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教員は引き算が苦手で、足し算ばかり

こんばんは。たった今筋トレが終わって、アドレナリンが出まくっているやうたです。先日「教員は任すことが苦手」という記事を書きましたが、今日は「引き算が苦手」という記事を書きたいと思います。

いま、学校は近年まれに見る最大級の「引き算」をしました。そうです。新型コロナウィルスによる休校措置です。その判断は自治体に任されていますが、多くの学校は休校の措置をとっていると思います。これは突発的な出来事でしたが、僕は普段の業務の多さを顧みるのにいい機会だと思っています。僕は高校の教員なのですが、現在している仕事は「入試業務」「要録入力」「成績入力」「各種会議」が大部分を占めています。

当然、年休を使って早く帰ろうと思っているのですが、今のところ定時に帰るのが精一杯です。生徒が来ず、授業がない状態でもこの忙しさなので、例年よくこれで回っていたなあという感じです。(これでも結構仕事はテキパキするタイプです)

でも、現場の先生はまだ「足し算」思考なのです。生徒が来ない今の状況でさえ、20時や21時に帰宅している人もいます。いったい何をしているのでしょうか。

一番驚いたのが「要録のチェック」です。誤字脱字がないかのチェックなら百歩譲って許せます。でも、国語辞書を引っ張ってきて語句の使い方が適切か、「取り組み」と「取組み」どちらに統一しようか、などと話しているそうなのです。僕は唖然としました。
毎年やっていなかったのに、なぜこのタイミングで始めるのか。せっかく大きな「引き算」をしたのに、なぜ「足し算」をしてしまうのか。

思い返せば、教員の「足し算」思考は年間を通してあったなあと思います。定期テストの成績が悪ければ、すぐに補習をしよう。やる気を起こさせるために外部の人に講演してもらおう。古典に触れ合わせるために「百人一首カルタ大会」やろうとか。もう本当にいろいろな「足し算」を考えつきます。でも、「引き算」は本当に考えない。で、僕が反対すると、「え、生徒のためやのになんでせんの?」みたいな雰囲気が流れます。

この「足し算」思考の一番恐ろしい点は、すでに「当たり前」になったことに関してはノータッチということです。例えば「授業」。今でも生徒のほとんどが話を聞いていないのに、板書をし、話をするだけの先生がいます。しかも、生徒が集中していないのを生徒のせいにします。はっきりいいますが、それはその先生の授業が面白くないのです。ためにならないと思われているのです。わかりにくいと思われているのです。自分がそうだったからはっきりとわかります。(僕はだいぶんやりにくい生徒でした)
だから、僕はそうなりたくないから、必死に時間を作り、授業改善を図ります。でも「足し算」思考の先生は、違うところで生徒を変えようとします。

一言、言いたい、

「違うでしょ、僕たちが生徒と一番関わる時間は授業でしょ。」

と。

そりゃ、せっかく「引き算」されても変わりませんよね。
あー、今の教育ってどうしたら変わるのかなー。

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