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これまで自分は、何かあったときに、新しいアカウントをつくったり、ユーザーネームを変えたり、アイコン写真を替えたり、これまでの投稿を消したりして、新しく“何か”をはじめようとしてきた。 ブログも、そう。 Bloggerからはじまって、はてなブログ、Tumblr、note、Medium、Sqaurespace…、いろいろはじめて新しくアカウントをつくっては、結局更新ができず自然消滅してしまった(Tumblrだけは600日以上続けられたけど)。そして現段階は、noteに落ち着い
そのときどきで何を思ったか、どんな選択をしつつあるのだと納得して意思決定して行動したか、そんなことは内心の自由に属する問題ですので、自分の好きなようにいつでも書き換えることができます。 東大文学部の「教員エッセイ」のテーマ『私の選択』のなかで、こんな記事を見かけました。確かにそうだなぁと思ったので、今日はこの話をシェアしようと思います。 >> 思い出は作られる - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 ただ厄介なのは、記憶は作られる、ということです。私の「自伝的記憶」
最近、「家族の形」についての記事を見かけるようになりました。 自分と子どもは違う人格である。子どもの「やりたい」を「やらせたい」にしない ——— もし、いつか、いつになるかわからない話だけど、結婚をして子どもが産まれたときに、こういう記事をどこかでまとめて見返せるようにしたいと考えるようになりました。 最近読んで良かったのが、コノビーのこの記事。 >> あの時、娘のやりたいことが、私の「やらせたいこと」にすり替わっていた わたしがやりたいのか、相手がやりたいと思っ