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「分離」という考え方

こんにちは、今日から久しぶりに授業が始まったんですけど、うまく口が回らなくて、毎日喋るって大事なんだなと思ったやうたです。

さて、今日は「分離」して考えるということを自戒の念を込めて書きたいと思います。最近ですが、どうやら、どのような人間関係においても「分離」という考え方は必要らしい、ということを感じるようになりました。

先日、記事で書いた「愛」についても、絶対的に必要なものの中に「絶対分離的尊重」という概念があります。「私はあなたがいないと存在する意味が十分ではないが、私とは違う存在であって、自分の思い通りにすることはない」という意志を持っていないといけないという意味合いです。「あなた」との距離が近くなればなるほど、「分離」して考えることは難しくなります。

他にも、「嫌われる勇気」で語られるアドラー心理学の中に「課題の分離」という概念があります。承認欲求という言葉がありますが、多くの人は他者から認められることを必要とします。容姿であったり、行いであったりと色々ありますが、要は「相手から好ましく思われること」を欲するのです。しかし、アドラーはそれを否定します。なぜか?

それは「他者の人生」を生きることになるからです。
僕の人生は、僕のものです。
僕たちは他者の期待を満たすために生きているのではないのです。
そして、他者もまた僕の期待を満たすために生きているのではないのです。

必要なのは、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」という視点に立つことです。もし、子どもが勉強しないという選択をしたならば、不利益を被るかもしれないのは、親ではなく、子どもです。だから、頼まれもしないのに口を出してはいけない。これが「課題の分離」という考え方です。

放任するわけではありません。できることは必要な時に、精一杯援助することが可能であることを伝えることです。こんなことわざがあります。

馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。

自分を変えられるのは、自分。あなたを変えるのは、あなた。
忘れないように書いておきます。

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