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誰が責任を取るの?

新年度、3日目!どこまでカウントを続ければいいのか、わからなくなったやうたです。今日は、コロナ問題は誰が責任を取るのかについて書いていこうと思います。

連日、コロナの話ばかりで飽きてきたのですが、学校ではコロナの影響を踏まえた話し合いしかされないので、必然的にそうなってしまいます。お許しを。学校を始めるにあたって、学校のあり方が大きく見直されています。予定されていた離任式は、放送でになり、生徒が学校に滞在する時間は1時間弱ほどです。そこまでして、する必要はあるかとも思いますが、昨日までは普通にする予定だったので、だいぶコロナに配慮した形ですね。

他にも、長時間バスで移動することになる遠足や濃厚接触が避けられない球技大会は中止になりました。普段の授業も全員マスク着用、ご飯を食べるときは対面しない、など次々とコロナ対策が考えられています。

が、これらの対策はベターであり、ベストではありません。なので、誰か1人がコロナに感染した場合、クラスターとまではいかなくても、感染を広げてしまう恐れはあります。ここで考えて欲しいのです。

もしも、その感染してしまった子が亡くなるようなことがあったら、
学校で感染を広げてしまったがために身内も感染し亡くなるようなことがあったら、

誰が責任を取るんですか?

僕は責任を取ることができません。というか、誰もほんとうの意味での責任なんて取れないはずです。

次の記事は、和歌山県硬式野球の春の大会についてのニュースです。近畿大会は中止なのに、なぜこの現状で、地方大会は実施するという結論になるのか?理解に苦しみます。もし、野球部でクラスターが発生したら、その顧問に責任がいくでしょう。だから、僕は大会を辞退してもいいと思っています。

でも、部活を「居場所」としている先生は違います。その場所で輝いてなんぼなのです。だから、高野連の判断に反対するどころか、「そりゃ試合はするよね」「当たり前じゃん」という感じです。むしろ、大会があるから練習試合に行かせてくれという発想になります。僕はぞっとします。

今回のコロナの件でやっぱり、部活は教員の自己満だなと改めて感じました。


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