタイミングで再鑑賞してみたいと思った。

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【鑑賞動機】


青年団という劇団は前々から聞いたことあったが観劇したことなかったので一度拝見してみようと思ったから。また、今回は代表作「東京ノート」の再演だったということもあったので、このタイミングで絶対観劇しようと数ヶ月前からチケット予約をしていた。もちろん期待値は高めで観劇。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)


この作品は、最後に暗転するのみで場転は一切なくただひたすら登場人物たちの美術館ロビー?での会話に終始する物語である。同時進行で会話が進むこともあるが、私が聞き取れた範囲で時系列を追ってストーリーを記す。
このストーリーの背景として、舞台は2034年の近未来(初演時は2004年を想定していたみたいだが、時が流れたので2034年に再設定された)で、ヨーロッパでは戦争が起こっており、ヨーロッパの美術館に納められている美術品の多くが安全な日本へ運ばれてきている。そんなヨーロッパの多くの美術品がある東京の美術館を舞台に話が進んでいく。

美術館入口のベンチに、長女の秋山由美(松田弘子)と彼女の弟祐二の妻好恵(能島瑞穂)が座っている。彼女たちは、どうやら遠くに住んでいる者同士で頻繁には会えず、久しく会えたことに喜びを感じながら好恵が夫祐二のことについて由美と話す。また、好恵は由美に変わった人間だと思われている。
そんな会話と同時に隣のベンチで、木下貴史(佐藤滋)と野坂晴子(中村真生)が二人で話している。二人はどうやら付き合っているらしく、二人で話した後美術展を見に退出する。由美と好恵も由美がトイレから戻ってくると二人で美術展を見に退出する。

そこへ、絵を寄贈しようとしている三橋美幸(永山由里恵)、弁護士の小野邦雄(小林智)、三橋の友人の斉藤義男(大竹直)、学芸員の平山恵美子(兵藤公美)の四人が入ってくる。斎藤は人見知りなので違う一人だけ遠く離れたベンチへ座る。斎藤以外の三人は絵の寄贈についてなにやら話している。
小野と平山が退出すると、斎藤は三橋の近くに座って二人で話し込む。どうやら斎藤は三橋のことを気になっているようだった。斎藤は三橋に、戦争の起きているヨーロッパへ行ってみたいと話す。
そこへ、隣のベンチに橋爪幹夫(前原瑞樹)と寺西理香(鄭亜美)が入ってきて座り、どうやらこの二人はカップルのようで、少し会話をした後橋爪は「戦争反対」と大きな声で何回も叫ぶ。気になった斎藤は、橋爪に「それ僕に言っているんですか?」と尋ねる。ギクシャクした空気を寺西が「すみませんでした。」と頭を下げて謝り、橋爪と寺西は去っていく。

三橋と斎藤も退出するが、その前に美術展を見に行ったはずの木下が一人で戻ってきており、その前を脇田百合子(南風盛もえ)と水上ふたば(井上みなみ)の二人が通り美術展を見にいく。その後脇田だけが戻ってきて、木下が院生時代の先生だと分かり「久しぶりです」と声をかける。
木下と脇田との会話で、木下は野坂に美術品を一人で見たいから先に言っててと言われてしまったことが分かり、脇田から見て木下の性格は昔から全然変わっていないと言われてしまう。でも脇田は心の何処かで木下に好意を抱いていることがなんとなく伝わる。水上が戻ってくると、木下と水上は自己紹介を交わして木下は退出する。脇田は水上に、木下は「昔の方が格好良かったなー」と言って二人で退出する。

由美と好恵が美術展から戻ってくると、フェルメールの絵には2つの部屋しか出てこない話をする。好恵がフェルメールの家には部屋が2つしかなかったのかと、また変わった勘違いをする。
そして次女の郁恵(長野海)もやってきて三人で会話する。郁恵はダジャレを連発するお調子者。
そこへ、長男の慎也(秋山建一)その妻の登喜子(藤谷みき)、次男の祐二(多田直人)と兄弟がぞくぞく集結して大人数となる。
その隣では、弁護士と学芸員の平山が美術展から戻ってきて、弁護士はフェルメールの絵について平山に尋ねる。平山はあまり詳しくないとしながらも、「私たちは画家が見ている風景を私たちが二重の形で見ている、近代はガリレオ・ガリレイが望遠鏡を発明したり、顕微鏡が出現して、今まで人が見られなかったものを見られるようになった時代だ。でも宇宙の星たちはこちらを見ていない」と「見る」ということについての持論を述べる。
そこへ、学芸員で近代絵画に平山よりも詳しい串本輝夫(山内健司)がやってくる。由美や弁護士から、フェルメールの絵画を解説してほしいと頼まれたので、ここから串本が解説する。串本は、「窓から差し込む光が描きたい人物を明るく日常から切り取っている」と説明する。途中で三男の茂夫(木村トモアキ)もやってきてみんなで串本の解説を聞く。串本の解説が終わると、スーツ姿の茂夫に大人っぽくなったなーなどと言われて大家族はみんなでレストランへ向かおうと退出する。平山、弁護士も三橋を探しに退出する。

