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寂しさは忘れるものではなくて、付き合うもの【ステップ】

こんばんは、10時間部活で拘束されたので、空き時間に小説1冊読み終えてしまったやうたです。

そんな空き時間を活用して読んだのが、「ステップ」(重松清)という本です。今までにも重松清は読もうと思って買ったことはあるんですけど、読み終えたことがなかったので、初めて読了した重松小説になりました。

あんまりネタバレするのもよくないので詳しくは書きませんが、テーマは「寂しさとどう向き合うか」だと思いました。

物語の冒頭は、父親と1歳半の娘の話から始まります。母親は亡くなってしまったんです。父親は男手1つで娘を育てる決心をして、娘が小学6年生になるまでが綴られています。

そんな中で、父親と娘がお互いの苦しみやもどかしさを抱えながら懸命に生きていく様子が描かれています。特に好きなセリフがあります。

「悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、付き合っていくものだと」「悲しみを胸に抱いたまま生きていくのは、決して悲しいことではない。その人がいない寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった瞬間よりも、ほんとうは幸せなのかもしれない。」

僕たちは「悲しさ」とか、「寂しさ」とかってできれば感じたくないし、忘れたいものですよね。でも、忘れられるってことはそれまでの思いだったのかもしれません。僕は祖母を亡くしていますが、YouTubeのMADでのび太がおばあちゃんに会いにいく動画を見て、たまに号泣することがあります。

つらいし、しんどいんですけど、たまに思い出したくなるんですよね。これって実は忘れてしまうよりも幸せなことなのかもしれないなぁと思いました。

この頃は小難しい本ばかり読んでいたので、なんか心の揺れみたいなのを久しぶりに感じました。まて小説を読んでいこうと思います。

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