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身近に感じる死

親しみのある人が亡くなると、自分の価値観が揺らぎますよね。

昨日、志村けんさんが亡くなったというニュースが速報で流れました。小さい頃から「バカ殿」を見て育った僕からすると、他人事にはどうしても感じられません。皆さんも同じような感覚の人が多いのではないでしょうか。

一気にコロナウイルスというものを身近に感じるようになった気がします。人の感覚というか、感情というのは単純なようで、わからないものですね。

この衝撃が日本に与える影響は大きいと思います。今までは、年齢と性別と職業ぐらいの情報でしか、コロナウイルスを認識していなかった。だから、人ごと感が強かった現状があり、個々の感染拡大対策は本気に考えることができていなかったかも知れない。

でも、小さい頃から見ていた人、影響力のある人が亡くなったいま、日本全体の価値観が変わるでしょう。

教育現場も例外ではありません。僕の勤務校ではいま必死に、どうやってコロナ対策をするかを話し合っています。休憩中は机を移動させない、ご飯を食べる時も喋らずに、とか色々考えています。でも、このまま学校が再開されない可能性だって十分ありえます。(下の記事は、高校は再開しなくても教育が成立することが書かれた記事です。参考にしてみてください。)

大事なのは、学校が再開しなかった場合に、現場の教員が教育について考え直し、どう動くかだと思います

結局の所、子どもや保護者が学校に求めているニーズは何なのか。既存の授業の代わりならば、「オンライン授業」「ライン通話」「zoom」を活用すれば、こと足りるでしょう。

いま求められているのは、子どもが「自律した学習者になっているか」だと思います。

「リアルなつながり」の中で協働性や主体性などの非認知的能力を高められているかが、現状では大事です。だって管理しようがなく、生徒自身にどう行動するべきかのタクトが100%委ねられているわけですからね。

学ぶ子は学んでいます。先日、生徒とばったり町中で会いましたが、ある本を買ったそうです。その子は教育学部志望なのですが「2030年教師の仕事はこう変わる!」を買ったそうです(笑)現場の先生より学ぼうとしていると感じるのは僕だけでしょうか。

今の日本は、既存の価値観がぐらつき、崩れようとしています。
コロナが収束しても絶対に「はい、元通り」とはならないでしょう。早くコロナが収束すること、明るい日本になっていくことを願い、そして、志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。

少し暗い話題になってしまいました。
いつもご覧いただきありがとうございます。


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