母の訃報

先週末、兄から久しぶりに留守電が入っている。電話に出ないので母が心配しているという。知らんがな、ということで放置。

数日後某日

見知らぬ携帯から着信。基本的に知らない番号からの電話には出ない。またソフトバンクの営業かと思い調べてみるが、どうやら違う。しばらくすると家電の方にもかかってきて本当に何かありそうなので久しぶりに電話に出る。

兄からだ。母が急に死んだと。母は長期の入退院を繰り返しており、コロナの時期はずっと入院していたようだったのだが、最近退院して、先週調子を崩して再入院していたらしい。兄もいつもの入院だと思ってたらしく、焦っている様子。

家族葬的な誰も来ない葬式を望んでいたので、そういうのやってる業者調べて?こっちでは無理なんで、と言われる。

そっちの携帯は?という疑問を持ちながらも目の前のPCで調べて電話。業者の番号を伝えると、宣伝に載ってる奴と同じだと言われる。知るか。

葬儀が決まったということで再び架電。聞いてないのに22万のプランにしたと言われる。特に何もしないがお別れしたい人のために1時間いくらで部屋を空けることができるとも言われる。詳細決まったら連絡すると言われるが、結局連絡は来ず寝る。

某日+1

起きても連絡がないのでこちらから兄に架電。式と火葬を週末に行う予定だが、詳細が13時ごろに決まるのでそこでかけ直すとのこと。

15時過ぎにようやく電話。土曜朝10時スタートで9時までに来る必要があるとのこと。聞くまで斎場の場所を教えてもらえないので聞く。知ってる名前だった。

前泊になるのかどうしたものか考えていたら再架電。
一人だよなと聞かれる。奥さんも連れて行こうかと言ったが、タクシー1台しか予約してないので奥さん来なくていいといわれる。海外にでも行ってることにしておいて、と

それまでにお別れとかの時間は??と聞いてみるが、霊安室を1時間空けることもできるけど10-16時までなので来れないでしょ?と言われる。休みだし行ける、、と食らいついてはみたものの、再度、無理だよねと念押しされたので空気を読んで断念。

自分だけのチケットと宿を手配する。スケジュールがよくわかってないので遅れても自由席に乗れる新幹線にする。

某日+2

やっておくべき仕事を終えて新幹線で大阪に。新大阪駅は最後に来た5年くらい前から大きく変わっていて驚く。斎場の最寄りが岡町なので十三に初めて泊まる。大阪も暑いが、ホテルの冷房が寒くてよく眠れない。消すとちょうどよくなった。

葬儀の日

朝から斎場に。写真は見られたくないということで、写真を飾らない式らしい。宗教も特にないので適当な感じ。父と兄と数年ぶりに会う。令和になってからは初めてだ。兄にここでも奥さんは海外にでも行ってることにしてるから、と言われる。誰に言うんだ。

酔ってない父と話するのは何十年ぶりか。最後に電話がかかってきたときは酔っていなかったのかもしれないが、いきなり「お前まだ離婚してないのか」だったので酔っていたと思いたい。残念ながら特に話すような話題はない。元気か、くらい。

兄と話す。母は自分が(コロナで)帰省できなくなってから、感染症で数年苦しんでいたらしい。平成の間は年に一度くらいは実家に戻って数時間くらい話をしていたのだが、どこが悪くなっているのか具体的に聞いたことはなかった。徐々に色々なところが悪くなっていったのだろう。

棺の近くに台が置かれ、職員の人に呼ばれたので焼香などしたりする。遺体と記憶の顔が違っているので不思議な気分。記憶にある頃はもう少し太っていたのだが、ずいぶん痩せている。花もいらない宝塚の写真を、ということなので、棺に主に麻路さきの生写真をたくさん入れる。

昔からお世話になっている元近所の人がやってくる。自分の幼馴染みである娘2人も一緒だ。三姉妹のうちの2人なのだが、30年ぶりくらいなので誰なのかもうわからない。父が応対。外面はいいし酒が入ってないので会話もちゃんとできる。

火葬場

元近所の人が去ると、10時を待たずに慌ただしく火葬場に向かうことに。タクシーでわりと長い距離を走って、桃山台の近くまで行く。棺を炉に送り数時間待つ。待合室が寒い。そして早起きしたので眠い。

待合室で兄と少し遺産相続の話をする。遺言状もないのに相続の割合を変えたいとか言ってるので法律のことはよくわかってないっぽい。こちらとしては放棄するつもりだと言ったのだが、相続税がとか言われる。税金取られるほどの財産はないはずだが、この20年で何があったのか。今回の件とは直接は関係ない岡山の家の話もする。とりあえず登記簿を取った方がよさげ。

数時間経ち、棺が骨になって出てくる。骨だけでなく人工関節など身体の中の金属がたくさん出てくる。喉仏も金属と癒着していたが、金属を除けながら骨壺に入れる。

そういえば伯父伯母に連絡したのか聞くのを忘れていた。そもそも親戚の生死を知らない。twitterによると、かつてとても仲が良かったらしい汐路朝子さんはまだご健在のようだ。

帰宅

タクシーで駅まで送ってもらう。遺産の話とかはまとまってからまた連絡があるらしい。新大阪で友人と会い、新幹線の出発までお茶。急に連絡が取れなくなった先輩の話など。

ちょうど新幹線乗り場のすぐ近くに551のチルド専用販売所ができていたのでギリギリ豚まんを買って帰宅。いつもながら帰りの方が短く感じる。

自分も近所付き合いも親戚付き合いもないので、似たような葬儀になるのだろうか、とか次に父か兄が死んだらどうすればいいのかとか考えたり、自分が死んだとき遺産をどうするかとか、少し考えている。



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