都会の生活が疲れた
私は今韓国の首都ソウルに住んでいる。
ソウルに住んで1年と3ヶ月目になった。
移動のためにバスを待っていたら、いろんな車が私の前を通り過ぎる。隣の市からはるばる来る大型バス、わざとバス停の前で速度を緩める空車のタクシー、スモークがかかってこれでもかと言うくらい中が見えない高級車。
車だけじゃなくて、勿論いろんな人も通り過ぎる。涼しげにTシャツとデニムを着た中肉中背の男の人、髪の毛を綺麗に巻いて高級そうなワンピースを着ている女の人、百貨店の大きな紙袋を提げてるおばさん、ダンディなスーツとハットを身につけたおじいちゃん。
私は都会の生活が疲れた。
10分に一回はバスが来て、通勤ラッシュには今目の前に来ている地下鉄に乗れなくても、3分も待たずに地下鉄が来る。10分も歩けば簡単にコーヒーの飲めるカフェがあって、本屋も花屋も需要以上に店を構えているような気がする。
私が今住んでいるところは、私が子供の頃お出かけの時にデパートのフードコートでたまに食べてたサーティワンアイスクリームも家から徒歩10分圏内にあるし、実家から車で30分くらい走ってやっと辿り着くスターバックスなんて徒歩10分圏内に3つもある。しかも席も30席ほどあるとても広いスタバ。
マクドナルドもシェイクシャックもケンタッキーも全て徒歩10分圏内。家の前で毎日熾烈なジャンクフード戦争勃発。
一方私の地元というと、電車は30分に一本だし(なのに37分発の電車は37分になった瞬間に出発するの、意地悪すぎる)、バスなんて1日4本とかしか出てない。車がないと到底生活ができない田舎町。
そんなど田舎で育った私が学生の時に憧れていた生活を、図らずも今私は送っている。本当に便利で楽で素敵な生活。
でも私はそんな生活が疲れた。
SNSの中だけで見ていたブランド品を実際に持っている人がたくさん電車に乗っていたり、バスを待っていると誘惑しながらタクシーが私たちの前を通り過ぎたり、綺麗でスタイルも良くてキラキラふわふわな女の人が乗ってるポスターが街中に溢れてたり、、、
羨ましい!ああなりたい!あれが欲しい!そんな感情で日々大忙し。
オードリーの若林さんが表参道の犬?みたいなエッセイ本でキューバに旅行に行った理由として書いていた「資本主義や広告に疲れた」みたいな感情がよくわかる気がする。
普通に生活しているだけで、なんだか広告や広告に染まった人たちが「それダサくない?」「これ欲しくない?」と私に言ってるような気がしてならない。
そんな聞こえない声を聞いて、私も初めは「わあ!みんなキラキラしてる!!私もいつかは持ちたい!!」と思ってた。
でもいつからか、「みんな持ってるなら私も今欲しいかもしれない」「この街で過ごしていくには、あれは今持たなきゃいけないかもしれない」そんな考えが頭をよぎるようになった。
私が元々私より上の人をひどく羨ましがる傾向がある。
何かが上手だとか、何かいいものを持っているとか、そんなことが目にすぐ入ってくる。
だから特に疲れた。
周りをよく見れば私より見窄らしい服を着て、髪の毛も簡単にまとめて、弱そうなトートバッグを持って、よくあるようなスニーカーを履いている人はざらにいると思う。
でも私の視界には入ってこない。
幸か不幸か、私の世界は私より優れた人でできている。
そんな羨ましがりに加え、大都市の中で広告にまですっぽり飲み込まれた無垢な(?)私は、あれを持っていない私、これを羨んでいる私を意識する場面が増えた。
あーあ、私はちっぽけだな。
無意識にそんなことを感じる機会が増えた。
田舎にいた時は、スタバのフラペチーノを咥えて街を歩いてるだけで私は輝いていたし、流行りの形の洋服を着ているだけで流行の先端にいる気分だった。好きな芸能人のブログを何周も読んで、ステージで輝くアイドルだけを見ていた。
私は自分の環境に満足していたし、芸能人ができることと一般人ができることの認識の区別が私の中に明確にあった。
しかし今都会に住んでいる以上、意識してSNS離れをしても、広告や街並み、街を歩く人たちから「映え」や「SNS」の片鱗が供給される。もう十分すぎるほどに。
「いやー、もういいかもしれないです〜!結構お腹いっぱいです〜〜!」って毎日言いたい。一体誰に言えばいいんだろう。
今日は朝から何も食べていない。
今なんとなくトッポッキが食べたい!!と思って、家から徒歩5分のトッポッキ屋さんに入った。
この欲求が叶えられるスムーズさ。これは私の地元では考えらない。
私は都市の恩恵を受けながら、都市の悪口をブログに書いている。
都市とか田舎とかどうでもいいくらいに自分に呆れる。
お前はいっそのこと宇宙でも行ってしまえ!!!