串本は橋爪、寺西と遭遇し、橋爪が串本に結婚したら地元山形に戻って農家を手伝う旨を伝える。寺西も有機農業の経験があるので丁度良いと。
三人が退出すると木下と脇田が現れる。木下は自分は学者は向いていないと辞めてしまい、社会人として働いていることも伝える。脇田は魅力を失ってしまった木下にショックを受けるような態度をとっている。脇田が去って木下が一人でいると、野坂が美術展から戻ってくる。野坂は一人で美術展を巡ることが好きなのだと伝える。複数人だと感想を言わなければならなかったり、ゆっくり見れなかったりすると。木下はショックを受ける。二人は立ち去る。

大家族でレストランへ行ったはずの好恵が一人で戻ってくる。追いかけるように由美も来る。好恵は他に好きな人がいると言われている祐二と距離ができた途端、この秋山家での居場所を失ったのだろうか。由美は必死で好恵を慰めるシーンで暗転して終わる。

会話が同時進行で進んで、一回観ただけではストーリーを追いづらい箇所が多々あったが、2034年という近未来であっても、家族との繋がりや故郷を思う気持ち、好きな相手を思う気持ちは変わらないのだなと思った。そして、今作品の主題である「見る」ことについては、フェルメールに詳しくなかったり、途中出てくる(上記の文章中では書かなかったが)サン=テグジュペリの引用がよく分からなかったりと理解できない部分が多くて残念だったが、「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」という言葉は、なぜか印象に残って刺さる言葉だった。

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【世界観・演出】(※ネタバレあり)


今回の舞台には音響は一切なく、照明も最後の暗転のみで目立った演出は全くなかった。ただ舞台装置がとても豪華だったことと、会話劇を展開する上で演出がとても魅力的だったのでその2点について詳しく述べる。

まず舞台装置だが、舞台中央に3つのベンチのような腰かけられる大きな台が用意されている。また奥には、上手奥へと続く段差の低い階段があってキャストの出はけに使われる。その手前には棚が置いてあり、フェルメールの絵画全集など美術に関する書物が立てかけてある。その前にはもう一つ小さいベンチと、キャストが途中で紙コップのホットコーヒーを捨てられるように丸型のダッシュボックスが置かれている。下手側には、作り物の樹木が置かれ、天井からは白く丸いプラスチックのような飾りが沢山縦に取り付けられた、七夕の吹き流しのような感じのもの(実際にはちょっと違うけど)が3つほど垂れ流されていた。
とても舞台美術が美しく、なんともいえない世界観だった。その吹き流しのような垂れ下がった飾りによって、舞台が全体的に白っぽく感じた。階段やベンチは木造なので白っぽくても全体的に温かみのある舞台美術だった。

そして何と言っても今回の作品は会話劇の見せ方が斬新だった。
客入れ中は音楽はかからず、役者が舞台上を出はけしている。そして開演アナウンスもなく、照明が切り替わるでもなく突然舞台上の役者が話し始めることで舞台がスタートする。そして徐々に開演中の照明へと切り替わる。これは、舞台上で起こることが日常生活の延長線上にあって、舞台として切り取られていない感じの演出を受けた。
実際今作の会話劇は、たわいもない会話や喫茶店などで聞こえてくるような見知らぬ客同士の会話に近いので、日常そのものを描いている印象をとても受けた。二つの会話が同時進行で進んでいくあたりも、観客を意識した演出だと絶対そんなことにはならないのだが、日常と考えるとそれもあり得てしまう。
またこの作品の最後も突然終わる。ここで暗転して終わるんだとびっくりするくらい突然なので結末とかオチがある訳ではない。
さらに、石田栄介役を演じる中藤奨さんと須田ナオ役を演じる堀夏子さんは、2回ほど舞台上に登場したものの、全く本編と絡むことなく終わった。これも、日常の延長線上と考えるとそういう人たちもいるなと頷けてしまう。
そんな演出方法がとても斬新だが、今回の作品には非常にはまっていて、そして日常の1ピースを切り取ったものでも観客を惹きつけられるだけの作品になりうるという貴重な経験を初めて出来たと思った。

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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)


日常を切り取った会話劇だったので、それぞれの役者が何かを必死で演じているという形ではなかったが、個人的に印象に残った役者を何人か紹介する。

まず、秋山家の長女由美役を演じた松田弘子さん。
声が大きく大雑把な感じのおばさんを上手く演じきっていた。本当にそこら辺にいそうなおばさんで、とても親近感の湧くキャラクターだった。

