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チルドレンズ・エクスプレスとの出会い-2


 続けて2を書きます。思い出を振り返った勢いです。初めて岡見浩子さんと出会った時は、約15-6年前なので、もう細かいことは覚えていません。はっきり覚えているのは、前回書いた話(嗜められた💦)と、岡見さんがCEを始めたのは60歳の時だったという話です。


Never too late.


 米国のチルドレンズエクスプレスから依頼を受け、東京事務局の立ち上げに奔走された時、岡見さんは60歳だったそうです。私がYEJを始めたのは2023年4月で51歳、「今動かないともう動けない(動かない)かも」という焦りがあったのですが、岡見さんがCEを始めたのが60歳だったとは。

  "It's never too late.(遅すぎることはない)"が口癖の友人の言葉を思い出しながら書いてます。まさに<岡見浩子さん(60歳)2001年チルドレンズ・エクスプレス東京事務局を立ち上げる。>、この言葉通りです。活動の一つに隔年で子ども記者を連れてカンボジア取材も敢行、凄すぎます。

CEボランティアになる

 私が岡見さんと出会ったのは、彼女がCEを立ち上げてから5,6年後の2005年-2006年。子ども記者の立ち上げの苦労などをその時は聞いたのだと思われます。流れで、岡見さんに「CEのボランティアスタッフとしてホームページの運用や記事の校正をしませんか?」と誘われ、仕事と育児の合間に手伝える範囲なら、という条件でボランティアとしてCEに参加することになりました。当時、仕事も育児も忙しくて、文字通り「死にそう」だったのに実はもう一つボランティアをしていたんですよね、当時何か考えがあったとは思うのですが全く記憶にありません。やはり日記つけないとダメですね。仕事、育児、Wボランティア(笑)。

子ども記者をコペンハーゲンへ

 私はサラリーマン歴10年以上の人生でほとんど「新規事業を立ち上げる」ことばかりやってきました。当時社内は、「数百万稼げる事業 × N個」を立ち上げろー!」でして。立ち上げるビジネスの条件は「ブランドを損なわないこと」くらい。昔のことすぎて、覚えているのはこれぐらいと、継続的ビジネスではなく、イベント的ビジネスで単発的に稼ぐのを繰り返した方がいいんじゃないかという話を当時の副社長としたような記憶があります。

 これが前置きの話。そこで企画したのが、<子ども記者をコペンハーゲンで開催されるCOP15に送ろう!>です。企画立ち上げから派遣までの事前準備や帰国後の話など、盛りだくさんかつ裏話はいつか有料で(笑)。

The Japan Timesに掲載された子ども記者の記事の一つ・WWFジャパンを取材

 ちょっと話が横道にそれますが、この年はちょうど自民党から民主党に政権が移り、「世の中が劇的に変わるのでは」ムードが日本全体にあったのをぼんやりと覚えています。(その後はさておき)そして、私がYEJを開始した2023年、日本だけでなく世界中で色々なことが起きていて、なんだか少し繋がりを感じます。

 ここまでが、ユースエクスプレス・ジャパン(YEJ)の前身であるチルドレンズ・エクスプレスと事務局長だった岡見浩子さんとの出会いの話でした。

執筆:Nao Nakatani



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