次に次男の妻の好恵役を演じた能島瑞穂さん。
喋り方がとてもゆっくりで天然な感じが一目で分かる。それでも旦那祐二の不倫問題もあってなかなか抱えている問題は大きそうだと思った。由美と一緒に会話する姿がとても楽しそうで、本当に自然な演技(むしろ演技していないのか、素なのか)が素晴らしい女優さんだった。

個人的に一番好きだったのが、木下貴史役を演じる佐藤滋さんと脇田百合子役を演じる南風盛もえさんの二人のやりとり。
木下の、学者としての人生を諦めてまるで何事にもやる気を失って死んだような役が、とても強い負のオーラを放っているが、どこか魅力を感じさせもするキャラクターが個人的には好きだった。
また、そんなふうに変わってしまった木下を心の中で心配するように側にいようとする脇田の演技がとても好きだった。昔の先生と教え子の関係を思い出させている感じに見えて、でも昔のようには戻れなくて、そんな二人の間柄が垣間見えるやりとりが結構好きだった。

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【舞台の深み】(※ネタバレあり)


ここでは、今作品の会話劇についての考察と、ストーリーの主題となっている「見ること」について自分なりに深掘りしていく。

まず会話劇についてだが、たしかに日常風景を切り取ったかのようなシーンではあるものの私はなぜか少し違和感を感じてしまった。それは、日常の会話でフェルメールがどうとか、サン=テグジュペリがどうって会話を普通にするのかってことである。また、次女郁恵のようにあまり盛り上がっていない雰囲気の中でダジャレを連発できるのかってことも違和感のうちに含まれる。その二つの違和感がどうしても気になってしまい、日常の延長線上としてどうしても捉えきれなかった。
この「東京ノート」が初演されたのは1994年、今から25年以上前のこと。25年以上前となると今と違って「ビミョー」とか「ダッサ(「ダサい」の意)」といった若者言葉だって存在しないし、当時の人々が日常的に話している言葉なんて想像もつきもしない。だからひょっとすると、1994年に生きていた人々がこの作品を見ればこれは違和感なく日常的な会話になるのかもしれない。
以前知り合いが立ち上げた劇団の芝居を観劇したことがあったが、それが今作と非常によく似た終始会話劇で、そして今回と同じような違和感を感じた作品でもあった。おそらく知り合いは青年団の舞台から影響を受けて作品を創っていると思われるが、違和感の原点とその理由が今作を観劇したことによってなんとなく分かった気がする。
青年団や知り合いの劇団で描かれる会話劇は、現代の日常を描いているのではなく、1994年当時に想起された近未来の日常を切り取ったものだから、そういう違和感が生じるのも無理もないのかなと個人的には思った。

2つ目の今回の作品の主題である「見ること」についてだが、個人的にはあまり近代の西洋美術や西洋文学の教養を有していないので、深く理解はできなかったのだが、自分で考えた範囲で深掘りをしてみる。
このテーマを一番よく表現している言葉は、やはり最後に出てきたサン=テグジュペリの星の王子様にでてくる名言「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」に表れていると思う。好恵は夫祐二に他に好きな人が出来たという問題を抱えていた。しかし表面上あの大家族になんの問題もあるようには見えない。祐二の本心は心で見てみないと分からないということを物語っているような気がした。
そしてそれは絵画も同じである。学芸員のフェルメールの絵画の説明でもあったように、絵画は画家の視点を通して私たちは描かれた風景を見ている、その時画家が何を思ってそれを描いたのか、他の人と一緒に絵画を見るときその人はどう思って見ているのか、そんなところに心を寄せながら見てみると絵画について見たいものが見えてくるのかもしれない。そんなことを劇中考えていた。
そういう意味でこの作品を観劇したことを通して、絵画の鑑賞の仕方も分かった気がするし、日常世界に関しても心で見てみることの重要性を教えてくれた気がする。
作・演出の平田オリザさんはパンフレットの演出の言葉において、「この作品の主題は、「見ること」です。それも「誰と見るか」ということです。〜(中略)〜終演後、どなたかと、このお芝居について語り合っていただければ幸いです。」と書かれている。今回の「東京ノート」も絵画ではないが一つの作品な訳で、心で見て他の人と語り合うことによって、今作の本質が見えてくるのではないかと思った。ですので、もし今作が今後再演されるようなことがあったら知人と観劇し、感想を語り合って作品の本質にもっと迫りたいなと思った。

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【印象に残ったシーン】(※ネタバレあり)


今回はあまり強烈に印象に残ったシーンはないかも。
あえてあげるなら、まずは客入れ曲もなくいきなり舞台が始まったことへの驚き、突然暗転して終演したことへの驚き。
学芸員の串本さんが一生懸命フェルメールの絵画について説明するシーン、木下と脇田が再会を果たし二人で会話するシーン、「戦争反対」のシーン、最後の由美と好恵のサン=テグジュペリの名言を持ち出すシーン。

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